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比翼の鳥なんてお断り ~私の前世は小説に書いてある~  作者: 海土 龍
その後の話

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【亜希 20歳 師走】


「だからさ、別れればいいじゃん」


 もう何度も何度もこの言葉を繰り返している。

 だけど、姉の優紀は煮え切らない返事しかしない。普段は即決即断の人なのに、なぜ? と思う。

 亜希は和室の炬燵こたつに足を入れて、2つ目のミカンに手を伸ばした。

 

「何回目だっけ? あの人がなんでそんなにモテるのか、私にはさっぱり分からないよ」

「あんたは昔から好みが特殊なのよ。特殊と言うか、一択?」


 昔とは、蒼潤だった時のことを指す。

 優紀は亜希が止めたにも関わらず、高校受験を終えてすぐに『蒼天の果てて君を待つ』を読んだ。

 そして、前世のあれこれを思い出してしまい、そのせいで高野という男を切り捨てられずにいる。


「昔もそれで悩んでたわけでしょ? よく知らないけどさ。またこの人生でも悩み続けるなんて馬鹿馬鹿しくない? スパッと切って、自分だけを見てくれる人を探した方がいいよ」

「よく知らないのなら黙って」

「結局、あいつは、昔も今も姉ちゃんのことを利用しているだけだからね」


 言って、亜希はミカンの皮にぶすっと指を突き刺した。そこを起点に皮を剥き始める。

 姉妹が口を閉ざしたのを見計らうように優紀のスマホが、ぶー、と振動音を響かせた。

 優紀がスマホに手を伸ばして画面のメッセージを確認する。


「なんて?」

「……」

「どうせ『ごめん。もう二度としない』『ちょっと魔が差しただけなんだ。本気じゃない』『俺には君だけだよ。許して欲しい』でしょ? 前回と同じ。前回の前回やその前と同じだから」

「……」


 昔、蒼邦は蒼彰を正室に迎えたが、その時すでに彼には側室が2人いた。

 ――とは言え、あの時代だ。側室の存在は致し方がない。

 峨鍈だって、蒼潤を正室に迎えた時には側室が5人いて、妾は23人いた。


 だけど、蒼邦が峨鍈と異なっていたのは、峨鍈は蒼潤に指摘されて23人の妾をすべて切り、側室も苓姚を最後にそれ以降は娶らなかったのに対して、蒼邦は蒼彰との婚姻後も妾を次々と傍らに置き、蒼彰よりも若い側室を何人も迎えていた。

