第8話 マーリン・ダンサー
少し離れたところでは、ロッテがドッツァの背中へ半分乗りかけていた。
「画面分けて! ワイプも出して! ほらほら、早く!」
「揺らすなって! 今やってんだよ!」
そこへ、またソフィアの声が入る。
『ヴァナディス、状況報告』
『ハントキャスト、生配信中!』
ロッテが即答。
『ドローン・テレメトリ接続完了』
続いてドッツァ。
コックピット映像のドリフトが、正面のカメラを見る。
『マーリン・ダンサー、準備完了』
そしてソフィア。
『マーリン・ダンサー、オールグリーン。合図で射出。三……二――』
ドンッ!
射出フレームが跳ね上がった。
周りから悲鳴が上がる。
一時的ヴァナディスファンである私も、当然混ざった。
「おおおっ!」
トレーラー全体が大きく沈む。
全高八メートルのB.O.X.が、強烈な油圧動作で一気に起き上がった。
ズンッ!
鋼鉄の両足がアスファルトを踏む。
衝撃が地面を伝い、私の膝まで震わせた。
観客が爆発する。
「GO DRIFT GO!」
「マーリン!」
「こっち向いてー!」
完全に立ち上がったマーリン・ダンサーが、車列の上へそびえる。
マットホワイトの装甲。
オレンジの警戒色。
頭部の光学バイザーが点灯した。
緑色の光が、その顔を横切る。
……なるほど。
ファンの気持ちが、ちょっと分かった。
ハントキャストの画面越しにB.O.X.を見るのと。
三十メートル先で実物が立ち上がるのとでは、全然違う。
軍用基準なら、特別大きな機体でもない。
八メートル。
少し超えるくらいか。
それでも、人間という生き物が自分たちはかなり小さい動物だったと思い出すには十分な大きさだった。
配信画面がドリフトへ切り替わる。
彼女は無言でコックピットカメラを見つめていた。
長い沈黙。
眉間に少し皺が寄る。
『……』
隣にいた女の子が小声で言った。
「忘れてる」
別のファンが答える。
「いつも忘れるよ」
「しーっ!」
その瞬間。
ドリフトの目が変わった。
あ。
思い出した。
片手を顔の横へ上げる。
妙に硬いピースサイン。
一度息を吸って。
そして、頭の中で歯車がギリギリ回っている音まで聞こえてきそうな集中力で、無理やり明るい笑顔を作った。
声まで数段高くなる。
『昼でも夜でも、あなたの毎日をキラッと照らす! きらめく快速パイロット、ドリフト! 今日も出動ですっ!』
ウインク。
観客が壊れた。
「やったぁぁぁ!」
「かわいいー!」
「ウインクきた!」
「切り抜け! 今の切り抜け!」
「うわああああ!」
その歓声のどこかに、私の声も混ざっていた。
仕方ない。
ウインクが下手だった。
ものすごく下手だった。
下手すぎて一周回ってかわいい。
画面の中では、その笑顔が一瞬で消えた。
ピースも下ろす。
『……うん。こんな感じ』
戻った。
この五秒間なんて最初から存在しなかったみたいに、いつものドリフトだ。
私は大画面を見ながら、気づけば間抜けな笑顔を浮かべていた。
隣の女の子がゆっくりこちらを見る。
画面を見る。
また私を見る。
表情が変わった。
あ。
これ、違う意味に取られてる。
向こうからしたら、コックピットのドアップを見ながらニヤニヤしている怪しい女だ。
私は即座に真顔へ戻した。
何も怪しいことはありません。
ドンッ!
通りの先で、黄色いB.O.X.がまた空砲を撃った。
……そうだった。
あいつがいた。
ここ数分、観客の大半までドリフトが何のために出てきたのか忘れていたらしい。
一斉に通りへ顔を向ける。
マーリン・ダンサーも向きを変えた。
ドッツァの声。
『レイン。コルトR-2。かなり手が入ってる』
ドローンが黄色い機体へ寄る。
『溶接が汚い。何か隠してる前提で』
『分かった』
コルトの肩が動いた。
私は気づいた。
ドッツァも気づいた。
ドローンが急旋回する。
ドンッ!
