第19話 帰る場所
四人は洞窟の奥へと進んでいた。
先程の広間を抜けると、通路は進むにつれて次第に幅を増していった。壁に掛けられた松明も数を増し、揺れる炎が岩肌に不規則な影を描いている。やがて前方に開けた空間が見えてくると、その中央に置かれた大きな檻が目に入った。
「みんな!」
檻を見たリースが、思わず駆け出す。
その声に気づいた子供たちがはっと顔を上げた。暗がりの中に見慣れた少女の姿を見つけると、強張っていた表情が一気に緩み、次々と声が上がる。
「リースお姉ちゃん!」
服こそ汚れているものの、大きな怪我を負っている子はいない。一人ずつ顔を見ていくうちに、リースの胸を締め付けていた不安も少しずつ和らいでいった。孤児院を飛び出してからというもの、頭に浮かぶのは最悪の事態ばかりだったのだ。だからこそ、目の前の子供たちが無事だと分かっただけで、張り詰めていた心がほどけていくのを感じた。
「招かれざる客がいるみたいだな」
その声に、全員が振り返った。
広間のさらに奥には、黒い外套を纏った男が立っていた。こちらを見据える口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。
「子供たちを攫ったのはあんたか」
カケルが剣を構える。
「ああ、そうだが。それがどうかしたか」
「子供たちを返してもらう」
静かな声だったが、その言葉に迷いはなかった。リースもまた檻の前で足を止め、子供たちを背に庇うようにして男へ向き直る。
男は答えず、笑みを崩さないままカケルたちを見つめている。
次の瞬間、黒い外套の下から現れた身体が見る間に膨れ上がり、人の姿は跡形もなく消え去った。赤く濁った瞳がこちらを捉えたときには、そこに立っていたのは人間ではなく、一体の魔物だった。
魔物は低く唸ると地面を蹴った。巨体からは想像もつかない速さで檻の前に立つリースとの距離を詰め、振り下ろされた腕が風を巻き起こす。
「っ!」
咄嗟に剣を構えたものの、その一撃を受け止めるにはあまりに力が足りなかった。凄まじい衝撃に身体が宙に浮き、そのまま横手の岩壁まで弾き飛ばされる。背中を強く打ち付けて、息が詰まった。
魔物は倒れたリースへ向け、間を置かずに追撃を繰り出そうとする。
「リース!」
カケルが割って入った。振り下ろされる腕へ剣を差し込んで軌道をわずかに逸らし、その隙を逃さず斬撃を叩き込む。刃は魔物の身体を浅く裂いた。
魔物が身を翻し、赤い瞳をカケルへ向ける。
「アッシュ!」
「任せろ!」
呼応したアッシュが一気に間合いを詰め、踏み込みから繰り出した拳を魔物の脇腹に深くめり込ませた。巨体がわずかによろめいたところへミライが続き、振り抜いた剣が魔物の脚を切り裂く。
だが、魔物は倒れなかった。傷を負ったことなど意に介さないように身体を起こすと、巨体を再び低く沈める。
狙いはカケルたちではなかった。その視線の先にあるのは、檻だった。
「まずい!」
カケルが叫ぶ。檻の中で子供たちが悲鳴を上げた。あの巨体が突っ込めば、檻ごと吹き飛ばされてしまう。
魔物が地面を蹴るのとほとんど同時に、カケルも駆け出していた。闘気が全身を駆け巡り、踏み込んだ足が地面を強く捉える。身体が一気に加速し、視界の端を岩壁が流れていった。迫る魔物との距離が、瞬く間に縮まっていく。
そのとき、カケルの脳裏に一つの光景がよぎった。かつてゼリスが見せてくれた一閃である。あの日、カケルはその剣に憧れ、その技に自分で名前をつけたのだった。
――流星剣。
あのときゼリスが振るった剣を、今度は自分が振るう。
カケルは魔物の懐へ飛び込むと、全身の力をひとつにまとめて剣へ乗せた。
「流星剣!」
振り抜かれた刃が、魔物の巨体を深々と切り裂く。魔物は苦しげな咆哮を上げて大きく身体を震わせ、その勢いのまま前のめりに崩れ落ちた。地面を揺らす音が洞窟に響き、横たわった巨体はそれきり動かなくなる。
洞窟を包んでいた緊張が、ゆっくりと解けていった。
檻の中から歓声が上がる。
「やったー!」
リースは痛む背中をかばいながら檻へ駆け寄ると、剣を振り下ろして錠前を砕いた。乾いた音とともに錠が外れ、扉がゆっくりと開く。
「リースお姉ちゃん!」
