第9話 警察沙汰
パトカーのドアが開き切る前から、ブーイングは始まっていた。
「おっそ! 今さら来たのかよ!」
「もうドリフトが仕事終わらせたぞ!」
「警察のB.O.X.はどうしたー!」
最後のは、さすがに言いがかりだと思う。
警察用B.O.X.が一機いくらするのかは知らない。でも、ネット配信しているバカが道路で顔面から転んだからといって、毎回あんなものを出動させていたら市の予算が死ぬ。
そもそも警察のB.O.X.はパトカーじゃない。
各署の裏で、パイロット入りのままアイドリングして待っているわけでもないだろう。
……たぶん。
私はデトロイトに住み始めて、まだ六か月だ。
もしかしたら専用予算があるのかもしれない。
パトカーは綺麗に並んで停まったりしなかった。
一台がオカフォーズの駐車場入口を横向きに塞ぐ。
二台目は、倒れたコルトに近い通りの先。
三台目は、その中間。
ドアが一斉に開いた。
警官たちが素早く散る。
イエローキングだけに向かったわけじゃない。
二機ともだ。
何人かはパトカーのエンジン部分を遮蔽物にしている。拳銃を構える者。ボンネット越しにパトロールライフルを支える者。
八メートル級B.O.X.二機を相手にする装備として見ると、かなり前向きな姿勢だった。
もっとも。
あの銃はB.O.X.を撃つためじゃないだろう。
視線も銃口も、機体そのものというよりコックピットや乗降口を意識している。
もしハッチが開いて、操縦者が何か余計なものを手に持ったまま降りてきたら。
そこからが拳銃の仕事だ。
警察側から見れば。
道路は壊れている。
八メートルのB.O.X.が一機、顔面から倒れている。
もう一機がその上に立っている。
建物にはプラズマ武器が突き刺さり。
周囲を大量の一般人が囲んで叫んでいる。
たぶんハントキャストなんて見ていない。
事情を知らない状態で到着したなら、両方止めるしかない。
一人の警官が拡声器を上げた。
『両B.O.X.操縦者へ!』
観客が、声を聞き取れる程度には静かになる。
『機体を動かすな! その場で停止!』
マーリン・ダンサーはまだダブルバイセップスの勝利ポーズを取っていた。
ゆっくり。
両腕が下がる。
警官たちの銃口も、その動きを追った。
……絵面だけなら、かなり無謀だ。
マーリンの片手だけで、隠れているパトカー一台より重いんじゃないだろうか。
拡声器を持った警官が、マーリンを指す。
『白とオレンジの機体! 黄色い機体から離れろ! 後退して駐車場側へ移動!』
ファンが即座に反発した。
「はぁ!?」
「ドリフト何もしてないだろ!」
「向こうが先に襲ったんだぞ!」
「動画あるから!」
マーリンが足元のコルトを見る。
次に警察を見る。
外部スピーカーからドリフトの声が流れた。
『分かった』
倒れたコルトの胸から足をどける。
一歩。
二歩。
警官たちも一定の距離を保ちながら横へ動き、マーリンをオカフォーズの駐車場側へ誘導していく。
拡声器が今度は黄色い機体へ向いた。
『黄色い機体! その場から動くな! 機体を停止しろ!』
コルトのどこかからノイズ。
残っている外部スピーカーが鳴った。
『俺が被害者なんだぞ!』
『機体を停止しろ!』
『あいつが襲ってきたんだ!』
『停・止・し・ろ!』
沈黙。
やがてコルトの光が一つずつ消えていった。
どうやら、自分以外に警察命令が適用されている時だけは手続きに協力できるらしい。
近くの警官の無線から、短い声が聞こえた。
『両機とも指示に従ってる。B.O.X.対応班は待機地点で待機させろ』
あ。
ちゃんと来る予定だったのか。
どこかで、ものすごく高そうな警察用B.O.X.が市街地まで歩かされずに済んだらしい。
よかったね、市の道路。
私はボディカム映像をそれなりに見てきた。
だから、この先の典型的な流れも知っている。
『そこに立ってください』
と言われる。
なぜか自由への重大な侵害だと思って口論する。
五分後。
地面へうつ伏せにされながら、
『警察がエスカレートさせた!』
と叫ぶ。
そして。
ロッテが、ちょうどその第一段階へ踏み込みそうな顔をしていた。
スマホを自分へ向ける。
「リスナーのみんな! デトロイト警察が到着しました! 現在、圧倒的な映像証拠によってドリフトちゃんが完全に無実かつ超カッコいいことが証明されているにもかかわらず――」
警官がロッテの横を通り過ぎた。
「そこの女性。パトカーの後ろまで下がってください」
ロッテが止まった。
そして。
意外にも素直にパトカーの後ろへ下がった。
「私、メディアなんですけど!」
あ。
ただの面倒な野次馬だった。
最低限の生存本能はあるらしい。
「もっと後ろへ」
ロッテがさらに二歩下がる。
ゆっくり。
ものすごくゆっくり。
そしてスマホを自分の顔へ戻した。
「見てこれ! 口封じしようとしてる!」
カメラへ向けた表情が素晴らしかった。
不満。
裏切られた悲しみ。
そして国家権力から個人的に狙われている女の顔。
スクショしたい。
ものすごくバカっぽくてかわいい。
残念ながら、警察はもう周囲の人間全員を下がらせ始めていた。
「撮影はそこからできます! 車両より前へ出ないでください! 全員です!」
スマホが何本も高く上がる。
誰も撮影をやめない。
ただ、遠くから文句を言うようになっただけだ。
停止したコルトには、さらに何人かの警官が近づいていく。
