35話目
オニグマが地面を砕く。
一直線だった。逃がさない。
そう言わんばかりの速度で迫る巨体に、レイナは舌打ちを飲み込んだ。
「左!」
短い指示に全員が散る。
轟音と共に道路が抉れた。さっきまでユウトがいた場所が消し飛んでいる。
「ワイヤー!」
「ふっ!」
ワイヤーが飛ぶ。
ビルの外壁。街灯。崩れた鉄骨。
次々と固定され、まるで蜘蛛の巣のようにオニグマの進路へ張り巡らされていく。
大型種相手の足止め。本来なら十分に機能するはずだった。
だが。
ブチブチブチッ!!
オニグマは止まらない。
ワイヤーが千切れる。鋼線がまるで糸みたいに弾け飛んだ。
「マジかよ……」
ハヤテが顔をしかめる。力だけではない。速度も硬さもある。
その上で、あの巨体。冗談みたいな性能だった。
レイナの銃撃が響く。
立て続けに打ち続け、銃身が赤く熱を帯びていく。
着弾。
しかし足は止まらない。僅かに軌道が逸れるだけ。それでもレイナは撃ち続ける。
止めるためじゃない。狙いを散らすためだ。
「ユウト! 前見る!」
「はい!」
「止まらない!」
「はい!!」
ユウトは返事だけは即答だった。声が震えている。だが足は止まらない。
恐怖で固まっていた昨日とは違う。ちゃんと前へ進んでいる。やるべきことをわかっている。
その姿を見て、ハヤテは少しだけ安心した。だからこそ。嫌な予感が強くなる。
オニグマが突然向きを変えた。
「ッ!」
レイナが反応する。
狙いは自分。効いているかも変わらない自分の銃撃はしっかりと役割を果たしていた。予想と違うのはその切り返しの鋭さだった。
飛び退く。間に合わない。
前脚が振り抜かれた。オモチャの如くレイナの身体が吹き飛ぶ。
「副隊長!」
ユウトの叫び。
壁へ叩き付けられたレイナが地面へ転がる。立ち上がろうとして――止まった。
右脚が赤く染っている。
力が入っていない。
「チッ……」
小さな舌打ち。それだけでハヤテは理解した。
折れたか。少なくともまともには動けない。
オニグマは追撃へ移る。ハヤテは向きを変えて走り出しているが、距離があった。
そこへナツメが飛び込んだ。
ワイヤー射出。鉄骨へ固定。身体ごと振り子のように飛ぶ。
珍しく荒い。いつものナツメならやらない距離だった。
「こっち見ろ」
短剣が閃く。
目元を掠める。
オニグマの視線が動いた。
だが、次の瞬間には巨大な腕が振り上がる。
「ナツメ!」
レイナが叫ぶ。間に合わない。
ハヤテの頭の中で何かが切り替わる。
勝てない。それは分かる。ここにいる全員が分かっている。問題は別だった。このままだと全員帰れない。
レイナも。ナツメも。ユウトも。誰かを切り捨てるなら。優先順位は決まっている。元々そういう役目だ。独立。単独行動班。最悪の状況で切り離される前提の存在。
迷いは無い。考えるべきは自分がどれだけ持たせられるか。
ハヤテは息を吐いた。不思議と頭は冷えている。恐怖もある。痛みもある。
それでも計算はできる。
「ユウト!」
「はい!」
「ソイツら連れて走れ!」
「え――」
「いいから行け!」
怒鳴る。ユウトが固まる。
その瞬間、ハヤテが地面を蹴った。
双剣が唸る。マガツ化。黒い刃が伸びる。
全力。今出せる全部。
「こっちだクソ熊!!」
斬撃。オニグマの肩口へ叩き込む。
浅い。だが十分だった。黒い瞳がこちらを見る。
殺意が向く。
その瞬間、ハヤテは笑った。たった1週間程度で忘れていた。アヤメが、シドウが、カグラが居た戦場に慣れてしまっていた。
こんな無茶な役回りは当たり前だった。誰かの代わりに前へ出る。誰かを逃がすために残る。
独立になる前から。
ずっと。
「走れ!」
背後へ叫ぶ。
そしてオニグマが咆哮した。まるで獲物を見つけた獣みたいに。




