第1話 英雄ゼリス(後編)
英雄、誰もが一度は耳にしたことのある名だった。大規模な魔物災害から人々を救い王都を守り抜いた英雄、その人物が今目の前に立っている。
「英雄……?」
カケルは思わず呟いた、自分たちが二人がかりでも歯が立たなかった魔物を目の前の男はたった一撃で倒してしまった。その男が英雄だというのに当の本人は照れくさそうに頭を掻いているだけだった。
青みがかった銀髪は肩に掛からないほどの長さで前髪を自然に流した軽やかな髪型をしている、身に纏うのは動きやすさを重視した冒険者風の装いでその上からでも分かる引き締まった身体つきが積み重ねた鍛錬を物語っていた。
「いやいや、そんな大層なものじゃないさ」
穏やかに笑うゼリスとは対照的に商人は興奮を抑え切れない様子で何度も頭を下げる。
「ありがとうございます!本当にありがとうございました!あなたが来てくださらなければ私は……!」
「気にしなくていいよ無事だったんだから、それで十分さ」
飾らない笑顔を浮かべるその姿に英雄と聞いて思い浮かべる威厳や近寄り難さはどこにもなかった。困っている人を助けてもそれを特別なこととは思っていない、肩書きを感じさせる振る舞いもなく一人の旅の冒険者が当たり前のようにそこへ立っているだけだった。その時森の奥から慌ただしい足音が近づいてくる。
「おーい!」
若い男の声が響き木々の間から一人の青年が飛び出した、金色の短髪に引き締まった身軽そうな体つきで落ち着きなく辺りを見回している。
「おーい師匠!そんな先に行くなって!追いつけないじゃねえか!」
肩で息をしながら文句を並べる青年にゼリスは口元を緩め静かに耳を傾ける。
「アッシュ、遅かったな」
「遅いじゃねえよ!師匠が速すぎるんだって!」
息を切らしながら抗議するアッシュを見てゼリスは堪えきれないように笑い声を漏らすとその笑いにつられるように張り詰めていた空気も少しだけ和らいだ。
「さてと……」
ゼリスが手を軽く叩くと一同は横倒しになっていた荷車を起こし散らばった荷物を積み直し始め商人は何度も礼を口にしながら荷物を運びゼリスたちも慣れた手つきで作業を進めていく。やがてすべての荷物を積み終えると一行は町への道を歩き始めカケルは何度となくゼリスへ視線を向け、そのたびに巨大な魔物が一瞬で崩れ落ちた光景が脳裏によみがえる。
「なぁ、英雄って本当なのか?」
カケルの問いに商人が勢いよく振り返った。
「本当ですよ!知らないんですか!数年前、とある国の王都へ千を超える魔物の群れが押し寄せたんです!」
興奮を隠し切れない様子で語り始めた商人の話にカケルとミライは黙って耳を傾ける。
「騎士団も冒険者も壊滅寸前でした。もう終わりだと、誰もがそう思ったんです。ですがゼリス様は仲間たちを率いて立ち向かった!何日も戦い続け、王都を守り抜いたんです!だから英雄ゼリスなんですよ!」
拳を強く握り締め商人は誇らしげに言い切った。熱弁が終わると一行を包んでいた賑やかさがふっと途切れ、風に揺れる木々の音だけが静かに響く中カケルは隣を歩くゼリスへ目を向けた。しかし当の本人は困ったように頭を掻くだけだった。
「……盛りすぎだって」
「盛ってませんよ!」
間髪入れず返ってきた言葉にミライが吹き出しそのやり取りを聞いていたアッシュは得意げに胸を張った。
「俺の師匠すげぇだろ?」
そんな他愛ないやり取りを交わしているうちに町の門が見え始めその夜カケルとミライはゼリスたちと同じ宿へ泊まることになる。
宿の食堂は大勢の客で賑わっていた。旅人や商人、傭兵たちが思い思いに食事を楽しみ酒を飲みながら笑い合う者もいれば仕事の話に花を咲かせる者もいる。料理の香ばしい匂いが漂う中店員たちは忙しそうに食堂を行き交い賑やかな笑い声が絶え間なく響いていた。
四人が空いている席へ腰を下ろすとほどなくして料理が運ばれてくる、香ばしく焼き上げられた肉料理に湯気の立つスープや焼きたてのパンが並び立ち上る香りが食欲を誘った。
「いただきます」
ミライが静かに手を合わせたその瞬間、アッシュは待ちきれなかったように肉へ飛びつく。
「うまい!」
「早いな!」
「旅で一番大事なのは飯だ」
「初めて聞いたぞそんなの」
「これは真理だ……」
思わず声を上げるカケルにも構わずアッシュは肉を頬張りながら得意げに言った。真顔で言い切るアッシュにゼリスは思わず吹き出しその笑いにつられるようにミライも肩を震わせる。やがて四人の笑い声は賑わう食堂へ溶け込み食卓は穏やかな空気に包まれていた。
「ゼリス、アッシュっていつもこんな感じなの?」
「まあな、昔からこんな調子だ」
「なんだか楽しそうだな」
「当たり前だろ。師匠と一緒なんだから」
胸を張って言い切るアッシュを見てカケルは思わず笑みを浮かべる。
「それに師匠は本当にすごいんだ」
「まだ何かあるのか?」
期待を込めた視線を向けられアッシュは待っていましたと言わんばかりに身を乗り出す。
「昔な、師匠はドラゴンを一人で倒したんだぜ」
国を救ったという話を聞いた後のせいかカケル達はそこまで驚きはしなかったが、その瞬間ゼリスはわざとらしく咳払いを一つすると椅子へ深く腰を下ろして腕を組み大きく胸を張った。
「ふっふっふ、ずばり俺にしかできない所業だ。アッシュよ、君も早く私のように強くなりなさい…」
「何だよその喋り方」
「未来の英雄を目指しているのでな」
「はいはいもう英雄だよ、安心してくれ」
ゼリスは腕を組み目を閉じるとしばらく真剣な表情で考え込む。
「そうだったな」
「なんだよそれ」
ミライは思わず吹き出し笑い声を上げアッシュも呆れたように笑う、そのやり取りを眺めているうちにカケルの表情も自然と和らいでいた。
英雄とはもっと近寄り難く厳しい人物だと思っていた、だが目の前にいるゼリスは仲間と笑い合い冗談を言い合い、人を助けてもそれを特別なこととは思わない。昼間に見せた圧倒的な強さも、今目の前にある気さくな笑顔も、そのどちらも英雄ゼリスという一人の男なのだとカケルは静かにその姿を見つめていた。
すみませんがまだまだ初心者故あとから修正が加わったりします
どうか温かい目で見守ってください