別のグループは、駐車場まで移動したマーリンの周囲に残った。
誰もまだ逮捕されていない。
誰も罪を言い渡されていない。
八メートルの機械が二機あるから。
事情が分かるまで、八メートルの機械として扱われているだけだ。
ヴァナディスファンは、その違いをまったく評価しなかった。
「正当防衛だから!」
「動画あるぞー!」
「配信見ろよ!」
「警官さん! 全部切り抜いてあります!」
最後の男はスマホを両手で差し出していた。
殺人事件の決定的証拠でも提出しているみたいだ。
警官がパトカーの後ろを指差す。
「下がって」
「でも切り抜きが――」
「下がって」
「でも――」
「必要ならこちらから証言と映像を求めます。今は下がってください」
男が引き下がった。
すると即座に、ロッテがパトカーの横から顔とスマホだけ出した。
「リスナーのみんな、ご覧ください! 目撃者まで発言を封じられて――」
「黙れロッテ。悪化するだろ」
ロッテが振り返った。
ドッツァだ。
ドローンの収納を終えていた。
五機とも折り畳まれ、円筒ケースへ戻っている。
ヘッドセットは額へ押し上げられ、片手にはタブレット。
画面には何枚もの書類が重なっていた。
そのまま一番近い警官へ歩いていく。
「警官さん。白いB.O.X.は私の管理下です」
警官がドッツァを見る。
ドッツァはタブレットを裏返した。
「ヴァナディス所属、マーリン・ダンサー。機体登録、操縦資格、市内運用許可、保険、武装申告」
聞かれる前から次々スワイプしていく。
「操縦者はレイン。私は整備担当兼、登録上の技術管理責任者。外部映像はドローン五機分。コックピットのテレメトリも全部残ってます。ハントキャストのアーカイブもあります」
……ちゃんと大人できるんだな、この子。
警官がタブレットを受け取った。
「あなたが機体の責任者?」
「運用上は。所有者はヴァナディスです」
警官がマーリンを見る。
「操縦者に降りてもらってください。いくつか確認したいことがあります」
ドッツァがヘッドセットへ触れる。
「レイン。降りてきて」
『分かった。もう終わり?』
「戦闘は終わり。でも警官さんが話聞きたいって」
一拍。
『分かった』
マーリンの胸部が開く。
ドリフトが外へ出た。
アクセスラダーをかなり速いペースで降りる。
最後の一段を飛び降りた。
片足が地面についた瞬間。
腰が落ちる。
重心が前へ。
後ろ脚がもう地面を蹴ろうとしている。
……あ。
この構え、知ってる。
走る気だ。
ドッツァは私より早く気づいた。
「お前、まさか――」
ドリフトが飛び出した。
ドッツァが腰へ飛びつく。
「走るなバカぁぁぁ!」
「でも肉が」
二人の警官が目に見えて緊張した。
一人の手がホルスターへ行く。
もう一人はテーザーを半分ほど上げたところで、ドリフトの腹に整備士がぶら下がっていることに気づいた。
「止まって! その場にいてください!」
ドリフトが止まる。
というより。
ドッツァがまだ腰にくっついている。
「でも、ご飯できてる」
「まだ行かないでください。先に事情を聞かせてもらいます」
ドリフトがオカフォーズを見る。
ドッツァの腕にさらに力が入った。
「ロッテ! 手伝え!」
「えっ!?」
「押さえろ!」
ロッテが駆け寄る。
ドリフトの後ろから両腕を回した。
安心感はゼロだった。
もしドリフトがもう一度走ることにしたら、ロッテは背中でピンク色にはためくアクセサリーになるだけだと思う。
それでも本人は、古代から伝わる重大な教えでも授けるような顔をした。
「いい、レインちゃん」
「うん」
「警察に文句言いたいなら、まず自分が何していいか理解しないとダメなの」
「うん」
「『そこに立って』って言われたら、そこに立つ」
「うん」
「『走るな』って言われたら、走らない」
「うん」
「まず従う。そのあと好きなだけ文句言うの」
ドリフトが警官を見る。
「分かった」
……なるほど。
ドリフトが何か学んだかどうかは怪しい。
でもロッテは、完全にこのシステムを理解している。
たぶん店で店長を呼び出し、自分が百パーセント悪い状況からでも、最終的に返金と割引券を持って帰ってくるタイプだ。
ドッツァが警官と書類を確認している間に、別の警官たちはイエローキングへ到達していた。
コルトのコックピットはもう開いている。
イエローキングが両手を見える位置に上げたまま降りてきた。
口だけはずっと動いている。
「俺が被害者だって! あいつが襲ったんだぞ! 俺の視聴者が全部見てるからな!」
警官が身体を反転させた。
手錠。
カチッ。
お。
ようやく警察も、どちら側に少し多めの監督が必要なのか分かってきたらしい。
ドリフトはそのまま警官の前に残された。
ドッツァは横で書類を整理している。
事情聴取は、あまり進んでいるようには見えなかった。
「はい」
「いいえ」
「分かりました」
ほぼそれだけ。
警官が無理やり具体的に聞けば、たまに少し長い答えが返ってくる。
尋問というより。
人間の姿をしたチェックボックスを使って、書類を埋めようとしている感じだった。
やがて。
ドリフトの視線が警官の肩越しへ流れる。
まっすぐ。
私へ。
「あ。店員さん」
「あ。どうも」
「ソフィアが、店員さんが私の肉を焼いてるって言ってた」
……。
あ。
カルビ。
……やば。
私は踵を返した。
全力でオカフォーズへ走った。




