第18話 一人きりの剣
夜の森を、リースは息を切らしながら駆けていた。胸は苦しく、肺は焼けるように熱かったが、それでも足を緩めることなく、暗い森をひたすら突き進んでいく。
「待ってなさい……必ず見つけ出すから」
森の奥へ進むにつれ、木々の間から差し込む月明かりは少しずつ乏しくなっていった。やがて、闇に溶け込むようにして黒く口を開けた洞窟が姿を現す。その入口は、見る者の足を竦ませるような不気味さを漂わせていた。
リースは洞窟の前で足を止めた。怖くないと言えば嘘になる。魔法はまともに使えず、剣の腕も自分で誇れるほどではない。それでも、この先に子供達がいるかもしれないと思えば、引き返すことなどできなかった。
剣の柄を握り締め、リースは洞窟の中へ踏み込んだ。
洞窟の中は薄暗く、壁に掛けられた松明の炎だけが湿った岩肌を照らしていた。まだ火が燃えている以上、誰かがここに出入りしているのは間違いない。リースは警戒を強め、壁に身を寄せながら慎重に奥へ進んでいった。水滴の落ちる音が響く中、足を進めるたびに、自分の呼吸までがやけに大きく聞こえる。
曲がり角の先を覗き込もうとした、そのときだった。
「……リースお姉ちゃん」
かすかな声が耳に届いた。聞き間違えるはずがない。リースは声のした方へ駆け出し、奥の広間へ飛び込んだ。
「みんな!」
広間には大きな檻があり、その中に孤児院の子供達が閉じ込められていた。リースの姿を見つけた子供達が、怯えていた顔を一斉に上げる。
「リースお姉ちゃん!」
大きな怪我をしている様子はなく、リースは小さく息を吐いた。だが、安堵したのも束の間だった。
「おい、誰だ」
背後から響いた低い声に振り返ると、剣を携えた二人の男が通路の奥に立っていた。どちらも慌てた様子はなく、突然現れたリースを冷ややかに見つめている。
「ガキ共の知り合いか」
「まさか一人で来たのか?」
リースは子供達を庇うように檻の前へ立ち、剣を抜いた。
「この子達を返してもらうわ」
男達は顔を見合わせ、嘲るように笑う。
「随分舐められたもんだ」
勝てる自信はない。だが、ここで退けば子供達を助けることはできない。リースは一瞬だけ背後を振り返った。檻の中から、怯えた子供達の目がじっとこちらを見つめている。
「すぐに助けるから」
小さく頷く子供達の姿を目に焼き付け、リースは剣を握る手に力を込めると、男達が動くより先に床を蹴った。
正面の男へ斬り込む。先手を取ったはずだったが、男の反応は速く、振り下ろした刃は容易く受け止められてしまった。金属のぶつかる音と共に、重い衝撃が腕へ走る。力で押し返そうとした瞬間、もう一人の男が横から迫ってきた。リースは身を捻って後ろへ飛び退いたが、剣先が頬のすぐ横を掠め、冷たい汗が背中を伝う。
体勢を立て直す間もなく、正面の男が再び踏み込んできた。振るわれた剣を受け止めたものの、腕力の差は明らかで、足が床を擦り、踏ん張った踵が小石を弾く。
「おいおい、そんな腕で助けに来たのか」
嘲笑が耳に刺さり、リースは唇を噛んだ。それでも、背後には守らなければならない子供達がいる。
剣を引き、右手を前へ突き出す。
「はっ!」
掌へ魔力を集めようとしたが、そこから生まれたのは小さな煙だけだった。
「なんだそれ」
「魔法使いごっこか?」
男達が声を上げて笑う。悔しさに歯を食いしばるものの、落ち込んでいる余裕などなかった。
一人の男が、大きく剣を振り上げる。リースは避けようとしたが、先ほど受けた衝撃で反応が一瞬遅れた。
刃が振り下ろされようとした、その直前だった。洞窟に鋭い金属音が響き、横合いから差し込まれた剣が男の刃を弾いた。リースが顔を上げると、そこには剣を構えたカケルが立っていた。
「大丈夫か!?」
リースは思わず目を見開く。そこへ、さらに後方から聞き覚えのある声が響いた。
「汚名返上しに来たぜ」
アッシュだった。軽口を叩く表情はいつも通りだが、その拳はすでに固く握られている。
「あんた……」
「話は後だ。とっとと抜け出そうぜ」
