第15話 英雄の背中
ゼリスは苦痛に顔を歪めた。
「ぐっ……」
「ゼリス!」
カケルと目が合うと、その口元にかすかな笑みが浮かんだ。
「簡単に負けるなよ、カケル。英雄の弟子なんだろ? 俺が弱いみたいじゃねえか」
ヴォルグが剣を引き抜いた。ゼリスの身体が揺れ、そこへ拳が叩き込まれる。吹き飛ばされたゼリスを受け止めきれず、カケルも背中から倒れた。二人はもつれ合い、床を転がった。
ミライとアッシュが駆け寄ってくる。ヴォルグは奪った剣を放り捨て、追撃もせずにその様子を眺めていた。
「ゼリス、俺を庇って……」
カケルは身を起こし、傍らのゼリスへ手を伸ばした。傷口から広がる血に、ミライが息を呑む。
「ゼリス、傷が!」
「師匠! 早く手当を!」
アッシュが膝をついて上体を支え、ミライが傷口を押さえた。ゼリスは呻きを漏らしたが、その手を止めはしなかった。
「……聞いてくれ。話しておきたいことがある」
浅い呼吸を繰り返しながら、三人へ目を向ける。
「この間の商人の話、覚えてるか」
「あの国を救ったっていう……」
ミライの言葉に、ゼリスは頷いた。
「ああ。魔物の大群が押し寄せてきてな。仲間達と戦って、どうにか国を守った。俺だけの力じゃないんだが、いつの間にか英雄なんて呼ばれるようになってた」
そこで息を継ぎ、言葉を続けた。
「その後、その国で妙な噂を聞いた。各地で人が消えていて、怪しい教団が関わっているらしい、と。調べていくうちに、奴らの施設で一冊の本を見つけた。アレスという神の教えを記した本だ。神の導きによって、争いも苦しみもない世界を実現する……そう書いてあった。だが、その教団には人を攫っている疑いがある。平和を説く連中が、なぜそんなことをするのか。何を企んでいるのか、確かめたかった」
傷を押さえるミライの指の間から、血が滲んだ。ゼリスはそこへ目を落とし、わずかに眉を寄せた。
「それで、奴らを追って旅に出た。その途中で、お前達と出会ったんだ。……すまない。巻き込むつもりはなかったんだが」
「こんなときに何言ってんだ」
アッシュが声を上げた。
「俺達はそんなの気にしない。ゼリスと旅がしたくて、一緒にいるんだ」
「そうだよ。私達だって、ゼリスの力になりたい」
「お前ら……」
「話は終わったか」
ゼリスの声に、ヴォルグの声が重なった。カケル達が顔を上げると、巨体がゆっくりと近づいてくる。
「そろそろ飽きた。終わりにしようか」
カケルは立ち上がり、放り捨てられた剣を拾うと、三人を背にして構えた。
「アッシュ。俺の剣を」
背後でゼリスが言った。
「でも、師匠……」
「頼む」
アッシュは唇を引き結び、ゼリスの背をミライに預けた。立ち上がると脇腹を押さえ、それでも床に落ちた剣へ足を急がせた。
「だめだよ、ゼリス。もうそんな身体じゃ……」
起き上がろうとするゼリスに、ミライが縋った。ゼリスはその手に触れ、笑みを返した。
「大丈夫」
戻ってきたアッシュから剣を受け取り、床に突いて身体を支える。立ち上がる拍子に膝が揺れたが、ゼリスは踏みとどまった。
「下がってろ」
カケルの前へ進み出る。
「弟子に格好悪いところばかり見せてられないからな」
ゼリスは剣を構えた。傷口から流れた血が、足元に滴った。
「いくぞ」
闘気が立ち上り、ゼリスは床を蹴った。
次の瞬間、ヴォルグの胸に一筋の傷が走った。
ゼリスは止まらなかった。振り向きざまに斬り返し、ガントレットで弾かれた剣を引くと、そのまま次の一撃へつなぐ。ヴォルグが拳を繰り出すより早く、刃がその脇腹を裂いた。
カケルは思わず身を乗り出した。ゼリスが押している——そう見えた。だが、傷を負った身体でどこまで保つのか、不安が拭えなかった。
「なんだ、やればできるじゃねぇか」
ヴォルグの口元が吊り上がった。
ゼリスは答えず、さらに踏み込んだ。剣とガントレットが激しくぶつかり合い、火花が散る。刃が防御をすり抜け、ヴォルグの肩を裂いた。血が飛び散ると、男は声を上げて笑った。
「いいぞ! もっとだ! 俺を楽しませろ!」
