レイルの選択
詰所を後にして、マーサと二人で村へ戻る。
「…………」
「…………」
さっきから二人とも何も話していない。
行きより重い空気が流れている気がする。
「……ばあちゃん」
「何だい」
「どう思う?」
「さあね」
「さあねって……」
マーサが足を止めた。
レイルも止まる。
「あんたはどうしたいんだい?」
「それが分からないから聞いてるんだけど」
「じゃあ、あたしが行けと言ったら行くのかい?」
「……分かんない」
「行くなと言ったら?」
「…………」
答えられない。
マーサは再び歩き始めた。
「自分でも決められないことを、人に決めてもらおうとするんじゃないよ」
「厳しくない?」
「17にもなった孫を甘やかす趣味はないね」
「さすがばあちゃん」
「褒められてる気がしないよ」
「やっぱり?」
少しだけ、いつもの調子に戻った。
◇
家へ戻る。
いつもの家。
いつもの机。
いつもの椅子。
レイルは椅子に座ったまま、ぼんやりと部屋を眺めていた。
ここで生まれて、ここで育った。
正確には、生まれた時のことなんて覚えていないけれど。
物心ついた頃には、マーサがいた。
父と母がいた。
村のみんながいた。
何もない村だ。
でも、それを嫌だと思ったことはない。
「ほら」
目の前に皿が置かれる。
「食べな」
「……うん」
いつもの夕食。
野菜の煮込みとパン。
「いただきます」
二人で黙って食べる。
「ばあちゃん」
「何だい」
「俺の力って、そんなにすごいのかな」
マーサの手が止まった。
「さあね」
「またそれ?」
「あたしは魔素操者じゃないからね」
「でも、昔会ったことあるんだろ?」
「あるよ」
「その人も強かった?」
マーサは少し考える。
「強かったね」
「戦ったところ見たの?」
「そういう意味じゃないよ」
「じゃあ、どういう意味?」
「さあね」
「今日それ多くない?」
マーサは答えず、スープを口へ運んだ。
レイルは自分の手を見る。
今日、初めて人を殴った。
しかも、風まで使って吹き飛ばした。
あれだけ飛ぶとは思わなかった。
いや、そもそも飛ばそうと思ったわけでもない。
身体が動いて、気づいた時には風まで動いていた。
「俺さ」
「うん」
「今日まで、風が使えることなんて大したことじゃないと思ってた」
「そうかい」
「便利だとは思ってたけど」
薪を運ぶ。
高い枝から木の実を落とす。
狩りをする。
走る。
その程度。
「でも、国が管理するくらい珍しくて」
レイルは手を握る。
「戦場を変えることもあるって言われた」
マーサは黙って聞いている。
「なんか急に怖くなった」
「何がだい?」
「自分が」
口にしてから、少し違うと思った。
「……いや」
考える。
「自分っていうより、この力が」
「そうかい」
「ばあちゃんが隠せって言ってた意味、やっと分かったかも」
マーサはしばらく何も言わなかった。
「レイル」
「何?」
「あんたが力を隠していたのは、あたしが昔から力を隠せと言っていたからだろう?」
「そうだよ。散々言われてたからね」
何度きつく言われたか分からない。
「今までは、それでいいと思ってた」
「今は?」
「今も間違ってたとは思ってないよ」
はっきりと言った。
「子供だったあんたが、自分の力の意味も分からないまま人前で使えば、何が起きるか分からなかった」
「うん」
「力を欲しがる人間もいる。怖がる人間もいる。妬む人間だっている」
「…………」
「だから隠させたのさ」
マーサがレイルを見る。
「でもね」
少しだけ声が柔らかくなる。
「あんたはもう、力の意味を考えられない子供じゃない」
「…………」
「今日だって、あたしが殴られた時、隠しておくことより助けることを選んだんだろ?」
「それは……」
「馬鹿だけどね」
「やっぱり?」
