ラゼルの街とリシア
翌朝。
朝食を終えた三人は、宿の部屋で今日の予定を話していた。
「今日は町を回って情報を集める」
ガルムがそう言う。
「どこに行く?」
レイルが尋ねると、ガルムは首を振った。
「今回は別行動だ」
「別行動?」
「ラゼルは広い。三人で固まって回るより、手分けした方が効率がいいからな」
ガルムは少し考えてから続ける。
「俺は市場や商人の集まる場所を中心に回る。ダレスの情報網はありがたいが、任せきりにするつもりはない」
「じゃあ、俺とリシアは?」
「さすがにリシアを一人で行動させるわけにはいかん」
ガルムはレイルを見る。
「お前たちは二人で町を回れ」
「俺で大丈夫なの?」
「ああ。ダレスの話では、この町は治安も悪くないらしい。それに、お前が一緒なら少なくとも、そこらのチンピラに遅れを取ることはないだろう」
その言葉は意外だった。
多少は認めてくれているのだろうか。
レイルは少し嬉しくなった。
「ただし、本当に危険になったら躊躇せず風を使え」
レイルが瞬きをする。
「……いいの?」
人前では、できるだけ力を使わない。
旅に出てからも、その考え自体がなくなったわけではない。
「ああ。隠すことより、リシアと自分の身を守ることを優先しろ」
レイルは少しだけ考えてからうなずいた。
「分かった」
「もちろん、必要もないのに使うなよ」
「それくらい分かってるって」
ガルムは今度はリシアを見る。
「リシア、せっかくの機会だ。いろいろな町や、そこで暮らす市民のことを知るといい」
「市民のこと……」
「城の中にいるだけでは分からないこともある。何を食べて、何を買って、何に困って、何を楽しみに暮らしているのか。自分の目で見ることが大切だ」
リシアは少し考える。
やがて、小さくうなずいた。
「……そうですね。わかりました」
「それにせっかく大きな町まで来たんだ。少しくらい息抜きもしてこい」
「遊びに行くわけではありませんよ?」
「息抜きも大事ってことだよ。だろ?ガルム」
「ああ」
ガルムは少しだけ目を細めた。
「ただし、特に迷子にならないように気を付けるんだぞ。レイルもそこは注意してやってくれ」
「なりません!」
「王都でも何度か道を間違えていただろう」
「あれは迷子ではありません。少し道を間違えただけです」
「それを迷子って言うんじゃない?」
「レイルまで!」
リシアが少しだけ頬を膨らませながらこちらを見る。
「暗くなる前には戻れ」
「分かりました」
「じゃあ行こうか」
こうして三人は、それぞれの目的でラゼルの町へ出ることになった。
◇
宿を出たレイルとリシアは、大通りへ向かった。
昨日は馬車の上から眺めただけだったが、実際に歩いてみると町の大きさを改めて感じる。
道の両側には店が並び、その前を大勢の人々が行き交っていた。
声を張り上げる商人。
荷車を押す男たち。
買い物袋を抱えた女性。
走り回る子どもたち。
どこからか焼いた肉の匂いまで漂ってくる。
「やっぱりすごいな」
レイルは周囲を見回した。
「ルーデンでも人が多いと思ったけど、全然違う」
「そうですね。昨日よりも賑やかに感じます」
リシアも興味深そうに周囲を眺めている。
「王都の方がもっと大きいんだろ?」
「はい。でも……」
リシアは少しだけ言葉を止めた。
「こんなふうに歩くことは、あまりありませんでした」
「そうなの?」
「外へ出る時は護衛がつきますし、行ける場所もある程度決まっていますから」
「そっか」
王女なら当然なのだろう。
だが、今のリシアは周囲から見れば普通の旅人だ。
誰かが道を空けることもない。
店主が頭を下げることもない。
ただ、人の流れに混ざって歩いている。
「じゃあ今日は好きなところ見ればいいじゃん」
「いいんですか?」
「ガルムも見てこいって言ってたし」
