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ヴァナディス・ロンド  作者: 鋼鉄しりんげ
第一幕 ヴァナディス・ロンド
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7/10

第7話 同期率99%

 私は空になった器を持って、厨房へ戻ろうとした。


 ドンッ!


 通りの向こうから、また銃声が響く。


 二発目ともなれば、だいたい分かってきた。


 脅威というより音が目的だ。


 空砲。


 圧だけは大きい。


 音も大きい。


 そして実用性はほとんどない。


 とにかく周囲の視線を集めるためだけの一発。


 その目的だけは、かなり成功しているらしい。


 外の騒ぎ方が変わっていた。


 もうオカフォーズの周りにいるのは、ドリフトのリスナーだけじゃない。


 昼休み中らしい作業員たちが歩道で足を止めている。配送トラックの運転手は、荷台横のステップへ登って少しでも高い位置から見ようとしていた。


 道路の向こうでは、どこかのバカが停めてある車のボンネットに立ち、片手で日差しを遮りながら通りの先を見ている。


 この辺りの道路が、ここまで盛り上がることは滅多にない。


 どうやら、


『近所でB.O.X.二機が殴り合うかもしれない』


 という可能性だけで、一ブロック丸ごと観客席になるらしい。


 私は厨房まであと半分というところで止まった。


 ディーが私を見る。


 私は手に持っている器を見る。


 ドンッ!


 また遠くで鳴った。


「ちょっと見てくる。こっちに来てないか確認するだけ」


「へえ」


 ディーは時計を見た。


「一秒ごとに休憩時間から引くからね」


「厳しいなあ。店が壊されないか心配してるのに」


「責任感があって素晴らしいね」


「ありがとう」


「褒めてない」


 器をカウンターへ置き、外へ出た。


 入口を少し抜けるだけ。


 通りの先が見える位置まで。


 いた。


 道路の真ん中に、見るからに雑な小型作業用B.O.X.が立っている。


 全高は八メートルくらい。


 片腕には巨大なショットガン。


 装甲は継ぎはぎ。


 色褪せた黄色。


 後ろでは、さっき壊した消火栓から水が何メートルも噴き上がっていた。


 そして、どういう偶然か。


 いや。


 たぶん絶対わざとだ。


 噴き上がる水が、ちょうど機体の背景になる位置に立っている。


 黄色いB.O.X.がポーズを取った。


「「「おおーっ!」」」


 観客から声が上がる。


 ポーズが格好よかったからではない。


 市の水道設備が盛大に死んでいる前で、八メートルの機械が決めポーズを取ったからだ。


 感動というより、


 ……それやるの?


 くらいの空気だった。


 ただし、人々の注目はすでに二つへ分かれている。


 通りの半分は、あのバカみたいなB.O.X.。


 残り半分は。


 オカフォーズから出てきた有名人に気づいていた。


 駐車場が、そのまま公開収録会場になっている。


 ロッテがスマホを掲げた。


 画面にはハントキャストの《ヴァナディス公式チャンネル》。


 すでに生配信が始まっている。


「はい、みんなー! 配信始まったよー!」


 カメラをぐるっと周囲へ向ける。


「見てこの人! デトロイト、今日めっちゃ最高じゃん! そしてもちろん、うちのエース――ドリフトちゃん!」


「ロッテちゃんもかわいいー! 愛してるー!」


 観客の一人が叫んだ。


 ロッテが即座にスマホをそっちへ向ける。


「ありがとー! でもキモいから黙ってー!」


 言われた男のファンが大げさに胸を押さえた。


「振られたぁぁぁ!」


 周りから笑いが起きる。


 なるほど。


 一つ勉強になった。


 ロッテに軽い気持ちでかわいいと言ってはいけない。


 重要な生存情報だ。


 というのも。


 私はさっきから、あの子かわいいな、と普通に思っていた。


 もし勢いで口に出して、みんなの前で「キモい」と返されたら。


 たぶん午後いっぱい、どこかの隅で泣きながら拗ねる。


 胸の中だけにしておこう。


 すると周りのスマホが一斉に向きを変え始めた。


 ロッテではない。


 ドリフトへ。


 しかも今度は、ヴァナディスのファンだけじゃない。


 子供連れの母親まで振り返っている。


 駐車場の向こうにいた中年のおっさんも、もうスマホを構えていた。


 たぶんドリフトが誰なのかすら知らない。


 でも、かわいい女が歩いてきた。


 それだけで撮る理由としては十分らしい。


 ドリフトは、さっきロッテに仕込まれた『カッコいい歩き方』で駐車場を横切っていた。


 黄色いB.O.X.を見ていた人まで、少しずつ彼女へ向き直る。


 誰だか分かっていない奴まで、反射的にスマホを出していた。


 ……私も撮るか?


