↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/24

森へ



「暇です」




朝食を終えてしばらくした頃、リアが唐突にそう言った。




「病人なんだから暇でいいんだよ」




レイルは家の前で弓の弦を確かめながら答える。

昨日より顔色は良く、熱もすっかり下がったらしい。




「もう病人ではありません」

「昨日まで熱出してたじゃん」


「もう治りました」

「ばあちゃんが今日までは大人しくしてろって」


「大人しくはしています。でも暇です」

「どういうこと?」


「暇なのと大人しくするのは別です」




妙なところで言い切る。




「それで、レイルは何をしているんですか?」

「弓の手入れ」


「それは見れば分かります」

「昨日の仕返し?」


「何のことでしょう」




リアは涼しい顔をしている。

意外と根に持つタイプなのかもしれない。




「これから森に行くんだよ。罠の確認と薬草採り。あと薪」

「私も行きます」


「駄目」

「なぜですか?」


「病み上がりだから」

「もう治りました」


「ばあちゃんが駄目って言う」

「マーサさんには、もう聞きました」


「え?」

「無理をしなければいいそうです」




先回りされていた。




「グラムは?」

「許可をもらいました」


「そっちも?」

「はい」




リアが少し得意そうに笑う。




「……準備よすぎない?」

「暇でしたから」




なるほど。本当に暇だったらしい。




「じゃあ、グラムと行けば?」

「もちろん俺も行く」




背後から低い声がした。




「うわっ!」




振り返ると、グラムが立っている。




「だからなんで足音しないの!」

「すまんな」

「謝る気ないだろ」




グラムは答えなかった。

その手には大きな籠がある。

どうやら最初から一緒に行くつもりだったらしい。




「何でグラムまで?」

「護衛だ」


「護衛……? ずいぶん大層な言い方だね」




一瞬、グラムとリアが止まった。




「……念のためだ。森には危険な獣もいる。リアも病み上がりだからな」

「まあ、それはそうだけど」




少し引っかかったが、深く考えるほどでもない。




「じゃあ行くか」

「はい」




リアが嬉しそうに立ち上がった。





◇





ハルネ村のすぐ近くには、大きな森がある。


レイルにとっては庭のような場所だった。

幼い頃からマーサに連れられ、薬草や木の実の見分け方を教わった。



少し大きくなってからは父に弓を教わり、今では一人で狩りにも入る。


もっとも、父の腕前は散々だった。

一緒に狩りへ出た時、




『理論上は今ので当たるはずなんだけどなぁ……』




と、外した矢を眺めながら真剣に首を傾げていたのを覚えている。




「ここから足元気をつけて。この辺、根っこ多いから」

「大丈夫です」




言った直後。




「きゃっ」




リアの身体が傾いた。

レイルが咄嗟に腕を掴む。




「ほら」

「…………」


「大丈夫?」

「大丈夫です」


「顔赤くない?また熱?」

「違います!」




なぜか怒られた。

後ろを見ると、グラムが何も言わずこちらを見ている。




「何?」

「いや」


「怖いんだけど」

「気のせいだ」


「絶対うそだ」




リアがレイルの手を離した。




「もう大丈夫ですから」

「ならいいけど」




今度は慎重に歩き始める。

しばらく進んだところで、レイルが地面の草を指差した。




「これ、昨日リアが飲んだ薬にも入ってる」

「これが……」




リアがしゃがみ込んで葉を見る。




「食べてみる?」

「苦くないですか?」


「意外と美味しいよ」




リアが手を伸ばす。




「噓」




ぴたりと止まった。




「薬より苦いからやめた方がいい」

「…………」


「リア?」

「覚えておきます」


「何を?」

「色々とです」


「怖いって」

「自業自得だ」




後ろからグラムの声が飛んできた。





◇





しばらく歩き、レイルは仕掛けておいた罠を確認した。




「……駄目か」




罠は空だった。餌だけがなくなっている。




「狩りって、もっと弓で獲物を追いかけるものだと思っていました」

「それもするけど、罠の方が楽だし」


「レイルは意外と怠け者なんですね」

「効率的って言って?」


「同じでは?」

「全然違うよ」




リアが笑う。


畑仕事もできない。

森にも慣れていない。

それに、言葉遣いや立ち振る舞いも妙に上品だ。




「リアってさ、結構いいところのお嬢様だったりする?」




リアの肩がわずかに揺れた。




「な、なぜですか?」

「何となく」


「普通です。普通の……娘です」

「ふーん」




明らかに怪しい。

グラムを見ると、なぜか木の幹を見つめていた。


絶対に聞こえているはずなのに。




「まあいいけど」

「……聞かないんですか?」


「言えないんだろ? そのうち言えるようになったら教えてよ」




リアは少し驚いたようにレイルを見てから、小さく笑った。




「はい」


 