レイルが答えると、リシアは少し嬉しそうに笑った。
「そうですね!では、そうさせてもらいます」
しばらく歩いていると、リシアの足がふいに止まった。
「……あ」
「どうした?」
視線を追う。
そこには色鮮やかな服が並ぶ店があった。
「服屋?」
「はい」
リシアは店先をじっと見ている。
「入りたい?」
「……少しだけ」
その返事だけで十分だった。
「じゃあ入ろう」
「いいんですか?」
「俺、特に行きたいところ決めてないし」
「ありがとうございます」
二人はそのまま店へ入った。
◇
店内には、レイルが思っていた以上にたくさんの服が並んでいた。
旅人向けの丈夫そうな服。
町中で着る軽い服。
少し高そうな刺繍の入ったものまである。
レイルには違いがほとんど分からない。
だが、リシアは違った。
「あ、この生地……」
一着手に取る。
少し見て戻す。
今度は隣の服を見る。
さっきまで町を歩いていた時より、明らかに楽しそうだった。
「リシアって服好きなんだ」
「はい。見るのも好きですし、選ぶのも好きです」
「へえ」
王女だから服には慣れているのだろうと思っていたが、好きかどうかは別の話らしい。
しばらくすると、リシアが一着の服を手に取った。
鮮やかな黄色の上着だった。
ところどころには赤い刺繍が入っている。
「レイル」
「ん?」
「これはどうでしょう?」
リシアが嬉しそうに身体の前へ当てる。
レイルは少し黙った。
「……それ?」
「はい」
「結構……すごいね」
「素敵ですよね」
「そういう意味じゃなくて」
リシアは不思議そうに首を傾げる。
さらに店内を見回すと、今度は紫色のスカートを手に取った。
「こちらと合わせたら、もっと華やかになりそうです」
「それと合わせるの?」
「はい」
「……目が忙しくない?」
「そうでしょうか?」
「うん。すごく目立ちそう」
「色が多くて綺麗ですもんね!」
「色は綺麗だけどさ……」
何かが違う気がする。
だが、レイル自身も服に詳しいわけではない。
もしかすると、自分の方がおかしいのだろうか……
そう思っていたレイルをよそにリシアはさらに鮮やかな青色のシャツを手に取った。
「こちらと合わせてもよさそうですね」
「……それと?」
「はい」
黄色。
赤。
紫。
そこへ青。
レイルはもう一度服を見る。
「……そうなんだ」
「何ですか、その反応は」
「いや、俺にはよく分かんないし」
リシアは少しだけ頬を膨らませる。
「では、似合うかどうかだけ見てください」
「俺が?」
そう言って、もう一度服を身体に当てる。
「どうですか?」
リシアは満面の笑みでこちらを見ている。
そんな顔で聞かれても困る。
「……似合うんじゃない?」
「本当ですか?」
「たぶん」
「たぶんですか?」
「だって俺、服とか分かんないって!」
リシアがじっとこちらを見る。
レイルは助けを求めるように近くの店員へ目を向けた。
だが、店員も何か言いたそうな顔をしただけだった。
リシアがあまりにも真剣なので、どうやら口を挟みにくいらしい。
結局、苦笑いを返されただけだった。
レイルは助けを諦めた。
結局、その服は買わなかったが、そのあともリシアはいくつもの服を見て回り、店を出る頃にはかなり時間が経っていた。
「楽しかった?」
レイルが聞く。
「はい」
即答だった。
「ならよかった」
「レイルは退屈ではありませんでしたか?」
「そんなことないよ。でも服ってわりと難しいね」
「そうですか?直観的に好きなものを選べばいいんですよ」
「……デスネ」
「今度はレイルの服を選んであげますね」
「……あはは」
リシアは心から楽しそうに笑っていたが、レイルの笑顔は引きつっていた……
◇
さらに町を歩いていると、今度は小さな本屋を見つけた。
リシアがまた足を止める。
「……見たい?」