さっきまでドローンがいた空間を、空砲の衝撃が貫いた。
映像が激しく回転する。
だが、スタビライザーがすぐに水平を取り戻した。
『感じ悪っ』
周りから笑いが漏れる。
私も少し笑った。
ドッツァの台詞が面白かったからではない。
反応が速い。
ヴァナディスの評判は、ほとんどドリフト一人で持っているのかと思っていた。
どうやら違う。
ほかの三人も、ちゃんと仕事ができる。
ドローンが距離を取った。
コルトR-2。
機体そのものは大したものじゃない。
八メートル前後の中量級。
市街地を普通に移動できるタイプのB.O.X.だ。
重量区分だけなら、マーリン・ダンサーとほぼ同じ。
共通点はそこまでだった。
黄色いコルトは、その週たまたま手に入った部品を全部くっつけて作り直したような見た目をしている。
その機体の外部スピーカーから、突然大声が炸裂した。
『お前らぁぁぁ!』
黄色い機体のどこかに付いたスピーカー。
さらに本人の撮影ドローンからも同じ声が入っているらしく、配信では微妙に二重で聞こえる。
ドリフトがそちらを見る。
『なんかパーティークラッカーみたいなの出てきた』
マーリン・ダンサーが道路中央へ数歩進む。
周囲に残っていた車は、ものすごい勢いで逃げ始めていた。
当然だ。
B.O.X.同士の喧嘩による巻き添えまで保険対象なのか、現場で確認したい奴はいない。
マーリンの足首にあるブースターが角度を変える。
準備完了。
『待ってレイン! まだ殴らないで! 喋らせて!』
ロッテの声が割り込んだ。
マーリンが止まる。
向こうの黄色いコルトも、ようやく完全にこちらを向いた。
二機の間には、何もない道路だけ。
コルトが片腕を大きく上げる。
まるで、この観客をずっと待っていたみたいに。
『なんだぁ!? 見たいか!? お前らも見たいよなぁ!? ヘスティア・スパイク見たいだろ!? 投票出してあるから、さっさと入れろ!』
声がさらに大きくなる。
『現地で見てる奴らも! パンチラインのYellowKing_50! 参加忘れんなよ!』
パンチライン。
知ってる。
何でもありの一般配信プラットフォームだ。
そして『何でもあり』を売りにしている場所で、その『何でも』は本当に何でもを意味する。
規制が緩いのをいいことに、よく分からない連中が、よく分からないことを配信している。
B.O.X.エンタメが大成功してからというもの、あの金脈に乗っかろうとした配信サービスはいくつも現れた。
大半は失敗した。
パンチラインは、その中で生き残った側だ。
もちろん、もっと酷い場所はある。
本当に何でもありを見たいなら、非合法の配信サイトまで潜ればいい。
私は遠慮するけど。
……なるほど。
パンチライン側か。
妙に納得した。
黄色いコルトの右前腕が開いた。
そこだけ、ほかの装甲より黄色の塗料が新しい。
装甲板が油圧音とともに左右へ分かれる。
その奥から、黒い何かが前へ滑り出した。
伸びる。
一瞬だけ、ただの黒い金属棒に見えた。
次の瞬間。
表面をプラズマの光が包んだ。
……お。
あれはガラクタじゃない。
隣にいた男が画面へ身を乗り出す。
「マジか! プラズマナイフ?」
「スパイク」
別の男が訂正した。
「え?」
「近接用プラズマスパイク。ナイフじゃない」
後ろの誰かまで会話へ入ってくる。
「じゃあ、要するに刺す武器?」
「刺すのは最初だけ。関節とか胴体とか、引っかかる場所を貫いて、中で先端がアンカーみたいに開くんだよ」
男が指を二本、鉤みたいに組んだ。
「それで引っ張って、装甲板を引き剥がす」
「そこは違うぞ、兄ちゃん」
考える前に口から出た。
……兄ちゃん。
よし。
若い。
軽い。
完全に一般客へ溶け込んでいる。
男が振り返る。
「え?」
「アンカーになるところまでは合ってる。でも、いつでも装甲を剥がせるわけじゃない。重装甲はそんな簡単に外れないよ」
さらに三人くらいがこちらを向いた。
しまった。
観客ができた。
「じゃあ何に使うんです?」
「近接戦で相手を拘束する。それと心理的な圧力」
「心理的?」
「考えてみなよ。あれが装甲の中まで刺さったら、二機がほぼ繋がる」
コルトを顎で示す。
「遠距離武装中心なら、その時点でかなり困る。近接武器を持ってても、相手が決めた距離で戦わされる」
「で、もう片方の手を見て」
全員が見る。
ショットガン。
何人かはすぐ理解した。
「ああー」
