魔素操者 〜エレメンタ〜
翌朝。
レイルは、いつもより少し遅く目を覚ました。
「……眠い」
昨夜、食べすぎた。
猪肉が思った以上に美味かったのが悪い。
グラムが香草と一緒に焼いた肉は、悔しいことにかなり美味かった。
「グラム、料理人でもやればいいのに……」
欠伸をしながら着替え、家の外へ出る。
「おはよ――」
言葉が止まった。
グラムがいた。
上半身裸で。
大きな丸太を肩に担いでいる。
「ふっ」
持ち上げる。
下ろす。
また持ち上げる。
「…………何してるの?」
「鍛錬だ」
「丸太で?」
「ああ」
「朝から?」
「ああ」
「そう……」
昨日の猪の件もある。
もう突っ込むのはやめよう。
「おはようございます」
横からリアがやってきた。
顔色もよく、もう体調は問題なさそうだ。
その手には籠がある。
「何それ?」
「マーサさんに卵をいただいてくるよう頼まれました」
「どこから?」
「村の……」
リアが止まる。
「…………」
「大丈夫?」
「……色々散歩してみます」
「……一緒に行くよ」
「すみません」
少し進んでから、レイルは振り返った。
「グラム! それ終わったら朝飯だからな!丸太投げて家壊すなよ!」
「善処する」
「そこは言い切ってくれよ!」
リアがくすくす笑った。
◇
朝のハルネ村は早い。
畑へ向かう者、家畜に餌をやる者、井戸へ水を汲みに行く者。
リアはそんな光景を珍しそうに眺めていた。
「あ、レイル兄ちゃん!」
村の子供たちが走ってくる。
「その人誰?」
「旅人。うちに泊まってる」
子供たちの視線がリアへ集まった。
「きれい」
「髪長い」
「レイル兄ちゃんのお嫁さん?」
「違う!」
即答した。
リアの顔が赤くなる。
「お、お嫁さん……」
「違うから!」
「レイル兄ちゃんも顔赤い!」
「赤くない!」
子供たちは笑いながら走っていった。
「ったく……。ごめんな」
「い、いえ」
少しだけ気まずい沈黙が流れる。
「……行くか」
「はい」
二人の歩く速度が、少しだけ速くなった。
◇
卵を受け取り、家へ戻ろうとした時だった。
遠くから馬の蹄の音が聞こえた。
村の入口から、数頭の馬が入ってくる。
乗っているのは、鎧を身につけた男たちだった。
「兵士?」
ハルネ村に兵士が来ること自体はある。
だが、珍しいことには違いない。
隣を見る。
リアの表情が変わっていた。
「どうした?」
「……いえ。でも、早く戻りましょう」
リアの手は、籠の取っ手を強く握っていた。
◇
「グラム。兵士が来ています」
家へ戻るなりリアが言った。
グラムの表情が変わる。
「何人だ」
「見えたのは五人です」
レイルは二人を見る。
「……やっぱり兵士が来るとまずいの?」
リアが口を開く。
「私たちは――」
「リア」
グラムが止めた。
やはり普通の旅人ではないようだ。
それでもレイルは、それ以上聞かなかった。
「やれやれ……」
マーサが口を開く。
「あんたたちはここにいな。面倒ごとは避けたいんだろう?」
「すまない」
「レイル、行くよ」
「うん」
そうして二人で家を出た。
◇
村の中央には、五人の兵士と数人の村人たちが集まっていた。
先頭に立つのは三十代ほどの男だ。
他の四人より装備が少し立派だった。
「この村の周辺で、妙なことは起きていないか?」
「妙なこと?」
「突然火が出た。不自然な場所に水溜まりができた。不可思議な形の岩を見た」
一拍置く。
「風が、不自然な動きをした…などだ」
レイルの身体が固まった。
隣にいたマーサが、ちらりとこちらを見る。
「隊長さんよぅ、風に自然も不自然もないだろう」
村人の一人が笑う。
だが、兵士たちは笑わなかった。
「通常の風ではない。人の意思に従う風だ」
人の意思に従う風。
それは。
自分のことではないのか。
「我々は、魔素操者を探している」
聞いたことのない言葉だった。
「何それ?」
思わず聞いてしまった。
「魔素を直接操ることのできる者のことだ」
「魔素?」
「何も知らないんだな。魔導具にも使われている、この世にある力の源のようなものだ。魔素操者はそれを使い、火や水、風などを操ることができるんだ」
レイルは自分の右手を見る。
風。
自分は昔から風を操れる。
「それって……」
言いかけて止める。
「最近、我々はこの地域で魔素操者と思われる人物を追っている」
兵士の声が響く。
「その調査の途中、この村について妙な話を聞いた。昔から、この周辺では時折、不自然な風が吹くそうだな」
