国境
ハルネ村を出てから数日が経った。
旅にも少しずつ慣れてきた。
朝起きて、歩いて、飯を食べて、また歩く。
そして。
「来い」
「よし!」
ガルムとの戦闘。
いや。
これは訓練だ。
今では、ガルムに触れるだけだった訓練も、少しずつ実戦的なものになっている。
ガルムに触れられるまでには三日かかった。
最初の日、レイルは一度もガルムに触れられなかった。
二日目。
惜しいところまではいった。
そして三日目。
「そこ!」
レイルはガルムの正面へ走る。
風を使い、一気に加速する。
当然、ガルムは避ける。
右。
そう思った瞬間、レイルは身体を左へ流した。
「……む」
読まれた。
なら、もう一度。
今度は足元の風を横へ流す。
身体が跳ねるように方向を変え、ガルムが一歩下がった。
その瞬間、レイルは地面を蹴る。
そして……
指先がガルムの腕に触れた。
「届いた!」
ほんの一瞬。
それでも、間違いなく触れた。
「よっしゃ!」
思わず拳を握る。
「よくやったな」
「ああ!」
初日は一度も届かなかった。
これは成長と言えるのではないだろうか。
「おめでとうございます」
近くで見ていたリシアが言った。
「私と同じ三日でしたね」
「…………」
レイルの笑顔が止まった。
リシアを見る。
細い。
どう見ても細い。
森では木の根につまずいていたし、猪を前に固まっていた。
「……本当に?」
「なぜ疑うのですか?」
「だってリシアだよ?」
「どういう意味ですか?」
「いや……」
これ以上は怒られそうだ。
「殿下は、相手の動きを見て動くのは上手いからな」
ガルムが言った。
リシアも、護身のための身のこなしはガルムから教わっているらしい。
それでも同じ三日。
「…………」
少し情けない。
「もっと練習しよ」
「いい心掛けだ。明日から少し厳しくしていくか」
「え」
「精進するのだろう?」
「……するけど」
自分で自分の首を絞めた気がする。
隣でリシアが楽しそうに笑っていた。
◇
さらに翌日。
「おお……」
レイルは目の前にあるものを見上げていた。
高い石壁。
街道を塞ぐように建てられた大きな門。
その前には兵士たちが立ち、荷馬車や旅人が順番を待っている。
「これが関所?」
「ああ」
ガルムが答える。
「ここを越えればセレスタの外だ」
レイルは門の向こうを見る。
当然だが、向こうにも道が続いている。
「……普通だな」
「何を期待していた」
「国が変わるんだから、もっと何か変わるのかと」
「門を越えた瞬間に景色が変わるわけではない」
「分かってるけどさ」
「ふふっ。気持ちはわかりますよ」
リシアが笑う。
それでも、あの門の向こうは初めての外国だ。
そう思うと少し落ち着かない。
「次!」
兵士の声が響き、レイルたちの番になった。
「通行証を」
「…………」
通行証?