「そういうこと。ヘスティア系ではよくある組み合わせ。相手を近距離に固定して、ほとんど密着した状態でも使える武器を叩き込む」
一人が眉をひそめた。
「じゃあ、なんでスパイクを腕の中に隠すんです?」
「あるって分かったら、誰も近寄りたくなくなるから」
「なるほど……」
何人かが納得して頷く。
そろそろ黙るべきだった。
なのに。
「俺、本物初めて見た」
誰かが言った。
私が答える前に、別のファンが口を挟む。
「ヘスティア系が元なんだよな? 昔のヴァンガード製?」
「そうそう。今はヘカトンがアメリカ側でほぼ流通握ってる」
「あ、ヘカトン最近ニュース出てなかった?」
「軍需契約の話」
「ていうか、あれ個人で持っていいの?」
最初の男がまた私を見る。
なぜか私は、いつの間にかこの場の専門家になっていた。
「一応」
何人かが笑った。
「『一応合法』って、ほぼ違法じゃん」
「『一応』ってだいたいそういう意味だからね」
そのまま会話は勝手に広がっていった。
型番。
メーカー。
どのチームが何を使っていたか。
大会で実物を見た奴。
『昔のヘスティアは経理が口出しする前に作られてたから頑丈だった』
なんて言い始める奴までいる。
不思議な感じだった。
彼らにとってB.O.X.は。
流行。
ブランド。
装備構成。
切り抜き。
ネットであれこれ言い争うためのものだ。
私の記憶にあるB.O.X.は。
もっと重い。
『しかも四万クレジットだぞ!』
イエローキングが誇らしげに叫んだ。
『本物のヘカトン製だ!』
私は瞬きをした。
……あ。
まだ喋ってたのか。
隣の男も画面を見ている。
「じゃあ、なんでこのバカが持ってんの?」
それは本当にいい質問だ。
市街地護衛向けの制限装備なんて、普通はサープラスショップで安売り弾薬の横に並んでいるものじゃない。
イエローキングが右腕を、自分の撮影ドローンへ向ける。
『聞かれる前に言っとくぞ! ちゃんと俺のだからな! 完全に俺の! 友達からのプレゼント!』
周りが半秒ほど静かになった。
誰かが言う。
「それ聞いたら余計怪しくなったんだけど」
私は頷いた。
ものすごく同意する。
画面の中で、ドリフトが少し身体を動かした。
『ロッテ』
『なに?』
『この人、ずっと喋ってる』
『口上中に殴っちゃダメ! カッコよさのルールだから!』
……なんだ、そのルール。
子供向けのアクション番組で、敵が必殺技を説明している間だけ全員お行儀よく待つ、あの謎の法則と同じだろうか。
巨大ロボ配信にも継承されていたらしい。
そこへドッツァの声が入った。
『今照会してる。コルトの機体登録は有効。賞金指定は……現在なし』
一拍。
『でも、新しく付いた部品の所有記録が変だな』
画面横のコメント欄は、すでに高速で流れていた。
〈@tinylv16〉おいそれどこで手に入れたんだよ
〈@NEK0YAMMI〉それ制限品じゃない???
〈@Rin1717〉誰か最寄りのヴァンガード倉庫の在庫確認しろw
思わず吹き出した。
怪しいと思っているのは私だけじゃないらしい。
『レイン、とりあえず向こうと絡んで!』
ロッテが言う。
『一発で殴れるよ』
『そっちの「絡む」じゃない!』
周囲が笑った。
私も笑った。
ああ。
なるほど。
これも含めて娯楽なのか。
まだまともに戦ってすらいない。
それなのに、番組の半分くらいは『配信をどう面白くするか』で揉めるドリフトとロッテを眺める時間になっている。
マーリン・ダンサーは、その間ずっと律儀に動かなかった。
イエローキングがプラズマスパイクをマーリンへ向ける。
『新必殺技まで作ったんだぞ! お前ら、名前覚えろよ!』
エミッターの光が強くなる。
『ファイア・ウォーターフォール!!』
即座にロッテの声。
『レインちゃん! なんかリアクション! 驚いて!』
ドリフトが武器を見る。
『わあ』
顔は一ミリも動かない。
『こわい』
一拍。
『なんだっけ。ファイア……ピットフォール?』
『お前バカにしてんのか!?』
『してない』
観客が笑う。
私も笑った。
黄色い機体がガクッと前へ出る。
『うるせぇ! イエローキングの誕生日パーティー台無しにしやがって!』
今度はさらに大きな笑いが起きた。
〈@letaaIy〉誕生日パーティーwwww
〈@ethn_b〉パンチライン見つけた フォロワー13人で草
〈@つにInPhilly〉14人になった。かわいそうだからフォローした
