38話目
肺が潰れるような衝撃だった。
避けた。そう思った。だが実際には避け切れていなかった。
オニグマの前脚が脇腹を掠め、そのまま体ごと吹き飛ばされる。
ゴウッ、と景色が流れた。
次の瞬間にはビルの外壁へ叩き付けられ、コンクリートが砕け散る。
「――っ、がぁ……!」
呼吸ができない。息を吸おうとしても肺が動かない。
口の端から血が垂れる。立ち上がろうとして膝が折れた。
視界が揺れる。最悪だ。体がもう言うことを聞かない。
腕も脚も重い。出血のせいか。それとも単純な損傷か。どちらでもよかった。結果は同じだ。
限界が近い。
瓦礫を踏み砕く音が響く。オニグマだった。ゆっくりと近付いてくる。黒い毛皮。血に濡れた巨体。傷だらけだ。
自分が付けた傷もある。
レイナの銃撃。ナツメの援護。ユウトの一撃。
全部残っている。
だが、それだけだった。
歩みは止まらない。速度も落ちない。
むしろ。
「……速くなってるな」
思わず漏れた。最初は大振りだった。力任せだった。
だが違う。今は踏み込みが鋭い。振り抜きが短い。追撃も早い。戦っている内に分かる。こちらの動きを見ているわけじゃない。学習しているわけでもない。ただ最初より力を出している。
それだけだ。
だから余計に質が悪い。
「ふざけんな……」
笑いそうになる。死にかけているのは自分なのに。今まで相手していたのは全力じゃなかった。
そう思わせるだけの差があった。オニグマが前脚を持ち上げる。
終わる。
そう思った瞬間だった。
パンッ!!
乾いた銃声が響く。
オニグマの頭が僅かに揺れた。レイナの銃声だ。
続けて。
シュッ!!ワイヤーが飛ぶ。ナツメだった。
崩れかけたビルの鉄骨へ巻き付き、オニグマの肩を強引に引く。
巨体が僅かに傾く。
その隙に。
「おおおおおおお!!」
ユウトが飛び込んだ。
大剣が振り抜かれる。
狙いは首。
迷いのない一撃だった。
ガギィンッ!!
鈍い音。
血は飛ぶ。だが首ではなく前脚の関節からだった。奇襲に対してしっかりと防御して見せたのだ。
ユウトの顔が青ざめる。オニグマが振り向いた。
巨大な瞳。
殺意。
それだけで新人の体が固まる。
「ッ?!」
「ユウト!!」
レイナの怒鳴り声。
間に合わない。そう思った。
だから、体が勝手に動いた。
「そっちは駄目だろ……!」
痛む腕を無理やり振る。肩が悲鳴を上げる。
肋骨が軋む。それでも双剣を投げた。
黒い刃がオニグマの顔面へ突き刺さる。巨体がこちらを向いた。
成功だ。最悪の成功だった。
「ハヤテ!」
レイナの声。
無視した。
そんな余裕はない。息を切らしながら周囲を見る。
崩れた商店街。傾いたビル。折れかけた支柱。
そして、積み上がった瓦礫。
「……レイナ」
「何」
「ビル落とせるか」
一瞬の沈黙。すぐ理解したらしい。
「ナツメ」
「見てる」
返事は早かった。既に確認していたのだろう。
「南側の二棟」
「支柱が死んでる」
「崩せる?」
「やれる」
淡々とした返答。
だが呼吸は荒い。見れば全員が逃げた時よりボロボロだった。おそらくオニグマが暴れて離れたマガツキ達と交戦したのだろう。ナツメも限界だった。
「待ってください!」
ユウトが叫ぶ。
「それ俺達も巻き込まれませんか!?」
「巻き込まれる」
ナツメが即答する。
「えっ」
「だから走る」
レイナが言った。
当たり前のように。
「崩れる前に逃げるの」
「簡単に言いますね!?」
「簡単じゃないわよ」
レイナの額から汗が落ちる。脚は引きずっている。
肩も上がっていない。それでも銃を構えていた。
「でも他に方法ある?」
ユウトは答えられない。
もうそれしか全員生き残る方法がないからだ。そもそもそれすらかけるにはあまりに確率が低い作戦だった。
しかし、考える暇などない。オニグマが咆哮が聞こえる。
ビルの窓ガラスが砕け、地面が震え、瓦礫が跳ねる。
そして、巨体が再び踏み込んだ。
「準備!」
レイナが叫ぶ。ナツメがワイヤーを撃つ。
ユウトが大剣を握る。ハヤテは血を吐きながら立ち上がる。
全員満身創痍だった。
それでも、まだ誰も諦めていない。
迫る黒い暴力を睨みながら。崩れかけたビル群へ向かって駆け出した。




