第4話 うまい、の次の一言
二週目の演習に「食事」とあったので、少し期待した。
食べるだけなら、これまでの人生で相当な訓練を積んでいる。
渡されたのは手袋と、固定具の付いた台と、食品の袋だった。
「周囲で別の作業をしている想定です。手順を確認してから始めてください」
袋の切り口を探す。手袋越しだとうまくつまめない。台を押さえようとすると手順書がずれ、直している間に次の音声が流れた。
食うだけ、とは誰も言っていなかった。
固定具を外して手に持ちたくなったが、それでは演習の意味がなくなる。
俺は手順を一つ戻り、袋の位置を確かめた。切り口が見つかると、今度は開けた部分の置き場に迷った。
小さな作業が、ことごとく次の作業を邪魔する。
ようやく落ち着いた頃には、味を見る前から少し疲れていた。いつも試食室で、用意されたものを口へ運ぶだけだった自分は、相当に甘やかされていたらしい。
ようやく一口食べて、『おいしい』と記録した。
教官が俺の欄を見て、隣を指した。
開封に要した時間。こぼしたものの有無。手順上、迷った箇所。
全部空欄だった。
「味だけですか」
「おいしかったので」
「それは開発担当にぜひ伝えてください。こちらもお願いします」
『食べられたかどうかも、食事の報告に含める』
ノートへ写しながら、普段、美緒に返していた感想の短さを思い出した。
◇
会社の試食室で事情を話すと、美緒は笑わなかった。
「どこで困ったんですか」
袋を渡され、演習と同じように手を動かす。途中で、うまくいかなかった箇所を見失った。
「さっきは、もっとこう……」
「急がなくていいです」
美緒は自分の袋を開けずに待っていた。俺の手元を直してしまうこともなかった。
三度目に、指が滑った。
「切り口をつまむ時、袋の表裏が分からなくなった」
ようやく言葉になった途端、美緒がメモを取り始めた。
美緒はすぐに改善案を言わず、もう一度同じ持ち方をしてほしいと頼んだ。
俺が袋を裏返すと、彼女も横から切り口を覗いた。肩が近づき、ほのかな石鹸の匂いがした。
手元へ意識を戻す。
「ここで迷ったんだよ。絵の向きが逆に見えて」
「なるほど」
美緒は目印の位置を書き込んだ。俺が役に立ったというより、俺の失敗がやっと使える形になったようだった。
「そこです。そういうのが欲しいんです」
嬉しそうな声だった。
「普段の『うまい』は?」
「嬉しいです。でも、それだけだと直せないので」
俺は空の袋を見た。
美緒の仕事は、俺が食べ終えたところで終わるわけではない。俺の一言が足りなければ、その先を一人で考えることになる。
「じゃあ、味の方は。後から香りが来る感じがした」
「どの辺で?」
質問が増えた。最初からこうやって話せばよかったのかと思った。
◇
美緒が、紙の隅へ小さく追記した。
「開けにくいって言ったら、悪い気がすると思ってました?」
「多少は。せっかく作ったものだし」
「開けられないまま宇宙へ送られる方が困ります」
その通りだった。
『困った場面を、作った人への文句と分けて書く』
記録票の裏へそう書くと、美緒が覗き込んだ。
「ずいぶん大げさですね」
「言い方で揉める会議を何回も見たからな」
「相沢さんでも、言いにくいことあるんですね」
「いっぱいあるよ。大人だから」
「大人って便利な言葉ですね」
否定できない。俺は空袋を畳み、さっきの自分の言い方を思い返した。
美緒は気にしていないふりをすることも、俺を持ち上げて話を終えることもしなかった。ただ、何が起きたかを最後まで聞いてくれた。
次に困った時も、たぶん話せる。そう思えたのが、今日いちばんの収穫だった。
試食室を出る頃には、外が暗くなっていた。
美緒は流しで手を洗い、俺が持つ紙をもう一度見た。
「相沢さん」
「はい」
「向こうでも、その調子でお願いします」
向こう、という言葉に、二人とも一瞬黙った。
まだ決まっていない、と言いかけたが、今日の感想くらいは先に約束できる。
「分からなかったら、分からないって連絡するよ」
「分かった時も、連絡してください」
注文が一つ増えた。今度は、書類の話だけではなかった気がした。




