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40歳、宇宙出張。 ~食品会社の普通のサラリーマンですが、会社命令で宇宙に行くことになりました~  作者: 綺羅星の猫


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第1話 落ちる予定の検査

「…………は?」


小宮美緒が、もう一度言った。


一回目の「は?」より、少しだけ低い。


「だから、宇宙ステーションへの現地対応要員。候補だけど」


「相沢さんが?」


「そこ、そんなに驚くところ?」


「驚くところです」


即答だった。


俺だって驚いている。

むしろ、今日いちばん驚いている人間は俺のはずだ。


美緒は手元のタブレットを見て、それから俺の顔を見た。


「さっき追加をお願いした二品、誰が先方と調整するんですか?」


「第一声がそれ?」


「重要です」


「半年後の話だよ。その前に検査がある。適性も医学も、通らなきゃそこで終わり」


俺は自分の腹を軽く叩いた。


「この辺が頼もしいだろ」


「その頼もしさ、食品の試食で育てた分もありますけど」


「責任を感じてくれていい」


「感じません」


美緒の口元が少しだけ緩んだ。

けれど、すぐにタブレットへ視線を落とす。


「候補って、現地で何をするんですか」


「それが、まだ細かくは。向こうで食品の受け入れや運用に関わる、くらいしか」


「相沢さんなら、こっちの手続きも先方の事情も知ってますからね」


「買いかぶりだよ。メールの宛先を間違えないようにしてるだけ」


「それを毎回できる人、意外と少ないんです」


珍しく褒められた気がした。


照れる前に、美緒は俺の前へタブレットを差し出した。


「じゃあ、検査で落ちる前にこの二品の確認をお願いします」


「落ちる前提で仕事増やすなよ」


「相沢さんがそう言ったんです」


正論だった。


俺は一覧を開いた。

保存期間、容器、成分表示。

宇宙行きの話を聞いた直後でも、数字と締め切りは地上に残っている。


美緒の作る食事が向こうに届くよう、いつも通り調整する。


俺の仕事は、それだけだ。


少なくとも、まだ。


    ◇


検査の日、俺は朝食を抜いて指定された施設へ向かった。


案内に「空腹で来てください」と書かれていたからだ。

宇宙より先に、昼飯まで持つかが心配だった。


受付で名前を告げると、問診票を渡された。


既往歴。

服薬。

睡眠。

運動習慣。


最後の欄でペンが止まる。


運動習慣。


駅の階段を使う日はある。

エスカレーターが混んでいるときだけだが、数に入れていいだろうか。


正直に「特になし」と書いた。


この時点で不合格にしてくれても構わない。


それから身長と体重を測り、血圧を測り、採血され、いくつかの指示に従って体を動かした。


説明を受けた手順を覚え、時間を区切って答える検査もあった。


結果が出るまでの間、待合の椅子に座る。


周りには俺よりずっと体力のありそうな人がいた。

背筋がまっすぐで、靴まで速そうだ。


俺はというと、採血の絆創膏を触っていた。


名前を呼ばれ、小さな面談室に入る。


担当者は画面を見ながら言った。


「今日の一次検査については、訓練候補として進んでいただけます」


「……進む?」


「はい」


「俺が?」


「相沢さんが」


思わず後ろを見た。

他に相沢はいない。


「体力、全然ないですよ」


「それはこれから確認し、必要な範囲で訓練します。今回の結果だけで、宇宙での勤務が決まったわけではありません」


そこは大事なところだ。


「まだ落ちる可能性は?」


「今後の評価は続きます」


「なるほど」


希望は残った。


しかし、今日のところは落ちなかった。


検査会場を出ると、昼を過ぎていた。

空腹なのに、何を食べたいか思いつかない。


スマートフォンには、会社から訓練開始に向けた日程確認の連絡が届いていた。


ついこの間までは、資料の中の予定だった。


今日から俺の予定表に入るらしい。


    ◇


その夜、マコを食事に誘った。


高瀬真琴(たかせ まこと)。

高校からの付き合いだ。


今は別の会社で働いているから、顔を合わせるのは仕事帰りが多い。

昔と変わらない調子で話せる数少ない相手でもある。


店に入ると、先に来ていたマコが窓際の席で手を振った。


「遅い。宇宙から戻ってきたのか?」


「まだ地上だよ」


「まだ、ね」


俺が座ると、マコは頬杖をついてこちらを眺めた。


「その顔、検査で落ちた顔じゃないな」


「一次は通った。最終的に行けるかどうかは、まだ分からない」


「通ったのか」


「何だよ、その残念そうな声」


「残念とは言ってない」


マコはメニューを開いたが、すぐに閉じた。


「お前、行きたくないんだろ」


「積極的に行きたいわけじゃない。宇宙だぞ。出張精算の書き方も分からん」


「そこから心配するのか」


「会社員だからな」


マコが笑う。

それから、眉間に指を当てた。


「また小じわ増えた気がする」


「俺の話で?」


「誰のせいだと思う?」


「年齢?」


「ひどいな、直人」


伸びてきた手が俺の額に触れた。

前髪を持ち上げ、真剣な顔で何かを確かめている。


「お前も人のこと言えないぞ」


「知ってる。だから放っておいてくれ」


昔から、マコは距離が近い。


俺だって、何も感じないわけじゃない。

たまに、その手つきや目線の意味を考えることがある。


でも、それを口に出して今までの関係が妙な具合に変わるのは怖かった。


だから、いつも通りに笑っておく。


マコも手を引いて、いつも通りに笑った。


「訓練、いつから?」


「来月の予定。今日、日程確認が来た」


「そっか」


短い返事だった。


注文を決めるまでの間、マコはもう宇宙の冗談を言わなかった。


俺はメニューの写真を眺めながら、空腹を思い出す。


検査で落ちて、会社に戻って、美緒の二品の書類を片付ける。

そんな明日を予定していた。


書類はたぶん、明日もある。


そこへ訓練の日程が一枚、重なった。


宇宙へ行くかどうかは、まだ決まっていない。


なのに、行かないつもりで組んだ予定だけが、先に崩れ始めていた。


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