第8話 奪われた花
宿の外では、何人もの村人が集まり、騒然としていた。
「本当なのか!?」
「ああ! 家にも帰ってない!」
不安と焦りの入り混じった声が飛び交う中、カケル達はすぐに人だかりへ駆け寄った。
「最後に二人を見たのは?」
ゼリスが尋ねると、一人の村人が首を横に振った。
「分からない。失踪事件が起きてから、村の人間で夜に巡回してるんだが……さっき二人の家に行ったら、どっちもいなくて」
カケルの脳裏に、昼間の姉妹の姿が浮かぶ。
「師匠、昼間の獣道」
アッシュの言葉に、ゼリスもすぐに頷いた。
「ああ。行ってみよう」
四人は夜の村を駆け、昼間に訪れた森へと向かった。
村外れまで辿り着くと、ゼリスは月明かりを頼りに地面へ目を凝らした。昼間に見つけた獣道には、新しい足跡が残されている。
「やっぱり、こっちに来てる」
ミライが足跡の先を見つめると、ゼリスが短く頷いた。
「追うぞ」
先頭に立つゼリスに続き、四人は森へ入った。木々の間を縫うように、足跡を辿って森の奥へ進んでいく。
どれほど進んだ頃だろう。
「きゃあああっ!」
遠くから響いた悲鳴に、四人の足が止まった。
「リリー!」
ミライが真っ先に駆け出す。カケル達もすぐにその後を追い、木々を抜けて開けた場所へ飛び出した。
そこには、狼に似た魔獣が何体も群がっていた。黒い毛並みに鋭い牙を持つ獣達。その奥では、他よりも一回り大きな魔獣が低い唸り声を上げている。そして、その前ではリリーが追い詰められていた。
一瞬でも足を止めれば、たちまち囲まれる。そう判断したゼリスが真っ先に地を蹴った。行く手を塞ぐ魔獣達へ剣を一閃させ、数体をまとめて斬り払う。
「行け!」
開かれた道の先で、リリーがカケルの名を呼んだ。
「カケル!」
「ああ!」
カケルは剣を抜き、刀身へ闘気を流し込んだ。淡い光を纏った刃を手に、開かれた道を駆け抜ける。肌を刺すような殺気の中、剣を握る手のひらに汗が滲んだ。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
行く手を塞ぐ一体が飛びかかってきた。
「邪魔だ!」
振り抜いた剣が魔獣を斬り伏せる。足を止めることなく、続けて迫ってきたもう一体へ刃を走らせた。
「先に行って!」
ミライも横から襲いかかってきた魔獣を切り払い、道を開く。
「こいつは俺に任せろ!」
アッシュが別の一体へ拳を叩き込み、その身体を弾き飛ばした。
三人は次々と魔獣を退けながら、リリーのもとへと駆けた。
その前に、一回り大きな魔獣が立ちはだかる。低い唸り声を上げて巨体を沈めると、真っ先にカケルへ飛びかかった。地面を蹴る音と共に迫る質量に、心臓が跳ねる。だがそれ以上に、退くという選択肢が頭になかった。
「はあっ!」
カケルは真正面から迫る巨体に一歩も退かず、剣を振り抜いた。手首から肩まで痺れるような衝撃が走る。それでも闘気を纏った刃は魔獣の身体を切り裂き、苦痛に満ちた咆哮が森に響いた。
「ミライ!」
「任せて!」
間髪入れずミライが飛び出し、魔獣の側面へ回り込む。そのまま振るわれた剣が身体を捉え、魔獣の動きが鈍った。
「隙ありだ!」
そこへアッシュが踏み込み、闘気を纏わせた拳を振り抜く。
だが、魔獣は寸前で身を翻した。
「なっ――」
拳が空を切った直後、魔獣の前脚がアッシュを捉えた。
「ぐあっ!」
アッシュの身体が弾き飛ばされ、地面を転がる。肺から空気が押し出され、一瞬息が詰まる。それでも、悔しさの方が勝った。
「アッシュ、大丈夫か!?」
カケルの声に、アッシュは顔をしかめながらも身体を起こした。
「くっそ……大丈夫だ」
魔獣は再び襲いかかろうと身を低く構える。だが、その前にゼリスが動いた。一瞬で魔獣との間合いを詰め、そのまま剣を振り抜く。魔獣の身体が大きく揺らぎ、力を失ったように地面へ崩れ落ちた。
残っていた魔獣達もすでに倒れ、森に静けさが戻る。
「リリー!」
ミライがすぐに駆け寄った。リリーは身体を震わせながら、目に涙を浮かべていた。
「大丈夫!?」
「お姉ちゃんが……」
掠れた声が漏れる。
「お姉ちゃんが私を逃がして……逃げろって……それで……」
