【00.04:00】
「おー、頑張るなァ。でもちょっと左に寄りすぎ。右から来てっぞ」
「――っ」
吹き抜けの手すりを背後に、凜は一人右へ左へ攻撃をいなし続ける。
優の声を聞き、凜は反射的に右手を振り上げ魔力を飛ばす。
焦りから細かな制御など考えておらず、それは攻撃対象である深淵の犬以外にも被害が及ぶ。
何度目かになる凍結は、不自然な氷塊へと変わっている。
氷塊は深淵の犬の舌によって部分的に壊され、今や廊下は凹凸だらけだ。
この氷塊をもっと厚く、そして高くして氷の壁としてしまえばいいのに、とは優の弁だ。
もちろん、できるものならば凜も最初からしている。
凜は確かに非日常に属する人間だ。だが決して魔術が得意なわけではない。
得意ではないが、堅牢な厚い氷の壁を作ること自体はじっくり時間をかければ可能だ。
しかし、今はそんな時間をかける余裕はない。
深淵の犬の攻撃から非戦闘員である零香や紅葉を守りながら、且つ防御用の分厚い壁を作る――それは、魔術が得意ではない凜には、できないことだ。
そもそも事件に巻き込まれて“組織”に属し、結果として魔術が使えるようになったが、凜は魔術を使うよりも手に武器を持って物理的に敵を鎮圧する戦闘員だ。
近接戦闘で使用する自己補助系の魔術か牽制用の軽い攻撃系の魔術くらいしか使えない。
――ただ、今回は武器になるものすら、持っていない。
生身では化け物相手に傷一つつけられず、逆に凜が傷を負うことになる。
傷を負えば動きが鈍る為、腕や足に瞬間的に、そして狭い範囲に防御壁を展開しながらの戦いとなる。
おまけに服装は“組織”の戦闘服ではなく、日常で使用する学校の制服である。
いつもなら傷にならない攻撃も、今では致命傷になりかねない。
戦闘服に防御面を頼っていたところがあった凜は、必要以上に自身を守るための防御壁を展開するはめになり、少しずつ精神がすり減っていく。
――もう少し真面目に魔術や戦闘訓練を受けておくべきだっただろうか、と凜は思う。
凜は苗字に“水”がつくからかは知らないが、水に関連する魔術に高い適性がある。
その適性の高さならば、氷の壁が戦闘中でも作れるほどの魔術は使えるはずなのだ。
守ることを想定した戦い方を今まで考えていなかったというのもあるが、魔術は得意な人がやればいいとあまり訓練せずにいたのが間違いだった、と今更ながらに思っている。
「何考えてるかは知んねェけど、ホラ、ツチハシの護身の魔術、吹き飛んだぜ?」
集中しているはずなのに耳にするりと届くヘラヘラとした声。
人を見下し、馬鹿にしているような優の声を聞きながら、凜は必死に深淵の犬の攻撃をいなし続ける。
最初こそカウンターとして何匹かの深淵の犬を撃退していた凜だが、倒せば倒すだけ倍の数の深淵の犬がどこからか補充されているように集まってくる。
切り抜けるには倒す必要があるが、数が増えてしまった今現在、身動きが取れないでいる。
凜の疲労は溜まる一方だ。
「っ、凜ちゃん。ワタシ、あと一回が限度よ」
魔術は精神を削る。
何度か凜が攻撃をいなせなかった深淵の犬の攻撃を、有理が身を盾にして弾いているおかげで、今はなんとか防戦一方ではあるが誰も怪我することなく戦えていた。
だが、それもあと一回だ。
僅かに頷き、凜は終わりのない防衛に身を投じる。
「おー、まだ動くか。でもまァ、時間の問題だなァ~……」
「っ、さっきっから! アンタ、なんなのよ!!」
一人、ただただ劇を見るかのように観客へと徹していた優に、とうとう零香が声を荒げた。
恐怖よりも怒りが勝ったのか、それとも恐怖が積りに積もったのか。
それは今は関係ないことだが、零香の言葉はまさに守られている人間の代弁であった。
本来ならば有理がかけているだろうその言葉。
だが、魔術の使い過ぎと維持のために集中しているがために、有理はそれができずにいた。
その結果、優に高みの見物を許すこととなった。
このまま誰にも干渉されなければ、優は全てが終わるまで観客になっていただろう。
しかし、恐怖から動けも喋れもしなかった零香と紅葉は、零香の感情の爆発による荒げた声から硬直が解れていた。
我に返った、ともいう。
とにもかくにも、二人は恐怖で溢れているのには変わらないが、ただただ震えているばかりではなくなった。
硬直の解けた紅葉は、深呼吸をして自身を落ち着かせながらもゆるりと優へ視線を向ける。
「ど、どうして……一人だけ、余裕なの?」