そんなもの持っていない。
「ガルム。俺、持ってない」
「心配するな」
ガルムが懐から一枚の書類を取り出す。
兵士はそれを確認した。
「セレスタ王国承認の通行証だな。三人で間違いないか?」
「ああ」
「よし。通れ」
「…………」
あっさりだった。
「終わり?」
兵士が怪訝そうにこちらを見る。
「何か問題でもあるのか?」
「いや、ないです」
慌てて首を振り、門を通り抜ける。
「随分簡単なんだな」
「正式な通行証があるからだ」
「それ、どこでも使えるの?」
「いいえ」
リシアが答える。
「この国とセレスタには国交がありますから、互いに認めた通行証を使えるのです」
「こっこう?」
「国同士の付き合いがあるということです」
「ああ」
理解。
「じゃあ、仲悪い国だったら?」
「使えないですね。その場合は、その国の許可が必要になります」
「面倒だな」
「国境とはそういうものだ」
レイルは改めて門を見る。
村にいた頃、国なんて地図の上に線が引いてあるだけだと思っていた。
だが実際には、その線を越えるだけでも決まりがある。
「知らないことばっかりだな」
「これから覚えればいいんですよ」
リシアが言った。
「私も知らないことはたくさんありますから」
「王女なのに?」
「王女でもです」
そこでリシアがふと足を止めた。
「あ」
「何?」
「ガルム」
「なにかありましたか、殿下」
「それです」
「何がです」
「殿下と呼ぶのは、もうやめてください」
ガルムが黙った。
「ああ」
レイルも気づく。
ここはもうセレスタではない。
周囲には知らない人間がいくらでもいる。
「確かに。王女だってバレるじゃん」
「はい。これからは、できるだけ身分を知られずに旅をしたいと思っています」
「なら、何と呼べば……」
「リシアでお願いします」
「…………」
ガルムが黙る。
「では、呼んでみてください」
「今ですか?」
「今です」
ガルムが珍しく困っている。
レイルは少し面白くなってきた。
「ほら、ガルム」
「黙っていろ」
「王女様の命令でしょ」
「お前な……」
「ガルム」
リシアがじっと見る。
「…………」
ガルムはしばらく黙った。
「……リシア」
ものすごく言いづらそうに呼んだ。
「はい」
リシアが満足そうに頷く。
「もう少し練習した方がいいんじゃない?」
「必要ない」
「ちゃんと慣れてくださいね」
「……はい」
困惑しているガルムが珍しく、レイルはニヤニヤして見ている。
「レイル」
「何?」
「明日からはもっと訓練を増やすからな」
「何で!?」
リシアが口元を押さえて笑っている。
「でもさ、呼び方だけで大丈夫なの?」
レイルが聞く。
「ガルムってリシアに敬語でしょ? 怪しまれない?」
「確かにそうですね」
「む……」
「では、敬語も禁止で」
リシアは笑顔で言う。
「その方が、王女が護衛と歩いて外国を旅しているとは思わないでしょう?」
「そうで……そうだな……」
「では、これからは私を殿下と呼ぶことと、敬語は禁止です」
「分かった」
「本当に分かりました?」
「ああ」
「では私の名前を」
「行くぞ」
「あ、逃げた」
ガルムが先へ歩き出す。
レイルとリシアは顔を見合わせた。
「絶対、照れてるよな」
「多分」
「聞こえているぞ」
前から声が飛んできた。
◇
国境を越えた先は、エルネア公国。
セレスタの北側に広がる小国群の中でも、比較的南に位置する小さな国だ。
農地や牧草地が多く、目立って豊かな国というわけではないが、人々の暮らしは穏やかだという。
セレスタをはじめ周辺国との関係も良く、街道を行き交う商人や旅人も多い。
関所を越え、少し歩いたら町に着いた。
ルーデンという名前の町だ。
「……これが外国か」
思わず声が漏れた。
ハルネ村に比べれば、ずっとにぎわっている。
でも。
「外国って言っても、結構普通なんだな」
レイルが言うと、ガルムが答えた。
「この国は特にセレスタとの付き合いが長い。国境を越えた途端、何もかも変わると思うな」
「そういうものか」
道には荷馬車が行き交い、店先には果物や干した肉、木工品、金属製の道具。
何に使うのか分からない物まで並んでいる。
「すご……」
右を見る。
左を見る。
また右を見る。
「レイル」
「何?」
「ちゃんと前を見て歩いてくださいね」
「見てるよ」
そう答えた矢先に。
「うおっ!」
石につまずいた。
何とか転ばずに踏みとどまる。
