第7話 再会の花
旅を続けるカケル達は、小さな村へ辿り着いた。
「今日はここで休むか」
ゼリスの言葉に、誰も異を唱えなかった。長旅というほどの道のりではないが、それでも積み重なった疲労は、少しずつ足の裏に溜まっている。
村へ入ったカケルは、何気なく周囲を見回した。
「なんか静かだな」
人通りはある。だが、思っていたよりずっと少ない。畑仕事をしている人々にもどこか元気がなく、鍬を振る手つきは重かった。顔を上げる者さえ、ほとんどいない。すれ違う村人と目が合っても、挨拶より先に視線を逸らされる。歓迎とは違う、どこか探るような空気があった。
得体の知れない胸騒ぎが、カケルの中に静かに広がっていく。
「うん。なんだか、暗い感じがする」
肌に触れる空気そのものが、ぴんと張り詰めているような気がした。ミライは無意識に、自分の腕をさすっていた。珍しく真面目な顔をしたアッシュも頷く。
「確かに、変だな」
軽口の一つも出てこないことに、アッシュ自身、どこか居心地の悪さを覚えているようだった。
ただ一人、ゼリスだけは何も言わなかった。周囲へ視線を巡らせながら、黙々と歩いている。
「師匠?」
アッシュに呼ばれ、ゼリスは足を止めた。
「……いや。少し気になっただけだ」
「何が?」
ゼリスはもう一度、村の様子を見渡した。何かが引っかかる。だが、それが何なのか、自分でもまだ言葉にできずにいた。
「まだ分からない」
それだけ答えて、再び歩き出す。その足取りには、何かを胸の奥に留めているような静けさがあった。
村の広場へ出たところで、不意に少女の声が響いた。
「きゃっ!」
次の瞬間、一人の少女がカケルにぶつかり、よろめいた。カケルは咄嗟にその腕を支える。
「大丈夫か?」
「あっ……ご、ごめんなさい!」
少女は慌てて身を離すと、恥ずかしそうに頭を下げた。薄い茶色の髪をした、十五歳くらいの少女だった。快活そうな顔立ちで、胸元には青い花を象ったブローチが揺れている。
「怪我はないか?」
「うん、大丈夫。そっちこそ平気?」
「うん」
カケルが答えたところで、少し離れたところから声が飛んだ。
「リリー!」
振り返ると、もう一人の少女がこちらへ歩いてくる。落ち着いた雰囲気の、十七歳ほどの娘だった。妹によく似た面立ちで、同じ青い花のブローチを胸元につけている。
「お姉ちゃん」
リリーが振り向くと、姉は呆れたように息をついた。
「ちゃんと前を見て歩かないと危ないでしょう」
「分かってるって。ちょっと急いでただけ」
「それで人にぶつかってたら意味ないでしょう?」
「……それはそうだけど」
言い返せなくなったリリーが、ふいと視線を逸らす。カケルが思わず笑うと、姉も困ったように微笑んだ。
「すみません、妹がご迷惑を」
「いや、大丈夫だ」
カケルは首を振り、そのまま名乗った。
「俺はカケル。こっちがミライ、アッシュ、ゼリスだ」
姉は軽く頭を下げる。
「私はリネといいます。妹のリリーです」
「リリーです。よろしく」
二人が名乗ったところで、村へ入った時からの違和感が、はっきりとした形を帯びていく気がした。カケルは思い切って口を開く。
「この村って、いつもこんなに静かなのか?」
カケルが尋ねると、リリーの表情からわずかに笑みが消えた。
「……最近は、ずっとこんな感じかも」
代わって、リネが口を開く。
「この村で、人がいなくなっているんです」
「人が?」
カケルが聞き返した。
「はい。何人も突然いなくなっていて……村のみんなも、それを気にしているんだと思います」
他人事とは思えず、ミライは思わず問いを重ねた。
「どこに行ったか分からないのか?」
リネは首を横に振った。
「詳しいことは私達も知らないんです。ただ、いなくなった人はまだ誰も見つかっていないみたいで」
「みんなどこ行ったんだろう……」
リリーが小さく呟いた。
その時、広場の向こうから一人の男が慌ただしく駆けてきた。
「大変だ!」
声に反応して、周囲の村人達が一斉に振り返る。
「また一人いなくなった!」
途端に、広場がざわめいた。
