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英雄の歩いた世界  作者: 神楽坂 澪


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第6話 旅立ち

 カケル達は町を出る準備をしていた。荷物は多くない。旅に必要な最低限の装備だけを、それぞれが背負っている。


「忘れ物はないか?」


 ゼリスが聞くと、カケルは背負った荷物を軽く叩いて答えた。


「大丈夫だ」

「私も平気」


 ミライも頷く。その隣で、アッシュだけが大きな欠伸をしていた。昨日、子供達を相手に日が暮れるまで走り回っていたせいだろう。カケルが呆れたように言う。


「子供相手に、よくそこまで本気になれるな」

「手加減の方が失礼だろ」


 アッシュは悪びれもせずに言った。ゼリスが小さく笑う。


「元気なのは良いことだ」


 そんな他愛もないやり取りを交わしながら、四人は町の門へ向かって歩き出した。まだ朝は早く、通りに人影は少ない。そこへ不意に、聞き覚えのある声が響いた。


「あっ!」


 振り返ると、昨日一緒に遊んだ子供達が立っていた。あの少年の姿もある。


「お姉ちゃん!」


 少年は真っ直ぐミライへ駆け寄った。ミライが驚いたように目を丸くする。


「どうしたの?」

「今日、出発するんでしょ」


 少し息を切らしながら少年が言う。誰かから聞きつけてきたのだろう。気付けば、周りには昨日の子供達がすっかり集まっていた。


「もう行っちゃうの」

「もっと遊びたかった」


 口々に言う子供達を見て、アッシュが片眉を上げる。


「次会う時までに、少しは速くなっとけよ」

「アッシュお兄ちゃんもね」


 子供達が笑い、ミライもつられて笑う。ゼリスはそんな様子を、少し離れた場所から穏やかに見守っていた。

 やがて、最初の少年が一歩前へ出た。少し寂しそうな顔だった。


「また来る?」


 ミライはしゃがみ込み、少年と目線を合わせる。それから優しく笑った。


「うん。きっとまた来るよ」


 少年が小指を差し出す。ミライは笑って、自分の小指をそっと絡めた。


「約束」


 少年の表情がぱっと明るくなる。それから今度は、ゼリスを見上げた。


「ゼリスお兄ちゃんも来る?」


 ゼリスが、ふっと目を瞬かせる。それから、いつものように笑った。


「ああ。機会があればな」


 少年の顔が、すっと曇った。


「……来ないの?」


 今にも泣き出しそうな声だった。ゼリスの表情がわずかに固まる。


「いや。来るぞ」


 少年はじっとゼリスを見つめた。半分疑い、半分縋るような目だった。ゼリスはその視線から逃げず、真っ直ぐに見つめ返す。


「噓はつかない主義でな」


 迷いのない声だった。それだけで十分だったのだろう。少年はしばらくその顔を見つめていたが、やがて安心したように笑った。


「約束だよ」

「ああ。約束だ」


 ゼリスは優しく頷いた。

 その横顔を見ていたカケルは、ふと妙な違和感を覚えた。何気ない言葉のはずなのに、まるで自分自身に言い聞かせているような、そんな響きがあった気がしたのだ。だが、それが何なのかは分からないまま、カケルはすぐにその感覚を仕舞い込んだ。

 別れの時間だった。カケル達は町の門へと向かう。子供達はいつまでも手を振っていた。


「また来てね」

「気を付けてね」


 元気な声が背中に響く。ミライは大きく手を振り返し、カケルも振り返った。アッシュは両手を大きく振っている。ゼリスは、小さく手を上げるだけだった。

 やがて町が遠ざかり、子供達の姿も見えなくなる。それでもしばらくの間、誰も何も言わなかった。

 町を出てしばらく、街道を歩きながら四人は旅を続けていた。空は青く晴れ渡り、吹き抜ける風も心地よい。


「そういえば、目的地って決まってるのか?」


 カケルが、ふと思い出したように口を開いた。今更な問いだった。


「ああ。昔寄った国へ行こうと思ってる」


 そう言って、ゼリスは懐から一通の手紙を取り出した。何度も広げて読み返したのだろう、紙の折り目はすっかり柔らかくなっている。封には、見覚えのある紋章の蝋が押されていた。


「なんでその国なんだ?」


 ゼリスは手紙を開き、そこへ視線を落とす。


「王からの手紙だ」

「王様から……?」


 ミライが目を丸くする。ゼリスは手紙の文面をなぞるように、続けた。


「最近、原因不明の失踪事件が続いているらしい。行方も分からず、共通点も見つからない。手掛かりもほとんどないそうだ」


 一文一文を確かめるような読み方だった。カケルは、喉の奥がすっと冷たくなるのを感じた。隣で、ミライも不安そうな声を漏らす。


「それって……危ないんじゃ」

「分からない」


 ゼリスは手紙を畳みながら、首を横に振った。


「だから、様子を見に行く」


 手紙を懐へ戻す手つきは、いつもより慎重だった。ゼリスの顔つきが、少しだけ真面目なものへ変わる。


「あまり良くない予感がする」


 その声はいつもより低く、カケルはそれ以上何も聞けなかった。ゼリスがそんな顔をするからには、何か理由があるはずだ。カケルには、それだけで十分だった。

 太陽が傾き、街道の先が橙色に染まり始めた頃、四人は少し離れた場所で野営をすることにした。アッシュが慣れた手つきで薪を集め、ミライは食事の準備に取り掛かる。カケルは水を汲みに向かった。

 焚き火を囲みながら、四人は夕食を取った。


「これ美味しい。何のお肉?」


 ミライが目を輝かせて聞く。ゼリスは肉を一口食べてから答えた。


「そこで狩ったホーンラビットだな」

「ホーンラビット……?」


 カケルが首を傾げる。


「角の生えた兎型の魔物だ。この辺りでは、普通に食べる」


 ミライの動きがぴたりと止まった。手に持っている肉を、もう一度見つめる。それから、恐る恐る一口食べた。


「……美味しい」

「だろ?」


 ゼリスが満足そうに頷く。それから、思い出したように付け加えた。


「――と言いたいところだが、冗談だ。ただの鶏肉だよ」


 ミライが呆れたようにゼリスを見る。


「もう、紛らわしいよ」


 カケルとアッシュが同時に吹き出した。ゼリスは涼しい顔で肩を竦める。


「反応が可愛かったのでな」

「師匠」


 アッシュが呆れた声を上げる。焚き火の周りに、笑い声が広がった。

 夜は静かに更けていった。空には無数の星が広がっている。


「綺麗だな」


 ミライが空を見上げて呟く。星の瞬きを見つめる横顔には、昼間のにぎやかな別れの余韻が、まだ静かに残っているようだった。


「そうだな」


 カケルも頷いた。ふと、目を閉じれば今日一日の出来事が次々と蘇る。子供達の笑い声、ゼリスにからかわれた夕食、そしてゼリスが交わした小さな約束。旅はまだ始まったばかりだというのに、すでにたくさんのものを積み重ねてきた気がした。

 アッシュは寝転がったまま、満足げに腹をさすっている。


「腹いっぱいで、幸せだ」


 その気楽な声に、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。カケルは、幸せそうに目を細めて呟いた。


「そうだな……」


 その声に、ゼリスも穏やかに笑った。だがその横顔には、昼間手紙を読んでいた時と同じ、微かな翳りが残っているようにも見えた。

 旅は始まったばかりだ。この先に何が待っているのか、まだ誰も知らない。だが今だけは、同じ星空の下で、四人とも同じ未来を見ていた。

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