村人たちが顔を見合わせる。
「そんな話あったか?」
「森で変な突風が吹いたとか聞いたような」
「畑の藁が一か所に集まってたこともあったな」
レイルは青ざめた。
心当たりがある。
いや、かなりある。
自身の力に気付いた当初の自分は、今ほど慎重ではなかった。
マーサがレイルの腕を軽くつつく。
見ると、前を向いたまま。
余計なことを言うんじゃないよ。
そう言っているのが分かった。
レイルは小さく頷いた。
◇
兵士たちはそれぞれ村人への聞き込みを始めた。
「昨日、森の方で大きな音がしたというのは本当か?」
「ああ、それなら猪が出たらしい。だろ?レイル」
村人の一人がレイルに話を振る。
「なんでも旅人が素手で投げ飛ばしたとか」
「何?」
兵士の視線がレイルへ向いた。
「旅人だと?」
「ああ。でも、今朝方にはもう旅立ってったよ」
レイルは咄嗟にそう答えた。
自分でも驚くほど、すんなりと嘘が出た。
「どこから来た」
「知らない」
「どこへ向かった」
「知らない」
「一人だったか」
「うん」
「そいつの名は?」
「グラムだって」
「グラム…」
兵士の眉が僅かに動く。
「お前の名前は」
「レイル」
「歳は」
「17」
「この村の生まれか」
「うん」
「森にはよく入るのか」
「たまに」
「不自然な現象を見たことは」
「ないよ」
また、嘘をついた。
胸の奥がざわつく。
別に悪いことをしたわけではない。
風を使える。
それだけだ。
それなのに、なぜか言ってはいけない気がした。
マーサに昔から言われてきた言葉が浮かぶ。
便利だから欲しがる人間がいる。
自分にはないから妬む人間もいる。
怖がる人間だっている。
この兵士たちは、自分のような人間を見つけてどうするつもりなのだろう。
「手を出せ」
「え?」
兵士が腰の袋から、小さな板のようなものを取り出した。
中央には半透明の石が埋め込まれている。
「何それ?」
「周囲の魔素の乱れを見るための魔導具だ」
「それで何か分かるの?」
「人が触れると魔導具内の魔素に反応し光る」
そう言いながら兵士が触れると石が淡く光った。
「魔素操者なら、この光が強く出るらしい」
「らしい?」
「俺も実際に見たことないからな。光り方も個人差もある」
「ふーん……」
レイルは魔導具を見る。
触りたくない。
自分が触れたら強く光る可能性は大いにある。
自分が風を操れることだけは事実なのだから。
「早くしろ」
でもここで逃げる方が怪しい。
レイルは仕方なく手を伸ばした。
指先が中央の石に触れる。
ぼうっ。
淡い光が灯った。
さっき見た光よりは少し強い…気がする。
「ん?」
思わず手を離す。
兵士が魔導具を見つめる。
「……もう一度だ」
「何で?」
「いいから触れろ」
渋々、もう一度触れる。
再び淡い光が灯った。
兵士の目つきが変わった。
「反応が少し強いか……?」
レイルの心臓が跳ねた。
「そ、そう? 兵士さんと同じくらいじゃない?」
「……だが、この村では不自然な風の報告があるからな」
嫌な汗が背中を伝った。
「偶然かもしれないだろ」
「ああ。偶然かもしれん」
そう言いながらも、兵士の視線はレイルから外れない。
「もう一度聞く。本当に何も知らないんだな?」
「知らない」
完全な嘘だった。
「もういいだろ」
マーサが前へ出た。
「ばあちゃん」
「その道具でも分からなかったんだろ?だったら、この子は関係ないよ」
「関係がないかどうかを決めるのは我々だ」
「随分と偉そうだね」
マーサはレイルを背中へ押した。
小さな背中だった。
自分よりずっと小さい。
なのに、こういう時だけは妙に大きく見える。
「この子は、あんたらが探してるような人間じゃないよ」
「なぜ、そこまで言い切れる?」
「17年、一緒に暮らしてるからさ」
「なら、なぜそこまで必死に庇う?」
「ばばあが可愛い孫を庇って何がおかしいんだい」
兵士とマーサが睨み合う。
その時だった。
ひゅっ。
風が吹いた。
レイルの髪が揺れる。
マーサの服が揺れる。
「……あ」
一瞬。
ほんの一瞬。
だが確実に、マーサから兵士に向かって強い風が吹いた。
ただの風だ。
何もしていない。
本当に。
何もしていない。
だが、兵士は確信したと言わんばかりの表情でこちらを見ている。
「今の風は、何だ?」
「知らないよ」
嘘ではない。
「風なんて突然吹くものだろ」
兵士は答えなかった。
その言葉を聞いたマーサだけが、ほんの一瞬。
頭を抱えたそうな顔をした。




