36話目
オニグマが迫る。
ハヤテは走った。
逃げるためじゃない。距離を作るためだ。後ろの三人から少しでも引き離す。そのためだけに脚を動かす。
背後で地面が爆ぜた。
振り返らない。振り返る隙もなく先に身体が横へ飛ぶ。次の瞬間、さっきまで走っていた道路が抉れて消えた。
砕けたアスファルトが肩や背中を叩く。
激痛に体が悲鳴をあげるが、確認している余裕はない。
着地と同時に走る。その横を巨大な前脚が薙いだ。
ゴウッ、と空気そのものが唸る。
風圧だけで身体が流される。まともに食らえば終わり。そんなことは最初から分かっていた。死の淵に立つ。
だから止まらない。ビルの壁を蹴。瓦礫を踏む崩れた車両を飛び越え、進路を読ませないように動き続ける。
オニグマが背中に張り付いている。
ただ真っ直ぐに。ただ力任せに。それなのに速い。理不尽だった。
技術も経験も関係ない。強い生き物がそこにいる。それだけで成立する暴力。
「っ……!」
振り向きざまに双剣を振るう。
肩口。
首元。
脚。
届く場所へ刃を置いていく。
だが浅い。黒い血は流れる。
それだけだ。止まらない。怯まない。
傷を付けている感覚より、機嫌を損ねている感覚の方が近い。
嫌になる。それでも斬る。削れる時に削る。
それしかない。
オニグマが立ち上がった。
影が落ちる。
反射的に転がる。
直後。
ドォンッ、と地面が沈んだ。
衝撃が足元から突き上げる。
身体が浮く。
飛び散った瓦礫が全身へ叩き付けられる。
「がっ……!」
受け身もろくに取れず転がった。
肺から空気が抜ける。
視界が揺れる。
立て。
すぐに立て。
心の中で自分を急かす。
脚に力が入らない。視界も揺れる。息を吸うたび肋骨の辺りが軋んだ。
それでも立つ。倒れれば終わる。止まれば終わる。
今ここで自分が潰れれば、その後ろにいる三人へそのまま牙が向く。
その時だった。遠くで銃声。
一発。
二発。
三発。
振り返る。レイナだった。
壁へ身体を預けながら、それでも銃を構えている。泣き出しそうな顔で。それでも撃っている。
馬鹿か。逃げろと言ったはずだ。
その瞬間。
オニグマも反応した。
巨体が僅かに向きを変える。血の気が引いた。
まずい。本当にまずい。
「それじゃ困るんだよ……!」
ハヤテが飛び出す。
意識が途切れている間に解除されていたマガツ化を再起動する。
黒い刃が伸びる。
それを待たずに全力で加速。
「少し気になってたんだよなぁ!!」
背後から飛び乗る。肩口へ剣を突き立てた。
僅かに食い込んだ刃がマガツ化によってさらに伸びる。
傷口を内側から抉るように広げた。
今までで一番大きい傷。それでもオニグマからすれば虫刺され程度だろう。
だが血は出ている。
確かに。
さらにもう一方の剣を突き立てる。
「こいつのマガツ化は回路焼き切れてんだ!」
活性化を無理やり引き上げる。武器全体が軋む。
ユイに怒鳴られるな。そんな場違いな考えが頭を過った。
かつて青白い刃を形成した機構が悲鳴を上げる。原理はエストックと同じ。
あれは制御された爆発。
これは暴走だ。
「だから限界なんて知ったことか!!」
刃がさらに膨張する。傷口の内側で暴れるように。黒い血が飛んだ。目的果たし、武器を引き抜いてオニグマの後方へ降りる。
オニグマが咆哮する。怒りと殺意。
それだけで肌が粟立つ。
死神の鎌を首筋へ押し当てられたみたいだった。呼吸が浅くなる。身体が震える。
普通に怖い。
それでもハヤテは息を吐いた。血の味がする。腕も痺れている。肋骨も怪しい。
それでも笑った。誰がための命か。
ハンターを目指した時には、とっくに覚悟している。
「俺だ」
双剣を構え直す。
「俺を見ろ」
オニグマが突進する。
そしてハヤテは気付く。ユウトがレイナを抱えて走り出す。まだ距離が足りない。
このままではレイナ達が逃げ切れない。
なら、もっと遠くへ連れて行くしかない。
ハヤテは廃ビル群の奥へ走った。
オニグマが追う。地面を砕きながら、怒涛の勢いで。




