初めての実戦
大きな影が空を旋回する。
翼を広げれば、人の背丈の倍以上はありそうだ。
鋭い嘴。
太い脚。
そして、大きな爪。
「……でかくない?」
レイルは土の剣を握り直した。
ガルムが空を見上げる。
「ゲイルバードだな」
「ゲイルバード?」
「ああ。風を操る鳥型の魔物だ」
「ギィィィィッ!」
まるで自分のことを呼ばれたと分かったかのように、ゲイルバードが甲高い声を上げた。
「来るぞ」
ガルムの声と同時に、ゲイルバードが大きく翼を振る。
ごうっ!
強い風がレイルへ襲いかかった。
「うわっ!」
咄嗟に身構える。
だが、風を受けた瞬間。
レイルは気づいた。
「……これなら」
強く、荒い風。
それでも、風だ。
どこから吹いてくるのか。
どう流れているのか。
何となく分かる。
レイルは片手を前へ出した。
自分の風を起こし、迫ってきた風を横へ流す。
二つの風がぶつかり、レイルの左右へ抜けていった。
「できた!」
思っていたより簡単だった。
「ほう」
後ろでガルムが声を漏らす。
「見た!?」
「前を見ろ!」
「え?」
ゲイルバードがいない。
レイルが慌てて顔を上げる。
「上です!」
リシアの声。
「ギャアッ!」
「うわっ!」
ゲイルバードが急降下してきた。
大きな爪が迫る。
レイルは地面を蹴り、足元に風を起こした。
身体が横へ飛ぶ。
直後。
ゲイルバードの爪が地面を抉った。
「危なっ!」
避けた。
そう思った瞬間、腕に痛みが走る。
「痛っ!」
服が裂け、その下に細い傷ができていた。
血がじわりと滲む。
完全には避けきれていなかったらしい。
「レイル!」
「大丈夫! ちょっと切っただけ!」
ゲイルバードは再び空へ舞い上がる。
「風だけじゃないのかよ!」
「当たり前だ」
「先に言ってよ!」
「油断する方が悪い」
その間にも、ゲイルバードが翼を広げる。
「ギィッ!」
再び突風が襲ってきた。
「それなら!」
今度は慌てない。
レイルは風を横へ流す。
突風をいなし、そのまま足元へ風を集めた。
「今度はこっち!」
一気に距離を詰める。
土の剣を振った。
だが、ゲイルバードは素早く身体を傾ける。
剣は空を切った。
「え」
次の瞬間。
大きな翼が横から迫った。
ばんっ。
「ぐっ!」
レイルの身体が吹き飛ばされる。
地面を転がり、すぐに起き上がった。
「痛っ……」
身体のあちこちに痛みがある。
「レイル!」
「まだ大丈夫!」
痛い。
だが、まだ動ける。
レイルは剣を構え直した。
「……風は平気なのに」
問題はゲイルバードの身体能力そのものだった。
速い。
力も強い。
何より、空を飛んでいる。
「ギャアッ!」
ゲイルバードがまた急降下してくる。
レイルは風で加速した。
爪を避ける。
すぐに振り返る。
だが、剣を振る前にゲイルバードは空へ逃げていく。
「くそっ!」
追いつけない。
焦りが出てきた。
ガルムとの訓練のおかげか、何とか動きを追うことはできている。
だが、浅い傷も少しずつ増えていた。
怖い。
「……でも」
レイルは土の剣を握り直した。
「やるしかない……っ!」
◇
少し離れた場所で、リシアとガルムが戦いを見ていた。
「助けなくていいのですか?」
リシアが心配そうに言う。
「ああ」
ガルムはレイルから目を離さない。
再びゲイルバードが突風を放つ。
レイルはそれを横へ流した。
最初よりもずっと小さな動きで。
「案外上手いな」
ガルムが呟く。
「何がです?」
「思ったより、風の扱いが上手い」
誰かに教えられたわけでもない。
それでもレイルは、相手の風に自分の風を合わせている。
「力任せに使うだけではないらしい」
リシアは何も言わず、戦うレイルを見つめた。
◇
「はぁ……はぁ……」
息が切れてきた。
足も少し重い。
緊張と疲れで、汗もかなり出ている。
ゲイルバードはまだ空を飛んでいる。
「ムカつくくらい元気だな! ちくしょう……!」
だが、レイルにも分かってきたことがある。
ゲイルバードが旋回する。
「……来る」
レイルは剣を構えた。
「ギィィィッ!」
ゲイルバードが翼を振る。
突風が来る。
レイルは風を横へ流した。
そして。
「やっぱり!」
突風を放った直後。
ゲイルバードは、そのまま急降下してくる。
さっきから同じだ。
レイルは正面から走った。
鋭い爪が迫る。
右へ避ける。
ゲイルバードも身体を右へ向けた。
その瞬間。
「こっち!」
足元に風を起こし、一気に左へ動く。
ガルムとの訓練で覚えた動き。
行く方向を先に決めない。
相手が動いてから変える。
ゲイルバードの反応が遅れた。
「そこ!」
土の剣を振る。
ざくっ。
翼を浅く斬った。
「ギャアアアッ!」
ゲイルバードが大きな叫び声を上げる。
「当たった!」
初めて攻撃が届いた。
ゲイルバードは慌てたように羽ばたき、距離を取る。
「よし……!」
いける。
レイルは剣を握り直した。
今まで。
風はいつも隠して使ってきた。
誰にも見つからないように。
必要以上に強くならないように。
でも。
今は違う。
「どこまで出せるんだ……?」
自分でも知らない。
なら。
「やってみるか……」
レイルの周りに風が集まる。
髪が大きく揺れる。
服がはためく。
足元の草が次々と倒れていく。
「レイル?」
リシアの声が聞こえる。
まだ。
もっと。
集中する。
今は遠慮しなくていい。
レイルは初めて、自分の出せる力をそのまま外へ放とうとしていた。
「ギィィィィッ!」
ゲイルバードも大きく翼を広げる。
強い風が巻き起こった。
「来い!」
ゲイルバードの突風と、レイルの風が正面からぶつかる。
ごおおっ!