ヴォルグは傷を意にも介さず、拳を繰り出した。ゼリスが身をかわして斬り返す。その一撃をガントレットで弾くと、さらに踏み込んでくる。ゼリスの剣を迎え撃つたび、ヴォルグの笑みは深まった。深まるほどに、カケルの中で焦りが膨らんでいく。押しているのはゼリスのはずなのに、なぜか勝っている気がしなかった。
やがてゼリスは後ろへ跳び、大きく間合いを開けた。剣を握る手を緩めることなく、カケル達へ顔を向ける。
「カケル。ミライ。アッシュ。それにレオン」
ゼリスは肩越しに振り返り、優しく笑った。
「またな」
短く言い残すと、ヴォルグへ踏み込んだ。
振り下ろした剣から、眩い光が迸った。奔流となってヴォルグを呑み込み、さらに膨れ上がってゼリスの姿をも覆い隠す。光はドーム状に広がり、謁見の間を白く染めた。
カケルは腕で目を庇った。瞼を閉じても光が透け、何も見えなかった。
やがて眩しさが薄れ、腕を下ろす。巻き上がった土煙の奥に、人影が見えた。
立っていたのは、ヴォルグだった。
カケルはその傍らへ、さらに奥へと目を走らせた。ゼリスの姿はなかった。
「そんな……」
「師匠!」
アッシュの叫びが響いた。
「ゼリスはどこ?」
ミライが辺りを見回す。レオンはヴォルグを見据えたまま、低く呟いた。
「なんてやつだ……」
ヴォルグは全身に傷を負っていた。だが、息を吐いて身体を起こすと、何事もなかったかのようにカケル達へ顔を向けた。
「……もう終わりか。ようやく面白くなってきたところだったのにな」
カケルは剣を握り締めた。
「後片付けをして帰るとするか」
ヴォルグの視線が、カケルで止まった。
「まずはお前」
身構える間もなく、拳を叩き込まれた。
「ぐっ!」
剣が手を離れ、床に落ちた。吹き飛ばされたカケルをヴォルグが追う。床へ落ちるより早く胸倉を掴み、そのまま高く吊り上げた。
カケルは襟元を掴む腕に手をかけたが、引き離せなかった。足が宙を掻き、喉から潰れた息が漏れる。
「じゃあな」
ヴォルグが拳を振り上げた。
ミライは駆け出した。カケルが男の腕を掴み、逃れようともがいている。
間に合わない。あの拳が振り下ろされれば、もう二度と、隣を歩くこともできなくなる。
「いやあっ!」
ミライがカケルへ手を伸ばした瞬間、身体の奥から光が溢れた。
放出された魔力が謁見の間を揺るがし、床に亀裂を走らせる。光は幾筋にも分かれて室内を駆け、調度品を砕き、壁を突き破った。
「なんだ?」
顔を向けたヴォルグへ、光の一筋が迫った。
ヴォルグはカケルを放し、後ろへ跳んだ。床へ落ちたカケルの向こうを光が走り抜け、壁を砕く。
「なんだ、この光は」
「カケルから離れて!」
ミライから溢れる光が、ひときわ強く輝いた。光は瞬時に太い柱となって突き進み、ヴォルグを呑み込んだ。
光が通り過ぎた後、ヴォルグは全身から血を流していた。足が一歩後ろへ下がった。それでも倒れず、俯いた顔から笑い声を漏らした。
「ははは……ははははは! いいぞ! こんな力を隠し持ってたとはな!」
「あの傷で、まだ……」
レオンは床に落ちていた剣を拾い、握り直した。
ミライの身体からは、なおも光が溢れていた。周囲へ走る光は定まらず、ヴォルグから離れた壁や床をも打ち砕いている。
ヴォルグは目を細めた。
「だが、その様子だと、まだコントロールできていないようだな」
血に濡れた顔に、笑みが広がった。
「……気が変わった。お前達をここで殺すのは惜しい。もっと強くなれ、強くなって俺を楽しませろ!」
高笑いを残し、ヴォルグの姿が消えた。
ミライは男のいた場所へ手を伸ばしたまま、立ち尽くしていた。やがて光が弱まり、消えると同時に膝が折れた。
「ミライ!」
レオンが駆け寄り、その身体を受け止めた。
誰も言葉を発しなかった。砕けた壁から、小さな石片が床へ落ちた。
カケルは床に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。ゼリスが消えた場所へ歩いていく。
そこには、一本の剣だけが残されていた。
カケルは屈み、柄に手をかけた。拾い上げた剣を見つめたまま、名を呼んだ。
「ゼリス……」