「またか……」
「今度は誰だ?」
「また……?」
リリーが男の方を見つめる。
「最近こんなことばっかりだよ……どうしたもんか」
「村長なら、もう少し詳しいことを知ってるかな?」
カケルが尋ねると、リネは頷いた。
「はい。これまでのことも、全部村長がまとめています」
「なら、話を聞いてみるか」
ゼリスの言葉に三人も頷いた。
リネ達とともに、カケル達は村長の家を訪ねた。
「この村で失踪事件が起きていると聞きました」
カケルが切り出すと、村長はしばらく黙り込んだ末に、重々しく頷いた。
「ああ。ここ数ヶ月の間に、村の者が何人も消えている」
「さっきも一人いなくなったって……」
「あれでまた一人増えた」
村長の声には、隠しきれない疲れが滲んでいた。膝の上で組んだ両手が、かすかに震えている。
「最初は旅にでも出たのかと思った。だが、違った。荷物も残っている。家族にも何も言わず、ある日突然、忽然と姿を消すんだ」
村長は一度言葉を切り、絞り出すように続けた。
「――儂の甥も、その一人だ」
ミライの表情が曇る。自分の身近な誰かが、ある日突然いなくなる――想像するだけで、背筋が冷える思いがした。
「何か共通点はないんですか?」
「それが分からん。年齢も性別もばらばらだ。消えた場所も時間も違う」
「手掛かりは?」
今度はゼリスが尋ねた。
村長は力なく首を横に振る。
「何もない。王都にも報告しているんだが、今のところ原因すら掴めていなくてな……」
その言葉を聞いたゼリスの表情が、わずかに変わった。脳裏に、王都から届いた一通の手紙の文言がよぎる。
「あの手紙にあった……王都で起きていることが、ここでも」
その呟きの意味を、カケル達もすぐに察した。
「王都で起きてる失踪事件と、同じってことか?」
カケルが尋ねると、ゼリスはしばらく考え込んだ。
「まだそうと決まったわけじゃない。ただ、状況はよく似ている」
「王都だけじゃなく、こんな離れた村でもか……」
アッシュが険しい顔で呟いた。予想していたよりもずっと大きな話に、これまでの気楽さが消えていくのを感じている。
「もし同じ事件なら、思ってたよりずっと広い範囲で起きてることになるな」
「ああ。だからこそ、無関係だと決めつけるわけにはいかない」
ゼリスはそう答えると、改めて村長へ向き直った。
「村長。消えた人達について、もう少し詳しく聞かせてもらえますか」
村長は重々しく頷いた。
それから四人はいくつか質問を重ねたが、新しい手掛かりはほとんど得られなかった。消えた者達に目立った共通点はなく、姿を消す前に変わった様子があったという話もない。結局、誰が、いつ、何のために村人を連れ去っているのか――それすら分からないままだった。
村長の家を出ると、アッシュが頭の後ろで腕を組んだ。
「詳しく話を聞こうにも、分からないことだらけかー」
「手掛かりがないんじゃ、探しようもないな」
カケルがそう言うと、ゼリスは辺りを見回した。
「まあ、まだ村に来たばかりだし、少し村の中を見て回るか」
「なら、私達が案内してあげる」
リリーが待ちきれない様子で言った。
「私達なら、村のことはよく知っていますから」
リネも微笑んで頷く。
「じゃあ、お願いしようかな」
ミライが言うと、リリーは嬉しそうに笑った。
「任せて!」
リリー達に案内され、一行は村の中を歩き始めた。
「ここが広場で、向こうにあるのがパン屋さん。小さいけど、結構おいしいんだよ」
次々と村のことを話すリリーの後ろを、リネが静かについていく。
村はずれに差しかかったところで、カケルはふと足を止めた。戸口の板が朽ちかけた、古い家が目に留まる。妙に胸がざわついた。理由はうまく言えないが、放っておけない気がした。
「あの家、なんだか人の気配がないな」
カケルが言うと、リリーの足も止まった。
「……うん。あそこ、いなくなった人が住んでた家なんだ」
先ほどまでの明るい口調が、少しだけ沈む。
「今は誰も住んでないのか?」
「あの日からずっとそのまま」