レイルが先に聞く。
リシアは少し驚いたあと、笑った。
「はい」
店に入ると、先ほどの服屋とは違って静かな空気が広がっていた。
棚にはたくさんの本が並んでいる。
歴史。
紀行。
物語。
各地の風習について書かれたもの。
レイルには難しそうな題名も多い。
リシアは棚の前をゆっくり歩きながら、一冊ずつ確かめていく。
時々手に取り、何ページか読んでは戻す。
「リシア?」
「はい?」
「本も好きなんだ」
「好きですよ」
「結構読む?」
「旅に出てからは特に」
リシアは一冊の本を手に取った。
「移動中は意外と時間がありますから」
「でも本って重くない?」
「なので、一度にたくさんは持ちません」
「じゃあ一冊ずつ?」
「はい。町で買って、旅の途中で読みます」
リシアは本の表紙を撫でる。
「読み終わったら次の町で売って、そのお金でまた新しい本を買うんです」
「へえ」
なかなかうまい方法だ。
「次はどんなのにしましょう」
そう言いながらリシアはしばらく迷ったあと、一冊を選んだ。
「それにするの?」
「はい」
「何の本?」
「エルネア各地の昔話を集めたものです」
「面白い?」
「読んでみないと分かりません」
「そりゃそうか」
本を買ったリシアは、大事そうに荷物へしまった。
服を見ている時とはまた違う。
静かだが、やはり楽しそうだった。
◇
本屋を出る頃には、昼をかなり過ぎていた。
「腹減ったな」
「私もです」
ちょうどその時、近くの屋台から香ばしい匂いが漂ってきた。
肉を焼く匂いだ。
二人は顔を見合わせる。
「食べる?」
「食べましょう」
決まるのは早かった。
屋台では、薄いパンに焼いた肉と野菜を挟んだものを売っていた。
二人分を買い、そのまま通りの端で食べる。
「うまっ」
「美味しいですね」
少し濃い味付けだが、歩き回った後にはちょうどいい。
レイルは食べながら周囲を見る。
隣の屋台では親子が何かを選んでいる。
向かいの店では商人と客が値段の交渉をしている。
少し先では、子どもたちが笑いながら走っていた。
リシアも同じように町を眺めていた。
「……ガルムの言っていたことが、少し分かった気がします」
「市民のこと?」
「はい」
リシアは手にした食事を見る。
「何を食べて、何を買って、何を楽しみに暮らしているのか」
朝のガルムの言葉だ。
「王都にいるときも、今日みたいに店を一つずつ見たり、人の話を聞いたりすることはありませんでしたから」
「王女じゃ難しいか」
「そうですね」
少し寂しそうに言ったあと、リシアはすぐに笑った。
「でも、今日は楽しいです」
「服も見たし、本も買ったしね」
「それだけではありませんよ」
「そうなの?」
「こうして普通に町を歩くこと自体が、です」
レイルには、それがどれほど特別なことなのか完全には分からない。
自分にとって町を歩くことは、ただ歩くことだ。
だが、リシアにとっては違うのだろう。
「じゃあ、もうちょっと見て回ろうか」
「いいんですか?」
「暗くなる前に戻ればいいんだろ」
リシアは少し嬉しそうにうなずいた。
「はい」
二人は食べ終えると、再び人の流れの中へ歩き出した。
知らない店を覗き。
道端の露店を眺め。
時には立ち止まって、人々の話に耳を傾ける。
そうして歩いているうちに、気づけば空が少しずつ橙色に変わり始めていた。
「そろそろ戻る?」
「そうですね。ガルムに迷子になったと思われても困りますから」
「迷子じゃなくても言われそうだけど」
「レイル」
「冗談だって」
「ふふっ」
並んで歩きながら、二人は宿へ戻っていく。
大きな事件もなければ、魔物との戦いもない。
ただ、二人で町を歩いただけだ。
それでもリシアの表情は、いつもより少し柔らかく見えた。
レイルもまた、こんな一日も悪くないと思っていた。