アッシュが男達へ向き直り一歩前へ出ると、その隣へミライも並んだ。
「ね、人攫いじゃなかったでしょ?」
リースは何も答えなかった。先ほどまで一人きりで男達と向き合っていた自分の前に、今は三人が立っている。その背中を見つめるうちに、張り詰めていた胸の内がわずかに緩み、リースは改めて剣を握り直した。
男が再び剣を振るう。カケルはそれを正面から受け止めると、そのまま力任せに押し返した。体勢を崩した男へ、アッシュが一気に距離を詰める。
「おらっ!」
振り抜いた拳が顔面を捉え、鈍い衝撃音と共に男の身体が吹き飛んで壁へ激突した。
「ナイス、アッシュ」
カケルの声に口元を緩め、アッシュは男へ視線を戻す。壁際に倒れていた男がゆっくりと身体を起こしたそのとき、二人の男の身体に異変が起きた。その身体が大きく膨れ上がり、異形のものへと姿を変えていく。
「魔物……」
リースが思わず呟く。先ほどまで人間に見えていた二人の姿は、もはやどこにもなかった。角と鋭い牙を持つ巨体が、四人を睨みつけている。
魔物達は低い唸り声を上げて床を蹴った。巨体からは想像もできない速さで迫ってくる魔物に、カケルはすぐさま剣を構える。
「来るぞ!」
振り下ろされた腕を剣で受け止めると、重い衝撃が全身へ伝わった。その横からアッシュが飛び込む。
「吹っ飛べ!」
拳が脇腹へめり込み、魔物が僅かに体勢を崩した。そこへミライが踏み込み、振るった刃が肩口を深く切り裂く。血が岩肌へ飛び散る中、ミライは静かに剣を構え直した。
「まだまだ」
「ぶっ倒れるまで何度でも殴るだけだ!」
アッシュが笑みを浮かべ、再び拳を握る。リースも剣を構え直し、魔物を睨み据えた。
魔物の一体がアッシュへ飛び掛かった瞬間、リースは飛び出した。振り下ろされた腕へ剣を叩き付けて軌道を僅かに逸らすと、その一瞬の隙を逃さず、アッシュの拳が顔面へ突き刺さる。魔物の巨体は壁へ叩き付けられ、そのまま床へ崩れ落ちて動かなくなった。
アッシュはリースへ振り返ると、握っていた拳から親指をぐっと立てて見せた。
「助かったぜ」
「べ、別にあんたを助けた訳じゃないわ」
「はいはい」
アッシュはからかうように笑った。
残る一体へ、カケルとミライが同時に踏み込む。カケルの剣が胴を裂き、続くミライの斬撃が肩口へ食い込んだ。それでも魔物は暴れようと腕を振り上げたが、その懐へカケルがもう一歩踏み込み、振り抜いた剣が魔物の身体を深く切り裂く。巨体が大きく揺らぎ、そのまま床へ崩れ落ちた。
洞窟に静けさが戻る。
リースはすぐに檻へ駆け寄った。扉には粗末な錠が掛けられていたが、カケルが剣の柄で数度叩くと、錆びた金具はあっけなく外れて床に落ちる。
扉を押し開けて中へ入ると、子供達が一斉にリースへ抱きついてきた。小さな身体は震えていたものの、一人ひとりの顔を確かめるように見渡しても、目立った怪我はない。
「リースお姉ちゃん……!」
「大丈夫。もう大丈夫だから」
そう声を掛けながら子供達の頭を撫でていたリースだったが、そこで違和感を覚えた。孤児院で見慣れた顔が、いくつも見当たらない。
「……あれ?」
リースは檻の中を見回し、一人ずつ数えるように視線を巡らせた。
「他の子達は?」
その問いに、子供達の表情が再び曇る。
「あっち……」
一人の子供がおずおずと洞窟の奥を指差した。
「みんな、もっと奥に連れていかれたの」
リースの表情が強張った。助けるべき子供は、まだ残っている。
カケル達も洞窟の奥へ視線を向けた。薄暗い通路の先は闇に沈み、何が待っているのかは分からない。
「行こう」
カケルが奥の闇を見据え、先頭に立つ。リースは力強く頷いたものの、怯える子供達を見て一瞬ためらった。この子達を連れて奥へ進むわけにはいかない。かといって、残された子供達を見捨てて戻ることもできなかった。リースは子供達の前にしゃがみ込み、一人ひとりと目を合わせる。
「ここで待ってて。必ずみんな連れて戻ってくるから」
四人は檻を後にし、洞窟のさらに奥へ続く通路へ足を向けた。




