第2話 出張届の行き先
会計の伝票を取ろうとして、マコの手とぶつかった。
「今日は俺が誘ったから」
「いつも割り勘だろ」
そうだった。
宇宙行きの候補になった程度で、二十年以上の会計方式は変わらない。
俺は財布から千円札を出した。
マコは釣り銭を数えながら、さっきの話を蒸し返した。
「訓練中も、ずっと泊まり込み?」
「まだ分からない。始まるのは来月で、行く予定は半年後。細かい予定はこれから」
「だったら、分かったところから教えて」
レジの方で食器の触れ合う音がした。
隣の席は、次の客のために拭かれている。
いつもなら、ここで立って別々の電車に乗る。
それが急に惜しくなり、俺は財布をしまうのを少し遅らせた。
「訓練が始まっても、地球にはいるんだし」
「知ってる」
マコは釣り銭を俺の前に置いた。
「でも、お前は忙しいと返事が二日後になる」
「そんなに?」
「それで、内容が『今見た』」
記憶にある。
文句を言われる理由は十分あった。
「忙しくなってからだと忘れるだろ、お前」
否定しようとして、去年の忘年会を思い出した。
集合時間を一時間間違えたのは俺だった。
「予定が決まったら連絡する」
スマートフォンにメモを入れると、マコが横から覗き込んだ。
「業務みたい」
「業務の方が忘れない」
「じゃあ、重要って付けて」
俺は先頭に星印を一つ足した。
マコが星印を見て笑った。
たかがメモを見せただけなのに、少し気恥ずかしくなった。
◇
翌朝、検査結果を知らせると、美緒は小さく「そうですか」と言った。
それだけだった。
「もっと笑うと思った」
「何をですか?」
「落ちるって言ってた俺」
「笑っても予定は空きませんから」
俺の画面には、出席確認の付いた説明会が並んでいた。
美緒が開いた納品予定表にも、同じ日の同じ時間に打合せが入っている。
宇宙へ行く前に、俺を二人にする必要がありそうだった。
画面を見ている美緒の横顔は、昨日よりずっと真剣だった。
検査結果をネタに笑っているだけでは済まなくなった。
「説明会は録画で済まないのかな」
「実物確認があるそうですよ」
案内を読み直すと、確かに書かれていた。
美緒の方が詳しい。
「小宮が二人いれば早いのに」
言ってから、我ながらひどい解決案だと思った。
「相沢さんが二人いたら、二人とも私に確認しに来そうですね」
「正解。問題はそっちが一人なことだ」
美緒は少し笑って、納品予定を指で辿った。
「ここは私から製造に確認します。でも、先方の承認はお願いします」
手分けできるものと、できないものを書き出したら、思ったより線が多くなった。
メモの最後に、俺は書いた。
『訓練準備の時間を、通常業務と分けて確保する』
気合で埋める欄はなかった。
そのことに、少しほっとした。
◇
その日の午後、部長の机へ予定表を持っていった。
「これ、全部は無理です」
口にすると、案外普通の声が出た。
部長は紙を眺め、ペンで二つの予定に丸をつけた。
「こっちは別の者に振ろう。先方への説明は私からする」
拍子抜けした。
もっとこう、皆で頑張ろうという話になると思っていた。
「ところで、どうして俺なんですか」
いまさらの質問だが、聞かずに訓練へ行くのも妙だった。
部長はすぐには答えず、別の資料を開いた。
そこには現地で確認する項目が並んでいた。
食品の受け入れから、記録を地上へ戻すまで。
派手な実験の名前は一つもない。
「ここで聞いても、互いに現物が見えないと食い違う。前の便でもあっただろう」
あった。
袋のどちら側に表示があるかというだけの話で、写真を三往復した。
あの面倒を確かめに行くのだとすると、急に距離だけが非常識な話に思えてきた。
「食品の手配から受け入れまで、今の担当だからだ。向こうで何が詰まるか確認して、こっちへ戻してほしい」
「研究も操縦もできませんよ」
「それは別の担当がいる。君に頼む仕事じゃない」
少しだけ息がしやすくなった。
断る口実も一つ減ったが。
『訓練中に抜ける担当業務を、出発前までに引き継ぐ』
部長が追記した紙を受け取り、自席へ戻る。
出張届の行き先欄には、社内システムがまだ想定していない場所が待っていた。
とりあえず備考欄を広げることから、俺の準備は始まった。




