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裂界の帰還者  作者: 霞山 大和
遠征編
34/44

34話目

 黒い巨体が、ゆっくりと立ち上がった。

 崩れた商業施設の向こう。最初は瓦礫の山だと思っていたものが動く。

 黒い毛皮に盛り上がった肩と異様に発達した前脚。

 そして背中から突き出した、骨の棘。

 距離はまだある。それでも存在感だけが異常だった。

 ユウトが息を呑む。

「……でか」

 小さな呟き。

 誰も笑わない。ハヤテは双眼鏡を下ろした。レイナも黙っている。

 その横で、ナツメが端末を何度も操作していた。

「心当たりあるのか?」

 ハヤテが聞く。ナツメは少しだけ考える。

「断定はできない」

「つまりあるんだな」

「熊種」

 ナツメが視線を上げた。

「オニグマ」

 レイナの眉が僅かに動く。

「その名前、どこかで」

「数回、支部が幾つか協力して倒してる」

 ナツメが続ける。

「遭遇報告も少ない」

「少ないだけ?」

「帰還率が低いから。それ以上は分からない」

 その言葉でユウトが固まった。ハヤテは再び巨体を見る。

 相手はまだ動いていない。ただこちらを見ている。まるで観察するように。

「……ネームド」

 ナツメは首を横に振った。

「でも候補だと思う。オニグマは過去にもネームドになってる」

 曖昧な答えだった。

 だが、その曖昧さが逆に嫌な予感を強める。ネームドではない。そう断言できる情報もないのだから。

「どうする?」

 レイナが聞いた。ハヤテは少し考える。

 撤退。それが最善だろう。

 未知の大型、情報不足、目的は調査だ。討伐ではない。この間と一緒、シドウならどう判断するか。

「近付かずに――」

 その時だった。オニグマが動いた。

 一歩。それだけで地面が沈む。

 次の瞬間。黒い巨体が消えた。

「は?」

 ユウトが漏らした。

 違う。速すぎて見失っただけだ。

「散れ!!」

 レイナの声。全員が反射的に飛ぶ。

 轟音。さっきまで全員がいた場所へオニグマが着地した。道路が陥没する。コンクリートが弾け飛ぶ。破片が雨のように降り注いだ。

 ユウトが転がる。ナツメがワイヤーで建物へ飛び移る。ハヤテは着地と同時に双剣を抜いていた。

 考えるより先だった。敵の速度を知る必要がある。踏み込む。オニグマの懐へ。

 双剣が閃く。前脚を狙った。

「カタッ!」

 そんな生易しい感想ではなかった。

 双剣が前脚へ食い込む感触がない。ほとんど毛皮を押すだけ、刃先が数センチ沈んだだけで止まる。全力ではないにしろ。過去に無い手応えだった。

「――ッ!」

 ハヤテは即座に飛び退いた。

 次の瞬間。オニグマの前脚が振り抜かれる。

 爆風と共にさっきまでいた場所の地面が抉れ飛んだ。

 瓦礫が砲弾みたいに飛んでくる。双剣で弾く。

 ただの石ころのはずなのに、砲撃を受けているみたいだった。

「ハヤテ!」

 レイナの声。

「無理に張り付くな!」

「分かってるっての!」

 返しながら距離を取る。

 分かっている。こいつは大型も大型。耐久はそもそもが高はず。そのうえで硬く、素早い。厄介なのは誰からも変わらないが、とりわけ自分の苦手分野。

 オニグマは追撃しなかった。黒い瞳がじっとこちらを見ている。まるで様子を窺うように。

「……強者の余裕か?」

 イラ立ちを隠せずに思わず漏れる。その違和感はハヤテだけではなかった。建物上へ移動したナツメも険しい顔をしている。

「レイナ、嫌な感じがする」

「奇遇ね」

 レイナも銃を構えたまま答えた。

 その時、オニグマが動く。今度はハヤテではない。ユウトだった。

「ッ!」

「無差別かよ!」

 巨体が一直線に突っ込む。ユウトの顔が強張る。避ける。だが遅い。経験不足。反応できても身体が追いついていない。

「ユウト!」

 レイナが撃つ。

 銃弾が肩へ着弾。しかし止まらない。

 ハヤテは地面を蹴った。考えるより先だった。

 ユウトを突き飛ばす。

 そのまま割り込むように双剣を交差した。

 受ける。いや、流す。

 致命打は避けなければならない。ここで離脱しては庇ってくれる仲間諸共だ。


 次の瞬間。前脚が落ちる。

「分かってりゃ対処可能だ!」

 重いとわかっていればそれに耐えるようにするだけ。自分の力量の許容範囲内であれば、ハヤテは即座に対応してみせた。前脚の攻撃をいなしきり、反撃のかまえをとろうとした。だが、目の前に黒い塊が迫っていた。