リリーはしばらくその家を見つめたあと、再び歩き出した。
「行こ。まだ案内したいところがあるから」
しばらく歩いたところで、ミライがふと姉妹の胸元に目を留めた。
「そのブローチ、二人とも同じものをつけてるのね」
青い花が、細やかな細工で精巧に象られている。リリーは嬉しそうに笑った。
「でしょ? お姉ちゃんとお揃いなの」
「母がくれたんです」
リネが穏やかに言葉を添えた。
「私達がまだ小さい頃に、二人に同じものを」
「私達、ずっと大事にしてるんだ」
「へえ、リネリの花か」
ゼリスが二人のブローチに目を向ける。
「リネリ?」
聞き慣れない名前に、カケルが首を傾げた。
「ああ、再会という意味を持つ花だ」
「再会……なんかいいね」
ミライが微笑むと、リリーも嬉しそうに頷いた。
「母が好きな花だったんです」
「お母さんも一緒に暮らしてるの?」
カケルが何気なく尋ねると、リネは静かに首を横に振った。
「母は、私達がまだ小さい頃に病気で亡くなったんです」
「あ……ごめん」
「いえ、気にしないでください」
リネは穏やかに微笑んだ。
「それからは、私がリリーの母親みたいなものなんです」
「お姉ちゃん、昔からずっと心配性なんだよ」
「誰のせいだと思ってるの?」
「私かな」
「分かってるじゃない」
リリーが笑うと、リネもつられるように笑った。
「なくさないようにしないとね」
「分かってるって」
リリーはそう言いながら、胸元のブローチに指先で触れた。
やがて一行は村の外れまで辿り着いた。その先には、深い森が広がっている。
その後も村を見て回るうちに、気付けば空は茜色に染まっていた。
「もうこんな時間か」
カケルが空を見上げると、リネも足を止めた。
「私達もそろそろ帰らないと」
「今日はありがとう。おかげで村のこと、いろいろ分かったよ」
ミライが礼を言うと、リリーは笑みを浮かべた。
「どういたしまして。少しは役に立てた?」
「もちろん」
「ならよかった」
満足そうに笑ったリリーは、カケル達を見回した。
「明日もまだ村にいるんでしょ?」
「ああ、そのつもりだ」
「じゃあ、また明日ね」
「うん、またね」
ミライが笑顔で答えると、リネもカケル達に軽く頭を下げる。
「それでは、また明日」
二人は並んで帰っていった。カケル達もその姿を見送ってから、宿へと向かった。
その夜、四人は宿の一室に集まっていた。
「結局、これといった手掛かりは見つからなかったな」
カケルの言葉に、アッシュが腕を組む。
「村の中も見て回ったけど、それらしいものは何もなかったしな」
けれど、あの深い森だけは、何かが引っかかったままだった。
「でも、あの森は少し気になる」
ミライが言うと、ゼリスが小さく頷いた。
「実は、村を見て回っていた時、森の入り口で新しい獣道を見つけた」
「え?」
アッシュが声を上げる。
「気になったが、あの場では何とも言えなかった。明日、もう一度調べてみよう」
「王都の事件と関係があるかもしれないんだよな」
「まだ分からない。ただ、もし同じ原因で起きているなら――」
ゼリスがそこまで言った時だった。
宿の外から、慌ただしい足音が聞こえてくる。
「大変だ!」
誰かの叫び声に、四人は顔を見合わせた。続いて別の声が上がり、外がにわかに騒がしくなっていく。
「何かあったみたいだな」
カケル達はすぐに部屋を出た。
宿の外では、何人もの村人が集まり、騒然としていた。
「どうしたんですか?」
カケルが近くにいた村人へ声をかける。
男は青ざめた顔で振り返った。
「リネとリリーがいないんだ!」
「え……?」
昼間見た、二人の笑顔が脳裏をよぎる。ブローチに触れながら笑うリリーと、それを見つめる姉の姿が。
頭の中で、村長の言葉が蘇る。荷物も残したまま、忽然と姿を消す――その言葉が、今は現実の重さを持って迫ってきた。
隣ではミライが唇を噛み、アッシュが拳を強く握りしめている。ゼリスだけは表情を変えず、静かな怒りを湛えた目を夜の村へ向けていた。
つい先ほどまで一緒にいた姉妹の名前に、カケル達の表情が一変した。