 そして、蒼彰は蒼邦の娘を1人産んだが、息子を授かることはなく、蒼邦の後を継いだのは側室の産んだ子だった。


 だからと言って、蒼邦は蒼彰を軽んじていたわけではない。

 蒼邦にとって蒼彰は妻というよりも軍師であり、己が天下を手に入れるために必要不可欠な存在だったからだ。

 だけど、蒼彰がいくら賢くて、物事を見渡せたとしても、ひとりの女である。愛し、愛されたいと強く望んでいた。

 嫉妬に駆られた蒼彰は、蒼邦の妾たちを奴婢として売り飛ばしたり、側室が蒼邦と閨を共にする度、憂さ晴らしのように軽い毒を盛っていた。


 蒼邦の死後は、蒼邦の息子たちの中から一番幼い蒼充そうじゅうを即位させ、蒼彰は垂簾聴政を行う。 

 だが、蒼充は成人すると蒼彰を疎ましく思うようになり、2人の関係に溝ができ、やがて対立すると、蒼彰が蒼充を廃し、蒼邦の孫の蒼道そうどうを即位させた。

 蒼道は蒼充の息子ではなく、蒼充の異母兄の息子である。

 無理やり退位させられた蒼充は間もなく毒殺され、その報せを受けた蒼道は蒼彰が生きている限り蒼彰に逆らうことはなかった。


 蒼彰は影の女帝として君臨し、けいの国を栄えさせたが、彼女が亡くなると、冏はたちまち衰えて、わずか1年でぎょうによって滅ぼされる。

 彼女の死後、史書において彼女は悪女として名を遺すが、夫を玉座にまで導き、夫と共に興した国を栄えさせたのは、明らかに彼女の功績だった。


 ちなみに、彼女の血を受け継いだ娘は、峨鍈と梨蓉の息子の峨驕の後宮に入っている。

 峨驕は蒼潤の死後、手当たり次第に蒼家の娘を己の後宮に入れた。美しいと聞けば、蒼家の少年も後宮に入れたので、結果、蒼家は人数を減らし、その数十年後に滅びる。

  

(滅びたと聞くと、悲しい気持ちになるけど、まあ、蒼潤の死後の話だし)


 この話は峨鍈と蒼潤の死後の話であるので、『蒼天の果てで君を待つ』には書かれていない。

 では、なぜ知っているのかというと、早苗である。

 芳華はかなり長生きしていて、芳華の記憶を思い出した早苗が話して聞かせてくれたのだ。

 亜希はミカンをひと房、指先で摘まんで口の中に入れると、それを呑み込んで、優紀の方に視線を向けた。


「高野先輩はさ、姉ちゃんを絶対に手放さないと思うよ。自分が成功するためには姉ちゃんが必要だってことを知っているからね。だけど、たぶん、これからも同じことを繰り返すよ」

「……」

「姉ちゃんは、きっと高野先輩じゃなくても良いと思う。他の男でも姉ちゃんの力で成功させられると思うし。でもさ、今は昔とは違うんだ。姉ちゃん自身が成功したって良いと思う」

「……確かに」


 珍しく姉の賛同を得られたので、亜希は驚いて優紀の顔を見つめてしまう。

 優紀の方も目を瞬いて、まさに目から鱗が落ちたような顔をしていた。


「言われてみれば、そうかも。なんで、とし君でないといけないのかっていう話よね?」


 高野俊弘たかのとしひろという名前なので、優紀は高野のことを『とし君』と呼んでいる。

 亜希は、ようやく姉が目を覚ましてくれたように感じて、うんうん、と大きく頭を上下させた。


「昔は、蒼姓で、人望のある彼がとても魅力的に見えて、彼といううつわを逃してはいけないって思ったのよ」

「分かるよ。蒼彰は蒼家に強い執着を持っていたし、青王朝の復権を本気で目指していたもんね」


 青王朝の復権を掲げで挙兵したはずの諸侯たちはいつの間にか己の利を求めるようになって、峨鍈でさえ『青王朝の復権』だなんて口先だけで、蒼絃を擁立しながら天下を取ることを考えていた。

 そんな中、おそらく蒼彰だけは本気で青王朝や蒼家の血を守ろうとしていて、自分の娘を峨驕の後宮に送ったのだって、娘に堯を乗っ取らせようとしたからだ。

 娘が峨驕の子を産み、やがてその子が即位すれば、堯の皇室に蒼彰の血が混ざる。蒼家の血が峨家の血を乗っ取ることも可能だと考えたのだ。


「だけどさ、もう今は蒼家なんて関係ないじゃん?」

「関係ないわね。でも、とし君って、相変わらず人望だけはあるのよ。自然と人がとし君の周りに集まって来るの。稀有な才能だと思うわ」

「それを利用したいと思った姉ちゃんや蒼彰の気持ちは理解できるよ。峨鍈も利用できるもんなら利用したいと思ってた時期もあったし」


 だけど、蒼邦がけして自分の下にはつかないタイプだと分かったので、峨鍈はあっさりと蒼邦を見限っている。

 

「蒼彰はあの時代に女だったから、蒼邦に仕える立場にしかなれなかったけど、今の時代、男が上で、女は下っていうことはないじゃん。姉ちゃんが表に出ようとした時に足を引っ張って来るような男なら、姉ちゃんには不要だと思う」