木々が激しく揺れる。
二つの風が押し合う。
だが。
少しずつ。
レイルの風が前へ進み始めた。
「いける!」
さらに力を込める。
ゲイルバードの風が押し返されていく。
「ギャアッ!」
ゲイルバードの身体が大きく揺れた。
「今だ!」
レイルは残った力を足元へ集める。
一気に地面を蹴った。
今までで一番速い。
ゲイルバードが目の前に迫る。
「これで!」
剣を振り上げる。
届く。
そう思った。
その瞬間。
風が消えた。
「……え?」
足元から何も感じない。
急に身体が重くなる。
「ちょっ……」
風を起こそうとする。
だが。
何も起こらない。
「何で!?」
ゲイルバードが体勢を立て直す。
「ギャアアアッ!」
怒ったような叫び声。
大きな爪が振り上げられた。
「まず――」
避けられない。
その時。
「そこまでだ」
ガルムが片手を地面へ向けた。
ずんっ。
地面が盛り上がる。
土と石が集まり、レイルの横に大きな岩が作られた。
「え?」
ガルムが腕を振る。
次の瞬間。
大岩が勢いよく飛び出した。
「ギャッ――!」
どんっ!
岩がゲイルバードへ直撃する。
大きな身体が吹き飛び、そのまま地面へ叩きつけられた。
しばらく待つ。
ゲイルバードは動かなかった。
「…………」
レイルは固まる。
「はぁ、はぁ……一撃かよ……」
「思ったよりよくやれていた」
「もっと早く助けてくれてもいいだろ!」
「レイルの実力と限界を見るのが目的だったからな」
「こっちは命がけだったぞ!」
「ああ。おかげで今のお前をよく知れた」
「……くそっ」
レイルはその場に仰向けに倒れ込んだ。
身体に力が入らない。
呼吸をするだけで精一杯だった。
「はぁ、はぁ……何これ……」
「力の使いすぎだな」
ガルムが答えた。
「使いすぎ?」
「ああ。魔素を扱える量にも限度がある。今のお前は、短時間で限界まで力を使った」
「なるほど……こうなること、先に教えてくれてもよくない……?」
「これで覚えただろう」
「先に教えてくれてもよくない!?」
ガルムは倒れたゲイルバードを確認してから、レイルを見る。
「だが、悪くなかった」
「……え?」
予想していなかった言葉だった。
「相手は風を使うゲイルバードだ。お前にとって相性がよかったのは確かだ」
「うん」
「それを考えても、初めての実戦にしてはよく動けていた」
「本当に?」
「ああ」
ガルムは少し考えてから続ける。
「途中で相手の動き方を覚えた。訓練で教えた動きも使えていた」
レイルは黙って聞く。
「意外と戦いの勘は悪くないらしい」
「へへーん」
「調子に乗るな」
「褒めた直後に落とすなよ」
それでも。
少し嬉しかった。
初めての実戦。
最後まで自分一人では倒せなかった。
身体にもいくつか傷が残った。
でも。
何もできなかったわけではない。
「よし」
起き上がろうとする。
「…………」
立てる気がしない。
何とか身体を起こし、その場に座った。
「……ちょっと休んでいい?」
「好きにしろ」
「帰り歩けるかな」
「運ばんぞ」
「厳しいなぁ」
「大丈夫ですか?」
二人の会話が一区切りついたところで、リシアが近づいてくる。
「大丈夫。ちょっと切っただけ」
大きな怪我ではないが、服のあちこちに血が滲んでいる。
リシアは傷を見て、表情を曇らせた。
「……本当に、大丈夫ですか?」
「泣くのは我慢できそう」
「そうですか」
リシアは少しだけ笑った。
だが、その視線は何度もレイルの傷へ向いている。
レイルはそのまま空を見上げた。
青い空。
さっきまで、あそこをゲイルバードが飛んでいた。
初めて遠慮なく使った自分の風。
思っていたより強かった。
そして。
思っていたより、ずっと疲れた。
「次は……最後まで倒す」
ガルムが僅かに笑う。
「なら、訓練を怠るなよ」
「分かってる」
レイルはもう一度、青い空を見上げた。