◇





森の奥へ進み、薬草も十分に集まった。

グラムの籠には大量の薪が積まれている。




「グラム、それ全部持つの?」

「ああ」


「重くない?」

「問題ない」


「持ってみていい?」




グラムが籠を地面へ置く。

レイルが持ち手を掴み、力を込めた。




「ふっ……!」




持ち上がらない。


もう一度力を込め、ようやく少しだけ浮いた。




「重っ!」




グラムはそれを片手で持ち上げた。




「嘘だろ」

「何がだ」


「何がって……。リア、グラムって何してる人?」

「父親です」


「それは仕事じゃないよ」

「…………」


「今考えてる?」

「考えていません」




怪しい。


とても怪しい。




その時だった。




がさっ。





少し離れた茂みが揺れた。




「待って」




レイルは背負っていた弓を手に取り、矢を一本抜いた。

グラムはすでに茂みの方を見ている。


低い唸り声。




「……猪かな」




普通の猪なら、下手に刺激せず距離を取ればいい。

だが、茂みから現れたものを見て、レイルは眉をひそめた。




「でか……」




レイルの腰ほどまである巨体に黒い毛。

口から二本の牙を伸ばし、鼻息を荒くしながらこちらを睨んでいる。




「グラム。リアを連れて下がって」




レイルが弓を構える。




「お前は?」

「こういうのは慣れてる」




本当は少しだけ強がった。


この大きさの猪を一人で相手にしたことはない。


だが、リアは病み上がりだ。

逃げるなら先に逃がした方がいいだろう。



猪が地面を蹴る。

来る。

レイルは矢を引いた。


狙うなら目か。

外したらその時は。



風を――。



使う?


グラムとリアがいる。


駄目だ。見られる。


だが、もし突っ込んできたら。



そんなことを考えた、一瞬だった。

猪が走り出す。




「レイル!」

「大丈夫!」




弦から指を離そうとした瞬間、レイルの横を何かが通り過ぎた。




「え?」




次に見えた時には、グラムが猪の前にいた。




「は?」




いつ動いた?

猪が突進する。




「グラム!」




グラムは身体を僅かにずらし、牙をかわす。

そして、その首へ片腕を回した。




「……ふん」




次の瞬間。

猪の巨体が宙に浮いた。




「は?」




どんっ!

猪が地面へ叩きつけられ、土が跳ねる。

数度足をばたつかせた後、動かなくなった。


静かになって、鳥の声だけが聞こえる。

レイルは弓を構えたまま固まっていた。




「…………」




グラムがこちらを向く。




「怪我は?」

「いや……大丈夫」


「そうか」

「いやいやいやいや」


「何だ」

「何だじゃないだろ! 何したの今!?」


「投げた」

「それは見れば分かる!」


「なら、なぜ聞く」

「そういう意味じゃない!」




グラムが首を傾げる。

本当に分かっていない顔だ。


レイルはリアを見る。




「リア! これ普通!?」

「…………」




リアが視線を逸らした。




「リア?」

「お父さんは、その……力持ちなので」


「力持ちで済ませていいの!?」

「昔からです」


「どんな父親だよ!」




グラムが猪を持ち上げる。




「持って帰るか?」

「持って帰れるの!?」


「肉が欲しかったのだろう」

「そうだけど!」




グラムは猪を肩へ担いだ。

もう片方の手には大量の薪が入った籠。




「帰るぞ」




普通に歩き始める。

レイルは呆然とその背中を見る。




「……リア」

「はい」


「グラムって何者?」

「お父さんです」


「だからそれはもういいって」




リアが小さく笑った。





◇





村へ戻る途中。




「レイル」




隣を歩いていたリアが声をかけた。




「ん?」

「先ほどは、ありがとうございました」


「え?何が?」

「私を守ろうとしてくれました」


「何もしてないじゃん。全部グラムがやったし」

「それでもです。私を逃がそうとしてくれました」


「普通のことだよ」

「……そうでしょうか」


「そうだよ」




レイルは前を向く。




「戦えない人から逃がす。当たり前じゃん」

「戦えないから、逃げる……」




リアが小さく呟いた。

その横顔が、一瞬だけ曇ったように見えた。




「リア?」

「いえ」




リアは首を横に振り、いつもの穏やかな表情に戻った。




「レイルは、優しいんですね」

「別に普通だって」


「そういうことにしておきます」

「何だそれ」




二人で笑いながら、村へ戻った。





◇





その日の夜。

食卓には猪肉が並んだ。




「グラムが素手で倒した」




レイルが言う。




「ほう」




マーサは驚かなかった。




「ばあちゃん、反応薄くない?」

「大きな身体してるんだから、それくらいやるだろ」


「やらないよ普通!」

「うるさいねえ。食事中だよ」


「納得いかない……」

「レイル。肉を取ってくれないか」


「自分で取れるでしょ!」




グラムは黙って肉を取った。

リアが笑う。




「賑やかですね」

「誰のせいだと思ってるんだ」


「レイルでは?」

「俺!?」




また笑い声が上がる。

ハルネ村の夜は、今日も穏やかに過ぎていった。





◇





その頃。

村から少し離れた街道を、月明かりの下、数頭の馬が進んでいた。


鎧を身につけた男たちが、無言で馬を走らせている。

先頭の男が手綱を引いた。


街道脇には、古びた道標が立っていた。




『ハルネ村』




「ここか」




後ろの兵士が尋ねる。




「今夜のうちに入りますか?」

「いや。夜明けを待つぞ」




先頭の男は、遠くに見える小さな村の明かりへ目を向けた。



「本当にこんな村にいる可能性があるのか……?」




男はそう言いながら懐から紙を取り出した。

そこには、以前からこの周辺で囁かれていた噂についての報告が記されていた。




―ハルネ村周辺にて、不自然な風の発生報告あり―




男の視線が、その一文で止まる。


「……魔素操者(エレメンタ)か」



遠くに見えるハルネ村は、まだ静かだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。