第41話 ひと口の名前
「リンカ、と呼んでいます」
リセさんは料理の写真を俺たちへ向けた。
白いものの間に薄い層が重なっている。
その上を透き通った何かが覆っていた。
俺は聞いた名前を口にしてみた。
「リンカ」
「はい」
彼女が笑った。
意味まで通じた顔で頷くのはやめておいた。
「名前の意味もあるんですか」
「あります。でも、そのまま料理の説明にはならないかもしれません」
美緒が手帳を開いた。
「じゃあ、説明のために別の名前へ変えない方がいいですね」
俺は一覧にある肉じゃがを思い浮かべた。
材料を言っているだけなのに、それを読めば夕飯まで思い出す。
リンカにもそんなものが付いているのかもしれない。
美緒は名前の横へ空欄を作った。
俺はつい重ね蒸しと書きそうになり、手を止めた。
「蒸してあるのかも、まだ聞いてなかった」
リセさんが写真の端を指した。
「温めます。けれど、ここだけでは作り方は分かりませんね」
見たことのない料理を見て、見たことのある調理法へ入れようとしていた。
俺の知っている箱は思ったより小さかった。
美緒は写真を拡大してもらった。
器の縁に寄っている細い色の帯が、飾りではなく中身の一部だと分かる。
「これは一緒に食べるんですか」
「はい。そこが少ないと私は物足りなくなります」
リセさんは言ってから笹倉さんを見た。
「食事の資料はこちらの窓口へお渡しできます」
笹倉さんが受け取る範囲を示した。
俺の端末へ直接送って済ませる話ではなかった。
美緒は材料と作り方を揃える担当へ相談を戻すと言った。
食べる日付はまだ決めない。
俺は写真を見た。
せっかく食べたいと思ったものが、また机の向こうへ遠ざかる。
その顔が出ていたのだろう。
リセさんが俺へ向き直った。
「相沢さんにもお願いがあります」
「はい」
「食べる時に、似ているものを探す前に聞かせてください」
「何をですか」
「どこを・・・もう一口食べたくなったか」
俺は手帳の名前の下を見た。
説明はまだ一つも書いていない。
その空欄へ初めて書けることができた。
◇
面談を終えて仕事の机へ戻ると、美緒はすぐに照会用の資料を作り始めた。
俺は記録を窓口へ送り、手帳に残った一行を見た。
もう一口。
味の評価なら甘いとか塩辛いとか、いろいろ項目がある。
最後に全部まとめてうまいと書く俺には、難しい宿題だった。
「小宮さんは先に考える?」
「食べる前にですか?」
「何て答えるか」
美緒が入力を止めた。
「考えた通りに食べることになりそうです」
俺は手帳を閉じた。
四十歳にもなって食べ方の予習をするところだった。
美緒は資料の末尾へ質問を足した。
持ち運び用の容器にした時、どこが一番変わるか。
残したい味や香りは何か。
温める時間だけを聞くつもりではないらしい。
「作る方へ回った時も、そこから?」
「変えていいところを先に探すと、残したかったものまで変えそうなので」
俺は地上の商品写真を見た。
うちなら袋に入れられる、と最初に言わなくてよかった。
うちの袋が便利だという話と、相手の食事をどうしていいかは違う。
画面の隅で夕飯の予約時刻が近づいていた。
俺は今日の品目を開いた。
「照り焼きにするんですか」
美緒が聞いた。
「昨日食べたから、今日は魚」
「一昨日も魚でしたよ」
「味が違う方」
そう答えてから一覧を見直した。
焼いたものと煮たもの。
味噌と生姜。
同じ魚の欄に、違う夕飯が並んでいる。
美緒も自分の予約を開いた。
「私は・・・昨日と同じにします」
「気に入った?」
「はい。もう一口じゃなくて、もう一食です!」
先に宿題の答えを見せられた気がした。
俺はまだ食べていないリンカの名前を思い出した。
次に会う時は、相手の夕飯の話から始められる。
名前を一つ教わっただけで、机の向こうが近くなっていた。