後ろからリシアの笑い声が聞こえた。
「リシア」
「だから言ったじゃないですか」
「笑わなくてもいいだろ」
「すみません」
「絶対思ってないだろ」
「少しだけです」
「またそれかよ」
村を出た時にも、似たようなことを言われた気がする。
「これでも、この町は大きな町ではないぞ」
ガルムが言った。
「そうなんだ」
「はい。例えば、セレスタの王都はもっと大きいですよ」
リシアも頷く。
想像できない。
「……王都ってすごいんだな」
「セレスタの王都にも来たことがないのですか?」
「ないよ」
「では、いつか案内します」
「リシアが?」
「はい」
「ちゃんと案内できる?」
「できますよ!」
「畑の場所も覚えられなかったのに」
「あれはハルネ村に来たばかりだったからです!」
「卵を取りに行って迷ってたじゃん」
「迷っていません!」
「俺が迎えに行ったけど」
「…………」
ガルムが小さく息を吐く。
「王城の中なら詳しい」
「ガルム!」
「事実だ」
「ほら」
「レイルまで!」
少しだけ、外国に来たという緊張が消えた。
◇
町を歩くと、レイルは気になる店を見つけるたびに足を止めた。
「これ何?」
「知らん」
「これは?」
「農具だろう」
「じゃあ、あれは?」
「レイル」
ガルムが足を止めた。
「何?」
「目的を忘れるな」
「忘れてないよ」
「なら言ってみろ」
「…………」
レイルは考える。
「旅?」
「違う」
「リシアを女王にする?」
「まだそこまで頼んでいません」
リシアが苦笑する。
「あ」
思い出した。
「魔素操者を探す」
「そうだ」
危ない。
普通に観光していた。
「それで、ここにいるの?」
「分かりません」
リシアが答える。
「私たちが追っているのは、あくまで噂ですから」
「どんな?」
「この町から、さらに北へ向かう街道沿いで、突然強い風が吹いたという話があります」
「風?」
思わず反応した。
「積んでいた荷が飛ばされた。不自然に倒れた木があった。そんな話が何度かあったらしい」
ガルムが答える。
レイルは自分の手を見る。
「それって……風の魔素操者?」
「まだ分からん」
「でも、可能性はあるんだろ?」
「ああ」
少しだけ胸が高鳴る。
今まで、自分以外に風を操る人間なんて見たことがない。
もし同じ力を持つ人間がいるなら、会ってみたい。
「どんな奴だろ」
「期待するのは早いぞ」
「何で?」
「ただの強風かもしれん」
「魔物が原因かもしれませんし、魔導具の故障や、話そのものが大げさになっている可能性もあります」
リシアも続ける。
「…………」
急に夢がなくなった。
「じゃあ、いないかもしれないの?」
「その可能性もあります」
「何だよ」
「だから確かめるんだ」
ガルムが言う。
「小さな可能性を追っていくしかないからな」
魔素操者は、それだけ珍しい。
「じゃあ、まず何するの?」
「宿を取ります。その後、町で話を聞きましょう」
「誰に?」
「商人、宿の主人、酒場などですね」
「酒場!旅っぽい!」
「そこだけ反応するな」
ガルムが言った。
「だって行ったことないし」
「お前は酒を飲むなよ」
「分かってるよ」
リシアが笑う。
そして、少しだけ声を落とした。
「レイル。一つだけ気をつけてください」
「何を?」
「町の中では、あまり大々的に魔素操者ということがバレないようにしてくださいね」
「何で?」
「国によって、魔素操者への接し方は違うからな」
リシアとガルムが忠告してくれる。
「歓迎する者もいれば、利用しようとする者もいます。」
「面倒事は避けたい」
マーサの言葉が頭をよぎる。
力を欲しがる人間。
怖がる人間。
妬む人間。
「うん」
今度は素直に頷く。
「使う場所は選べってことだね」
「はい」
「考えなしに見せびらかすことだけはやめておけ」
レイルはその言葉を考える。
今までは隠すしかないと思っていた。
でも、そうじゃない。
必要なら使う。
でも、使う相手や状況は自分で考える。
自分の力を、どう使うのか。
それも自分で決めていかなければならない。
「分かった」
「ならいい」
ガルムが歩き出す。
「まずは宿だ」
「飯は?」
「宿を取ってからだ」
「腹減った」
「じゃあ、早く行きましょう」
そんな話をしながら、三人は町の中へ歩いていく。
初めて越えた国境。
初めて歩く外国の町。
レイルはこれからの様々な出会いが楽しみで、気づけば二人より少しだけ前を歩いていた。