「大馬鹿だよ」
「そこまで?」
マーサは少し笑った。
「でも、あんたが自分で決めて使った力だ」
「自分で……」
レイルは呟く。
あの時、考える暇なんてなかった。
でも、止められなかった。
マーサが殴られるのを見て、隠すことより助けることを選んだ。
「これからは」
マーサが言う。
「隠すかどうかも、使うかどうかも、あんたが自分で決めな」
「…………」
「あたしとの約束を理由にするのは、もう終わりだよ」
レイルは何も言えなかった。
ずっと、人前で使わないのが当たり前だった。
それが急になくなった。
自由になった。
はずなのに。
思ったより、ずっと重かった。
◇
夜。
レイルはベッドに寝転んでいた。
眠れない。
窓の外から虫の声が聞こえる。
何度も寝返りを打つ。
リシアについていく。
そうすれば村の外へ出る。
魔素操者について知ることができる。
自分と同じような人間にも会えるかもしれない。
知らない国。
知らない町。
知らない景色。
少し、楽しそうだと思った。
でも、村を離れる。
マーサを一人にする。
父と母が帰ってきても、自分はいない。
「…………」
また寝返りを打つ。
その時、ふと思った。
父と母。
二人とも、自分が手がかからなくなった頃から研究所で暮らすようになった。
好きなことを追いかけて、村の外へ出た。
もちろん今でも手紙が来る。
何か月かに一度は帰ってくる。
それでも、二人は自分たちのやりたいことを選んだ。
「……俺は?」
天井を見る。
自分は何がしたい。
リシアを女王にしたい?
まだ分からない。
国を守りたい?
話が大きすぎる。
魔素操者として戦いたい?
嫌だ。
なら。
行きたくないのか。
「…………」
違う。
その答えだけは、妙にはっきりしていた。
行きたくないわけじゃない。
怖い。
不安だ。
でも、村の外を見てみたい。
自分の力が何なのか知りたい。
他にも自分と同じような人間がいるのなら、会ってみたい。
それに、リシアが何をするのか。
少しだけ見てみたい。
「……そっか」
悩んでいるように思えて、不思議なくらい簡単なことだった。
レイルはベッドから起き上がる。
部屋を出ると、まだ居間には明かりがついていた。
マーサが椅子に座っている。
「ばあちゃん」
「決まったのかい?」
「……何で分かったの?」
「何年あんたを育てたと思ってるんだい」
「怖いな」
「で?」
マーサがレイルを見る。
レイルは少しだけ迷って、それから言った。
「俺、行ってみる」
「そうかい」
「…………」
「…………」
「それだけ?」
「何て言ってほしいんだい」
「いや、もっとこう……あるだろ」
「例えば?」
「寂しいとか」
「寂しいよ」
即答された。
レイルが黙る。
マーサも少しだけ黙った。
「でもね」
マーサが言う。
「あたしが寂しいからって、あんたがここに残る理由にはならないよ」
「…………」
「行っておいで」
その言葉に、胸の奥が少しだけ詰まった。
「……うん」
「ただし」
マーサの目が鋭くなる。
「手紙は書きな」
「分かった」
「怪我するんじゃないよ」
「気を付ける」
「リシア殿下に迷惑かけるんじゃないよ」
「がんばる」
「あと」
「まだあるの?」
「ちゃんと食べな」
「ガルムいるから大丈夫じゃない?」
「自分でも料理覚えるんだよ」
「はい」
「それから――」
「多くない!?」
マーサが笑う。
レイルも笑った。
しばらくして、レイルは窓の外を見る。
暗い村。
見慣れた景色。
明日、ここを出る。
そう思うと、急に何もかもが違って見えた。
怖くないと言えば、嘘になる。
それでも、自分で決めた。
「ばあちゃん」
「何だい」
「行ってくるよ」
マーサは少しだけ笑った。
「ああ」
そして、いつものように笑顔で答えた。
「行っておいで」