「つまり、とし君が私の隣に並んでくれるのなら、まだ期待しても良いってことよね?」

「隣に並んでても自分の足で立っててくれなきゃダメじゃん? もたれ掛かってきて姉ちゃんの負担になるようなら、いらない」

「いらないって……。あんた、とし君のこと嫌いだもんね」

「昔のあれこれを思い出して、名前を聞いただけでイライラする」

「重症だわ。――まあ、私も隆哉さんのことは好きじゃない。あの人、無茶苦茶すぎない? 中学生相手に手を出すとか、あり得ないし」

「中学生の時は、いっさい手を出されてないって」

「週末、泊ったりしてたじゃない。それを許しちゃううちの親もどうかと思うけど」

「泊ってたけど、寝るときは別の部屋だったよ。ほんと、あの時は何も無かったって」

「そんなの信じられるわけないでしょ」


 いやいやいや、本当にない! ほっぺたとデコにキスくらいしか!

 そう言い返してみたが、優紀がまったく信じてくれないので、早々に諦める。


「まあさ。姉ちゃんが誰かを支えるのではなく、前に立っている姉ちゃんを支えてくれるような人を探すっていうのも有りかもだよ」


 優紀は大学卒業後、大学院に進むことが決まっている。

 就職も考えて就活していた時期もあったが、やはりもっと大学で学びたいと修士課程に進むことを決め、秋に院試を受けて無事に合格していた。

 これに対して高野は、大学卒業後それぞれ就職し、落ち着いたところで同棲を開始し、いずれ結婚したいと言っていたようだ。

 同棲やら結婚やらをチラつかせていたが、優紀は自分自身の『学びたい』という欲を高野よりも優先したことになる。

 そんな姉を亜希はめちゃくちゃ支持する!


「姉ちゃんはやりたいことをやるべきだと思う」


 蒼彰のように誰かを成功させるために尽くす人生なんて優紀には歩んで欲しくない。

 そう告げると、亜希の想いが通じたのか、優紀は高野に返信をすることなく炬燵の上にスマホを置き、手放した。


「考えとく」

「うん」


 その時。ただいま、と玄関の方で声が聞こえて、しばらくするとリビングの扉が開く。

 おかえりと母親の声が聞こえ、やがて美貴が和室に姿を現した。


「亜希ちゃん、来てたんだね! 久しぶり!」

「おかえり、美貴。いつもこんな遅い時間まで塾なの?」

「うん、受験生だからね」

「どこの大学を受けるんだっけ? 東京じゃないって聞いたけど?」

 