 ポケットへ手を入れる。


 ない。


 あ。


 スマホ、厨房の棚の上だ。


 しまった。


 まあ、ロッテが十分すぎるほど撮っている。


 ドリフトの正面を後ろ向きに小走りしながら、スマホだけはほとんど揺らしていない。


 しかも数歩ごとに片腕を横へ伸ばし、近づきすぎる人間を押しとどめている。


 ただ。


 本人のサイズが、止めようとしている相手と大差ない。


 一人が横を抜けた。


 もう一人。


 ロッテがさらに腕を広げる。


「ちょっ、下がって下がって! レインちゃんのスペース空けてー!」


 誰も聞かない。


 ドッツァは聞いた。


 肩から円筒形のギアバッグを下ろす。


 そして。


 左右へ振り始めた。


 高そうな巨大バットみたいに。


 観客が即座に人間本来のパーソナルスペースを思い出した。


 なるほど。


 あれが群衆整理か。


 私ならもう少し上手くやれる気もするけど。


 ロッテは後ろ向きに走り続けている。


 ドッツァに警備体制を丸ごと救われたことに気づいていないのか。


 あるいは気づいていて無視しているのか。


「そうそう! そのペース!」


「普通に歩いてる」


「それでいいの! 考えないで!」


 ドリフトが急に、ものすごく考えている顔になった。


 左腕が。


 カッチ。


 カッチ。


 カッチ。


 壊れかけたメトロノームみたいな正確さで振れ始める。


「違う違う! 考えないでって!」


「分かった」


 その後ろで、ドッツァがギアバッグをアスファルトへ置いた。


 ガチャン。


 ロックを外す。


 中には折り畳まれたドローンが五機。


 磁気クランプに固定されていた。


 解除レバーを押す。


 ガチャ、ガチャ、ガチャッ。


 カーボン製のローターが、飛び出しナイフみたいに一斉に展開する。


 ドッツァがヘッドセットを目元まで下ろした。


「行け、あたしの働き蜂ども! 女王様の借金返済を手伝え!」


 五機が同時に飛び上がった。


 甲高いモーター音が重なり、駐車場の照明柱の周囲を旋回しながら高度を上げていく。


「ローアングル忘れないで!」


 ロッテが叫ぶ。


「尻! せめて乗り込む時に一回は尻入れて! コックピット登るところ数字出るから!」


 ドッツァが嫌そうに顔をしかめた。


「お前、プロとして最低の部類だな」


「知ってる! すごくない?」


 尻?


 ……。


 それが人気の秘密の一つなのか?