ドリフトがため息をつく。
『ごめん、ロッテ。早く終わらせる』
『えっ!? 待って待って! ダメ! レインちゃん、数字! せめてもうちょっと――』
マーリン・ダンサーの足首が光った。
ブースター点火。
白い機体が飛び出す。
そのまま身体を横へ倒し、道路すれすれまで重心を落とした。
走っていない。
滑っている。
まるでスケートだ。
足裏がアスファルトへほとんど食いついていないように見える。
マーリンはコルトの横を一気に抜けた。
そのまま滑走しながら身体だけを滑らかに回す。
気づけば、イエローキングの真横を後ろ向きに流れていた。
コルトの反応が遅れる。
『ファイア・ウォーターフォール!』
右腕が跳ねた。
プラズマの穂先がマーリン・ダンサーの肩を掠める。
今度は演出じゃない。
本当に振った。
周囲の観客が一斉に身体を引いた。
スパイクはマーリンを一メートルもない距離で外れ――。
そのまま後ろの建物に付いていたネオンサインを貫いた。
看板の光が消える。
一拍遅れて。
半分が、ずるりと壁から落ちた。
スパイクは看板へ深く刺さったまま。
コルトの右腕まで引っ張られている。
『レイン。右脚』
ドッツァの声。
『右脚いける。早く終わらせよう』
『分かった』
『ドッツァまで!? なんでみんなそんな終わらせたがるの!?』
ロッテだけが抗議している。
イエローキングは腕が動かないまま、ようやく反対の手にあるショットガンを思い出した。
銃口を持ち上げる。
ドリフトが動く。
マーリンの手が伸びた。
銃口がこちらを向き切る前に掴む。
捻る。
奪う。
それだけ。
そのまま姿勢を落とした。
右脚を払う。
ドンッ!
黄色いB.O.X.が、顔面からアスファルトへ叩きつけられた。
直後。
看板へ食い込んでいた右腕が無理やり引き抜かれ、残っていたネオンサインまで一緒に引き剥がす。
マーリンがコルトの胸へ片足を置いた。
ミシッ。
足元のアスファルトに亀裂が走る。
イエローキングの配信が静かになった。
一瞬。
ノイズしか聞こえない。
そして。
『……お前ら?』
誰も答えない。
『俺、どうすればいい?』
ドリフトが足元のコルトを見る。
『負けたよ』
奪ったショットガンを放り投げる。
空中で一回転。
そのままイエローキングの撮影ドローンへ直撃した。
ガシャッ!
パンチライン側の映像が消える。
『お、お前ら! 俺どうすれば――』
マーリンが片足を上げた。
コルトの頭部に付いていた外部スピーカーを蹴り飛ばす。
バキッ。
気持ちのいい音と一緒に、イエローキングの声が消えた。
観客が爆発した。
「GO DRIFT GO!」
「もう終わり!?」
「四万クレジット払ってアレ!?」
「勝利ポーズ!」
ロッテはもうスマホを掲げたまま、マーリンのほうへ走っている。
『最高最高! レインちゃん、ポーズ! ほら早く!』
ハッチバックの画面では、ドリフトのコックピット映像が大きく表示された。
彼女は突然テスト問題を渡された生徒みたいな顔でカメラを見ている。
『どれ?』
『ハート! それかV! 待って、みんな投票! 今すぐ!』
ロッテはもう配信上にアンケートを作ろうとしていた。
遅い。
マーリン・ダンサーが両腕を上げる。
肘を曲げる。
両拳を頭の横へ。
ダブルバイセップス。
観客がもう一度壊れた。
〈@Kaa_nnu〉また自分で選んだwww
〈@mctboom〉ハートじゃないのかよおおお
〈@majin8008〉GO DRIFT GO でも普通にかっけえ
ドリフトはコックピットの画面越しに、自分のポーズを確認する。
『ね。こっちのほうがカッコいい』
ロッテの肩が落ちた。
『……もういい』
だが、復活まで一秒もかからなかった。
すぐスマホを高く掲げる。
『はーい! というわけで、これがうちのドリフトちゃんでしたー! デトロイトのみんな、ありがとー! フォロー、切り抜き、タグ付けも忘れずに――』
サイレンが、ロッテの締めをぶった切った。
一台。
続けて数台。
私は振り返る。
赤と青のライトを点滅させたパトカーが、角を曲がってきた。
一台目がオカフォーズの駐車場入口を塞ぐように横付けする。
さらに二台。
私は道路を見る。
倒れたコルト。
壊れたネオンサイン。
めくれたアスファルト。
噴水になった消火栓。
……うん。
さすがのデトロイト警察も。
これは無視できなかったらしい。