 うん、と頷いて美貴が炬燵の中に入って来る。


「とりあえず、北の方かなぁ」

「は? 北? どこ? 北海道?」

「南じゃなくていいの?」

「南はやめておきたいな。だって、南に行ったら会っちゃいそうでしょ?」


 優紀がなぜ『南』と言ったのか、美貴がなぜ『南はやめておきたい』と言ったのか、亜希は察して、あー、と低く唸った。

 妹の美貴も中学生の頃に『蒼天の果てで君を待つ』を読んで、穆珪ぼくけい穆匡ぼくきょうのことを思い出した。

 美貴は今、高校3年生になるが、未だに現世において彼らと再会できていない。


 それを美貴は幸いだと言う。

 だって、もし彼らと同時に出会ってしまったら、彼らのうちのどちらを選んだら良いのか分からないからだ。

 蒼麗は穆珪と身を裂かれるような切ない恋をして、穆匡とは同志のような愛で結ばれた。

 現世で出会う相手がどちらか一方なら問題ないが……という話である。


「たぶん、現世でも2人は兄弟な気がするの」

「分かる。兄弟だと思う。もしくは幼馴染で、家が隣とか」

「下手したら、双子」

「有り得る!」

「出会ったら絶対にまた好きになると思うから、会いたくない! どっちも好きになって、絶対に泥沼だもん」

「どちらかが女に転生しているというパターンもあるかもしれない」

「もしくは、すでにどちらかが他界しているとか」

「どちらかって、穆珪じゃん」

「穆珪って、20代後半で亡くなったんだっけ? じゃあ、30歳くらいまで避けてて、その後、探してみれば?」

「そこまで待ったら、穆匡が他の女と結婚している可能性もあるじゃん」

「してるかな? あの穆匡だよ?」


 あの、って言うのは『戦しか興味がないような永遠の少年』という意味だ。


「穆匡ってさ、自衛官になってそうじゃない? もしくは、警官」

「分かる!」

「――って言うか、日本人じゃない可能性もあるよね?」

「あるね」


 蒼潤たちにとって、深江という大きな河を越えるというのは、ちょっと近い外国に行くようなものだったと思う。

 そう考えると、穆珪と穆匡が日本に転生していない可能性もあるのではないだろうか。


「まあさ、会えてから考えれば良くない? 会えるかどうかも分からないわけだし」

「亜希ちゃんは幸せそうで良いよね」

「人のこと、能天気そうだと思ってるでしょ」

「うん。――で、今日、隆哉さんは?」

「仕事。明日、迎えに来るよ」

「それって、明日、帰っちゃうってこと? 年末に来たってことは、年明けは来ないの?」

「うん。カレンダー的に年明けよりも年末の方が良いかなぁって」


 正月休みと言えるようなものが元旦の一日だけなので、日曜日のレース後に実家に寄り、月曜日に美浦の家に帰るというくらいしかできない。


「今日は中山競馬場でレースだったんだっけ?」

「そう。今年最後のレース」

「有馬記念?」

「――には、乗れませんでした。ハッピーエンドカップで乗ったよ」

「よく知らないけど、ハッピーがエンドなのか、ハッピーなエンドなのか、悩ましいレース名だね」

「何言ってんの、受験生。勉強し過ぎてんでるよ」


 亜希は美貴に憐れみの眼差しを向けた。

 すると、優紀が肩を竦めて言う。


「美貴はさ、勉強で病んでるわけじゃないのよ。誰と付き合っても『コレジャナイ』感が拭えなくて病んでるのよ」

「コレジャナイ感……。えっ、彼氏いるの?」

「中学生の頃から途切れたことがないわよ。美貴は」

「なんと、なんと……っ!?」


 ぶっちゃけ、亜希も優紀も彼氏と言えるような相手はひとりしかいなかった。

 

「告られて付き合っては、即別れて、また告られて付き合って、別れる。別れる時はいつも美貴からだから、いつか刺されるわね」

「怖い。怖い」


 そんな話を聞いてしまうと、穆珪でも穆匡でもどちらでも良いから美貴と再会して欲しいと願ってしまう。


「ちなみに今は?」

「ひとつ年上の人。受験だからって言って、最近はほとんど会っていないけど、コレジャナイ感がヤバい。受験が終わったら別れると思う」

「それ、受験終わる前に別れても良くない?」

「ほとんど会っていないから実害ないもん。メッセージも送らないでと言ってあるし」

「それ、付き合ってるって言える?」

「だから、別れるんだもん」


 ちらりと美貴が置時計に視線を向けた。直に23時である。


「お風呂に入って、塾の宿題を片付けないと」

「頑張れ、受験生! 風邪ひかないようにね」

「うん、ありがとう」

「私もそろそろ寝よっと」

「私も寝る。久々にいっぱい話して目がめちゃくちゃ冴えてるけど、リズムが崩れちゃうから」


 中学卒業と共に実家を出て早くも5年が経つので、亜希の部屋はとっくに物置と化している。

 故に、今夜は和室に布団を敷いて寝ることになっていた。

 美貴の手を借りて炬燵を部屋の隅に寄せると、優紀が押し入れから布団を出してくれる。


「それじゃあ、お休み」

「お休み」

「お休み。また明日ね」


 優紀と美貴を見送って、亜希は布団の中に潜り込んだ。




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