「――は?」

 咄嗟に防御姿勢をとるが、さっきよりも強烈な衝撃が襲ってきた。

 理解が追いつかない。

 重い。そんな言葉じゃ足りない。

 押されたんじゃない。潰された。双剣ごと腕が弾かれる。踏ん張った足が浮く。

 視界が回転する。

 まずい。そう思った時にはもう遅かった。

 身体が吹き飛び、ビルの壁へ激突。コンクリートが爆ぜた。

「がっ……!」

 肺から空気が全部抜ける。

 呼吸ができない。視界が白く染まる。

 痛みより先に走ったのは、冷たい感覚だった。

 死ぬ。

 そう頭に浮かんだ瞬間には身を捩り、無意識に吹き飛んだその場から飛び退いていた。

 オニグマがいた。

 目の前。いつ移動したも変わらない。巨大な腕が振り抜かれていた。

 衝撃で何度か地面を転がり、天地がぐちゃぐちゃになっている。次の攻撃はもう避けられない。そう悟り身を丸め次の衝撃に備えた。

 その瞬間、ワイヤーが飛んだ。

 ナツメだ。

 鉄骨へ巻き付き、一気に引く。オニグマの肩が僅かにズレる。

 ほんの僅か。それだけだった。だが十分だった。振り下ろされた腕がハヤテの横を通過する。

 地面が消し飛ぶ。

 衝撃で再び吹き飛ばされた。

「ハヤテ!」

 レイナが叫ぶ。

 いや、それ以上に叫んだのはユウトだった。ハヤテを抱えて走り出す。

「大丈夫ですか!?」

「……何とか。それより攻撃はじたはず、何だった?」

 口の中に鉄の味を感じながら、ユウトへ問いかける。

「シッポです。ナツメさんがオニグマにしては長いって」

「なるほど、黒くて見逃したか」

 油断はなかったはずだ。だが、事実として肋骨も何本か怪しい。それでも視線はオニグマから外さない。

 そして気付く。ナツメの表情。珍しく余裕がない。

「ナツメ」

「なんだ」

「どう思う」

 返事は早かった。

「最悪」

 即答だった。

「ただの大型種じゃない」

「……」

「オニグマの特徴とも若干ズレるし、何より強すぎる」

 ナツメが唇を噛む。

「これがネームドじゃ無かったら世界を疑うよ」

 ユウトを見る。次にレイナ。

 そしてハヤテ。順番に観察していた。それを理解した瞬間。

 ハヤテの背中に冷たいものが走る。新人の頃を思い出す。大型相手に手も足も出ずにボロ雑巾にされた記憶。あの時はアオバ教官が助けてくれた。

「レイナ」

 ハヤテが低く言う。

「撤退した方がいい」

 レイナは少しだけ目を見開いた。

 珍しかった。ハヤテからその言葉が出るとは思わなかった。

 だが次の瞬間には頷いていた。

「既に方法を考え中よ」

 即答。迷いがない。

「ナツメ」

「撤退ルートはある」

「確保して」

「もうやってる」

 そしてレイナはユウトを見る。

「ユウト」

「は、はい!」

「今から走る」

「はい!」

「何があっても振り返るな」

 ユウトが息を呑む。意味は分かる。つまり誰かが殿をやる可能性がある。

 そういう話だ。ハヤテも理解していた。だから口を開く。

「援護で何発か頼む。あとは」

「却下」

 レイナが被せた。

「まだ最後まで言ってないだろ」

「言う内容は分かる」

 冷静だった。怒っていない。だから余計に反論しづらい。

「全員で帰る」

 レイナが言う。

「そのために今、全員で動いてる」

 正しい。戦える相手ではない。

 ハヤテも分かっている。

 だが、オニグマが再び動いた。

 その瞬間、ナツメの顔色が変わる。

「レイナ」

「分かってる」

 その言葉と同時に。

 黒い巨体が地面を砕いた。

 一直線今度は逃がさない。

 そう言わんばかりの速度でオニグマが迫っていた。

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