そこから先は言葉にならなかった。ミライは震えるリリーの身体を抱き寄せる。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
その言葉に、リリーはただ首を横に振ることしかできなかった。姉が自分の身代わりになったのだという事実だけが、頭の中で繰り返される。それでも、涙だけが後から後から溢れて止まらなかった。
しかし、どこを見てもリネの姿はない。カケル達は手分けして周囲を探したが、見つけることはできなかった。
その間も辺りを調べていたゼリスが、ふと足を止める。地面に落ちていた何かを拾い上げると、その表情が険しくなった。
「師匠?」
アッシュが覗き込むと、ゼリスの手にあったのは黒い布の切れ端だった。裂けた端に、見覚えのない紋章が縫い付けられている。六芒星の中央に、瞬きひとつしない目が一つ。
「これは……」
カケルが呟くと、ゼリスは布を見つめたまま低い声で言った。
「魔獣だけの仕業じゃないな」
「何かの模様?」
ミライが覗き込むようにして尋ねる。ゼリスが答えようと口を開きかけた、その時だった。
「あっ……」
その時、リリーが小さく声を上げた。胸元へ手をやり、何度も服の上を探る。
「ブローチが……ブローチがない!」
ゼリスは言葉を飲み込み、視線をそちらへ向けた。
辺りを見回したリリーは、少し離れた場所に青いものを見つけ、急いで駆け寄った。落ちていたのは、青い花を象ったブローチだった。
「お姉ちゃん……」
リリーはそれを拾い上げると、胸元へ強く抱き寄せた。頬を涙が伝う。その手の中には、姉とお揃いのリネリの花が握られていた。
――再会の意味を持つ花が。
翌朝、村は重い空気に包まれていた。
夜が明けてもリネは見つからず、新たな手掛かりも得られないまま、カケル達は村長に昨夜の出来事を報告していた。
「そうか……リネまで……」
村長は悔しそうに拳を握りしめた。行方の知れぬ甥のことを、今もまだ捜し続けているのだろう。その拳には、怒りとも悲しみともつかない色が滲んでいた。話を聞いていた村人達も沈痛な面持ちで俯いていた。その中には、リリーの姿もあった。目は泣き腫らしていたが、胸元には昨日と同じ青い花のブローチがつけられている。
ゼリスが村長へ向き直った。
「王都でも同じような失踪事件が起きている。俺達はこれから王都へ向かうつもりだ。リネの手掛かりも掴めるかもしれない」
「今回の事件と関係があるのか、王都で調べてみる」
村長はしばらくゼリスを見つめたあと、深く頭を下げた。
「いなくなった村人達を、どうか……」
その言葉を聞いていたリリーが胸元のブローチを握りしめ、少し迷うように俯いたあと、カケルの前まで歩いてきた。
俯いたまま、リリーはぽつりぽつりと語り始めた。
「昨日の夜、お姉ちゃんと一緒に、森の近くを歩いてたの。そしたら急に魔物が出てきて……それだけじゃなくて、フードを被った人みたいなのもいて」
声が微かに震える。
「お姉ちゃんが、私を逃がすためにそっちの気を引いてくれて……『先に行け』って。だから私、無我夢中で走って……振り返った時にはもう、お姉ちゃんの姿は見えなかった。追いかけてきたのは魔物だけで、フードの人も、いつの間にかいなくなってて」
「気づいたら魔物に追いかけられてて……あとは、皆さんが来てくれるまで、ただ必死で」
そこまで話すと、リリーは一度言葉を切り、深く息を吸った。それから、まっすぐにカケルを見上げる。
「カケルさん」
「ん?」
「お姉ちゃんを……」
一度言葉を詰まらせ、それでもリリーは顔を上げた。
「お姉ちゃんを助けてください」
カケルは真っ直ぐリリーを見つめた。この先どれほどの困難が待っているのか、正直なところ分からない。それでも、迷いはなかった。
「うん。必ず見つける」
ミライも隣へ並んだ。
「絶対に連れ帰るから」
「俺も手伝ってやる。任せとけ」
アッシュが軽く拳を握りながら笑ってみせると、ゼリスも何も言わず、ただ小さく頷いた。それだけで、リリーには十分伝わったようだった。
リリーは小さく頷く。
「ありがとう……」
村を発つカケル達を、リリーは最後まで見送っていた。その胸元には、姉とお揃いのリネリの花。
誰も多くを語らなかったが、その沈黙の中に、それぞれの覚悟が滲んでいた。
再会を願うその花を背に、カケル達は王都への道を歩き出した。