待ちきれなかった子供たちが我先にと飛び出し、リースに抱きついた。リースは小さな身体を一人ずつ受け止めながら、その顔を確かめていく。泣いている子もいれば、安心したように笑っている子もいて、そのどれもが、生きてここにいることを伝えてくれていた。
「みんな……無事で、本当に良かった……」
自然と頬がゆるみ、肩から力が抜けていく。子供たちもまた、恐怖から解き放たれたように笑顔を浮かべていた。洞窟の空気が、少しずつ穏やかなものへと変わっていく。
少し離れた場所からその様子を見守っていたカケルたちも、剣を収めて肩の力を抜いた。
「全員そろったな」
カケルが呟くと、アッシュが笑みを浮かべる。
「ああ。これで解決だ」
ミライも静かに頷いた。
孤児院の子供たちは全員無事だった。今はそれだけで十分だった。
*
夜明け前の森は、まだ静寂に包まれていた。東の空がわずかに白み始め、木々の隙間からこぼれる淡い光が街道を照らしている。洞窟を後にした一行は、救い出した子供たちを連れて孤児院への道を歩いていた。
長い夜を過ごした子供たちは疲れ切っていた。年上の子と手を繋ぎながら懸命に歩く姿を見れば、その小さな身体にかかった負担の大きさが分かる。リースは時折足を止めて歩幅を合わせ、小さな子の頭を優しく撫でてやった。
歩きながら子供たちの顔を一人ずつ見ていくと、眠そうに目を擦る子もいれば、疲れた様子で黙々と歩く子もいた。それでも誰一人欠けてはいないことを改めて確かめると、リースは小さく息を吐いた。
「あの……」
その声に、カケルたちが振り返った。
リースは少し照れくさそうに視線を逸らし、それから小さく頭を下げる。
「助けてくれて……ありがとう」
「みんな無事で良かった」
カケルは柔らかく笑った。恩を着せるでも、自分たちの働きを誇るでもなく、ただ当たり前のことをしたような顔だった。その自然な態度に、リースも思わず口元をゆるめる。
隣ではアッシュが、そんな二人を見てにやりと笑った。
「ま、もう無茶すんなよ」
「……うん」
短い返事だったが、今度は素直に頷くことができた。ミライもそんなリースを見て、小さく微笑む。
四人はそれ以上言葉を交わすことなく、朝焼けの道を並んで歩いていった。
やがて森を抜けると、見慣れた孤児院の建物が姿を現した。
「あっ!」
子供たちが弾かれたように駆け出す。その声を聞きつけた院長先生が玄関から飛び出してきて、こちらへ駆けてくる子供たちの姿を目にした瞬間、目に涙を浮かべながらその小さな身体を次々と抱きしめていった。
「良かった……本当に良かった」
子供たちも泣きながら院長先生に抱きつき、安堵の声が重なって、孤児院の前はたちまち賑やかな空気に包まれた。少し離れたところでその光景を見つめていたリースは、そっと目元を拭う。
やがて院長先生は立ち上がり、カケルたちへ向き直って深々と頭を下げた。
「皆さん、本当にありがとうございました」
「いえ。みんなが無事だったなら、それで十分です」
カケルが答えると、院長は穏やかに微笑んだ。
*
その日の夕食は、いつもより少しだけ賑やかだった。
豪華な料理が並んでいるわけではない。それでも、焼きたてのパンの香りが食堂いっぱいに広がり、温かなスープから立ち上る湯気が、長い夜を越えた皆の身体をゆっくりと温めていた。
子供たちは競うように今日の出来事を話し始める。
「それでね! カケルお兄ちゃんがね!」
「違う違う! アッシュがドーンって!」
「ミライお姉ちゃんもすごかった!」
次々と飛んでくる声に、アッシュは照れ隠しのように笑った。
「もっと褒めてもいいぞ」
「調子に乗らない」
ミライが呆れたように返しながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。二人のやり取りに、子供たちが声を上げて笑った。
笑い声に包まれた食堂の中で、リースもいつの間にか笑っていた。子供たちの笑顔があり、院長の穏やかな眼差しがあり、同じ食卓を囲む三人がいる。そんな何気ない光景を見つめながら、リースは胸の奥に不思議な感覚を覚えていた。
どこか懐かしいのに、初めて見る景色のようにも思える。
その温かさに包まれたまま、夜は静かに更けていった。
書き溜めていた話が消えてしまって泣きそうです
思い出しながら行進頑張るので続きも是非みてください