 これは後で少し調べる必要があるな。


 もちろん。


 純粋な職業的好奇心で。


 少し先には、ヴァナディスの輸送車両が停まっていた。


 ロングノーズの大型アメリカントラック。


 その後ろには、牽引車の倍以上ある長さの専用トレーラー。


 前半部分は、補強フレーム、油圧機構、巨大な磁気固定具でほぼ埋まっている。


 そこへ仰向けで固定されているのが、ドリフトのB.O.X.だった。


 マットホワイトの装甲が、午後の日差しを鋭く反射している。


 関節部はチャコール。


 そこへ走るセーフティオレンジのライン。


 トレーラー後部は少し細くなっていて、装甲キャンピングカーと移動整備工場を無理やり一つにしたような形だった。


 私は店から、もう一歩離れた。


 さらに一歩。


 ……。


 もう普通に群衆について行ってるな、私。


『店の方向へ戦闘が来ていないか確認中』


 という説明は、そろそろ法的に怪しくなってきた。


 道路脇には、すでにファンが何人か集まっている車があった。


 白とオレンジに塗装されたカスタムハッチバック。


 当然のようにヴァナディスカラー。


 後部ハッチは全開。


 中には、少し離れた場所からでも見える大型ディスプレイまで積んである。


 持ち主が周囲へ手招きした。


「配信映るぞー! 詰めて詰めて!」


 私は一度、オカフォーズを振り返った。


 窓越しに、ディーが駐車場を見回している。


 たぶん私を探している。


 厨房の仕込みは終わっている。


 オカフォーさんなら、あとはカルビを焼き続けるだけだ。


 私が地球へ来るよりずっと前からやっている仕事なので、問題ない。


 ホールも。


 まあ。


 今は客がほとんど外へ出ようとしているから、技術的には暇だ。


 ディーなら大丈夫。


 たぶん。


 十分な根拠だ。


 あまり深く考えず、私はハッチバックの周りにできた人混みへ潜り込んだ。


 自然に混ざる。


 どうやら私もヴァナディスファンになったらしい。


 一時的に。


 ドリフトについてきた観客も、ここで止まった。


 ロッテとドッツァの周囲へ集まり、それ以上トレーラーには近づかない。


 賢い。


 有名人へ平然と群がる連中でも、八メートルのB.O.X.が輸送台から起き上がる真横に立つとアスファルトの一部になりかねないことくらいは理解しているらしい。


 ドッツァの五機のドローンが輸送車両の上を飛び回る。


 胸部へ向かうドリフトを、次々違う角度から追っていた。


「もっと下!」


 ロッテが叫ぶ。


「乗り込むとこ絶対切らさないで!」


「カメラ五台あるんだけど!」


「なのに肝心なところ毎回逃すじゃん!」


「仕事辞めたい」


「嘘つけ! やる気が足りないだけ! レインちゃんのお尻とか見てモチベ上げて!」


「いらねえよ。あいつの尻でモチベ上がらねえよ」


「でもリスナーは必要としてんの!」


 ドッツァが真顔でロッテを見る。


「何にだよ。マジで聞いてる」


 いい質問だ。


 別に私が答えを知らないからではない。


 目はちゃんと見える。


 インターネットも使える。


 必要なのは証拠だ。


 客観的な証拠。


 できれば数時間分。


「うるさい! 仕事して!」


 ロッテが逆ギレした。


 答えになっていない。


 怪しい。


 仕方ない。


 あとでドリフトの配信アーカイブを確認しよう。


 徹底的に。


 純粋に検証のためだ。


『ソフィア。コックピットに入る』


 ハッチバックのスピーカーから、ドリフトの声が流れた。


 私は画面を見る。


 いつの間にか、もうトレーラーのデッキまで上がっている。


 しまった。


 乗り込むところを見逃した。


 ……尻も。


『確認したわ。ハッチ開放』


 一拍遅れて、ソフィアの声。


 B.O.X.の胸部装甲が左右へ割れる。


 重い油圧音。


 ドリフトが開いた胸部へ足を踏み入れた。


 体重移動に合わせ、トレーラーのサスペンションが大きく沈む。


 空気が抜ける音。


 そして自動で水平へ戻る。


 ドリフトの姿が胸部の中へ消えた。


 ハッチバックの画面表示が即座に切り替わる。


 いくつもの映像へ分割された。


 中央の大部分を占めるのはドッツァのドローン映像。


 すでに複数アングルを頻繁に切り替えていて、誰かがリアルタイム編集しているみたいだ。


 右下にはドリフトのコックピット映像。


 その横ではハントキャストのコメント欄が、読む暇もない速度で流れている。


 コックピットの中で、ドリフトがパイロットシートへ身体を収める。


 拘束用のエクソフレームが閉じた。


 肩。


 胴。


 腕。


 脚。


 センサーライトが身体を上から下まで走査していく。


 私は一瞬、笑うのをやめた。


 ああ。


 これだ。


 B.O.X.のコックピットは、開いている時だけなら椅子に見える。


 閉じれば違う。


 機械のほうが、人間の身体へ要求してくる。


『こっちの動きについてこい』


 と。


 普通の人間なら。


 まずそこで問題が起きる。


 ドリフトの映像の下へ、同期率のバーが表示された。


 数値が上がる。


 速い。


 94。


 97。


 99。


 緑。


 私は画面を見つめた。


 ……へえ。


 ただ有名なだけじゃないのか。


『ソフィア』


『いるわ、レイン』


『店員さん、もう私のご飯作ってる?』


 一瞬。


 ソフィアの返事が止まった。


『ええ。もう肉を焼いているところよ』


『よかった』


『そうね。だから今は集中しなさい』


『……分かった』


「ふっ。嘘ついた」


 私の周りが静かになった。


 私も静かになった。


 ……。


 あ。


 今の声に出てた。


 何人かが、ゆっくりこちらを向く。


 白とオレンジのジャケットを着た女の子が、目を細めて私を見る。


「……あれ?」


 首を傾げた。


「ドリフトちゃんと話してた料理人さんじゃない?」


 別の子が、私の後ろにあるオカフォーズを見る。


「ご飯作らなくていいんですか?」


「うん」


 みんなが待つ。


 私も待つ。


「……それで?」


「い、いえ……なんでも」


「よろしい」


 私は画面へ向き直った。


「じゃ、見せて」


 一拍。


 隣にいた誰かが聞いた。


「お姉さんもヴァナディスのファンなんですか?」


「もちろんファンだよ」


 驚くほど滑らかに出た。


 困った。


 今度は私が嘘をついている。


 ……。


 いや。


 そうでもないかもしれない。


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