「――はっ。どうしてって? そりゃオレ一人ならいつでも逃げ切れるからだよ」
「そ、そんな……見捨てる、だなんて。助けて、くれないの?」
「嫌だよメンドクサイ。つかこのくらいならオマエ等で対処しろって」
紅葉の震える声での抗議も、ばっさりと切り捨てる。
手すりに座ってヒラヒラと手を振り、話は終わりだと言わんばかりに優は目を瞑る。
が、すぐに目を開けて一階――否、地下を見てポツリと言う。
「あ、でも状況変わったから、助けてもいいけど?」
「え?」
「は?」
優の目線は、地下に固定されたまま。
凜は深淵の犬の攻撃を捌くのに、有理は魔術の維持に集中しているため優の言葉は聞こえていないようだった。
零香と紅葉は顔を見合わせた後、そろりと地下を見――悲鳴を上げながら飛び退くように手すりから距離を取った。
突然上がった悲鳴に凜は驚き、思わず振りかける。
そんな隙だらけの姿を深淵の犬が見逃すわけがなく、一斉に凜へと舌が迫る。
「凜ちゃん、前っ!」
「――ッ!」
守られている立場にある零香と紅葉が悲鳴を上げて攻撃のより多いところ――凜の元へ駆け出したとなると、凜も有理も放っておけるわけがない。
何があったのかはさておき、今は二人の身の安全が優先だ、と思った矢先、零香の鋭い叫び。
凜は咄嗟に護身の魔術を使うが、即席であったために何十とある攻撃から身を守ることができなかった。
それでも辛うじてその場から離脱することで最小限の被害に抑えた訳だが、あちこちにできた傷からは血が流れる。
凜は顔を顰めつつ傷口を凍結させ、その場凌ぎで止血する。
前方の深淵の犬へと注意を向けようとするが、血の匂いと血が滲んだ制服を見た零香が動転のあまり凜へとしがみつく。
「り、凜ちゃんっ!? け、けが……ケガっ!!」
「ちょ、ちょっと――零香っ」
しがみつかれて身動きが取れなくなってしまった凜を、これ幸いにと再び深淵の犬が攻撃をする。
それも、凜だけではなく零香も攻撃の対象として、だ。
迫りくる槍よりも鋭いその舌は、やはり何十とあり――今から護身の魔術を凜が展開し、零香を庇ったとしても串刺しになる未来しかない。
あ、とどこか気の抜けるような零香の声を聞きながら、それでも凜はありったけの魔力を注いで護身の魔術を発動させる。
背中に零香を庇い、致命傷になるものだけを弾き――それでも伸びる舌の数は十を越えている。
護身の魔術でいくつかの舌を押し返すが、それでも串刺しは確定だ。
――ただ、零香にはその舌が届くことはなかった。
有理が零香の身を引っ張り、身を零香と舌の間に無理矢理入り込んで守ったのだ。
乱暴に身を引っ張られた零香はそのまま尻もちをつき――足先に広がる赤い池を、見る。
「ぁ……あ、あぁ……」
零香は、上手く言葉が紡げない。同じく、紅葉もだ。
ああ、と言葉にならない声を上げる。奥歯のガチガチと鳴る音だけが響く。
「――あー。一気に崩れたな。ま、一人で逃げる分には楽だけど……そーいや、助けてほしいの?」
とん、と座っていた手すりから降りた優は、どこかのんびりとした口調で言う。
ギギギ、と古い機械のようなぎこちない動きで振り返った二人は、優の顔を呆然とした様子で見上げる。
「ホラ、状況が変わったって言ったろ? だから助けてやってもいい――」
「た、たすけ、て――お願い、助けてっ!」
「――あー……うん。まァ、そーなるよなァ……」
心底面倒くさそうな顔をしながら、優は心が崩壊しきっている零香を見る。
紅葉は、まだいい。
今は壊れたレコーダーのように助けてと繰り返しているが、それでもまだ反応はしてくれる。
知り合いと言ってもほぼ他人のような人が目の前で血を流して気を失っているだけの状況だからだ。
だが零香の様子は駄目だと判断する。
問いかけにも答えることができないくらいには呆然自失といった状態で、赤い池に沈む二人――特に凜へと目線が釘付けだ。
――動かすにも、立ち上がることがまず無理だよなァ。
そうなると背負うか、という考えになるわけだが、切り抜けるのに重りとなるものを持ちたくない。
ただでさえ意識不明が二人だ。荷物は少ない方が望ましいのだ。
「あーあ。なァんでこんなタイミングで『起きちまう』かねェ……」
片手で軽く伸びてくる舌をいなし、いなした舌で深淵の犬を貫きつつ、優は地下の卵“だと言われていたモノ”を見ながら、一人ため息を吐いた。
閲覧ありがとうございます。
誤字脱字等ありましたら、教えて頂けると嬉しいです。




