第11話 四十歳の、合格待ち
扉の前で、受付の人が俺の名札をもう一度確かめた。
「追加の環境適応評価ですね」
はい、と答えてから、資料を持ち直した。表紙にあった言葉は、部屋の前で見ても難しいままだった。
「ここで、何をするんですか」
「これまでの検査と訓練の記録を合わせて、滞在中に必要な配慮を確認します。内容は担当医からご説明します」
何かを注射されるのかと思っていた、と言うのはやめた。
隣の扉が開いた。呼ばれた番号は俺のものだった。
返事が少し大きすぎた。
◇
部屋には椅子が二つと、小さな机があった。
担当医は、俺が座って鞄を足元へ置くまで待った。画面には、半年分の検査結果が並んでいる。
「先週の演習の後、眠れましたか」
「よく寝ました。翌朝、腰はちょっと」
先生は、ちょっとの中身を聞いた。立つ時なのか、座っている間なのか。いつまで続いたのか。
宇宙へ行く話なのに、質問は会社の健康診断より細かかった。
俺は、できるだけ正直に答えた。ここで格好をつけて困るのは、向こうへ行った俺だ。
「持病の確認、服薬、睡眠。飛行中の固定姿勢と、現地での勤務時間も合わせます。身体を環境へ慣らす訓練は続けますが、検査だけで丈夫になるわけではありません」
「四十歳のまま行く、ってことですね」
「今日も、出発の日も、相沢さんのお身体です」
念を押されて、少し笑ってしまった。
俺は知識の少なさを、年齢のせいにしていたところがある。若い人なら宇宙の説明くらい、すんなり分かるのだろうと。
でも、二十歳の俺は、たぶん今より資料を読まない。
立ち上がる時の腰を確かめ、姿勢を変える。握る強さを測る時だけ張り切って、二回目の方が悪かった。
「力を入れれば合格、という検査ではありません」
「途中から、そう思っていました」
「次は、途中より前に」
先生の声は真面目だった。俺も、はい、と真面目に返した。
結果はその場で一つの丸にはならなかった。医療側の確認と、訓練の評価と、輸送側の受け入れを合わせて、最終的な搭乗判断になる。
俺が大丈夫と言っただけでは、乗せてもらえない。
反対に、どこかが引っかかったら人生全部の不合格、という話でもなかった。
追加で必要な確認を、先生は紙の上へ二つ書いた。
「今日の評価は、いったんここまでです。追加の確認が済んだら、医療側の結果をまとめます。現地でも、到着時と勤務を始めた後に体調を確認します」
場所が変われば、自分の身体まで全部分かったことにはならないらしい。
「向こうで、不調が出たら?」
「先に申告してください。仕事を続けながら我慢した、という報告にはしないでください」
俺は、会社でよく使う言い訳を一つ捨てた気になった。
あと少しで終わるので、というやつだ。
◇
家へ帰って、洗面所の鏡を見た。
目の下に薄い影がある。髪には寝癖の続きが残っていた。
合格待ちの顔としては、あまり頼りにならない。
それでも、今日の検査票に載っているのは、ちゃんと俺だった。腰のことも、睡眠のことも、張り切って握った二回目のことも。
会社へ、追加の確認が残っていると連絡した。
部長からは、輸送側の予定もまだ動いている、と返ってきた。俺一人が扉の前で待っているわけではないらしかった。
マコには、検査が終わった、とだけ送った。
すぐに電話が来た。
「何か、しんどかった?」
「握る強さを測って、張り切りすぎた」
「お前らしいな」
そういうところまで見慣れている相手に笑われると、検査の結果とは別に安心する。
「で、乗れるの?」
「まだ。あと二つ確認する」
「じゃあ、まだ決まってない方だな」
俺が途中で付けかけていた合格の丸を、マコはあっさり外した。
「明日、飯食える?」
俺から聞くと、向こうで冷蔵庫を閉める音がした。
「食える。仕事の話もある」
マコの仕事は別の会社だ。何の話か気になったが、明日聞けばいいと思った。
電話を切り、夕飯を温める。
四十歳で、知らないことはまだこんなにある。
少なくとも、腹が減っていることは分かった。
俺は検査票を食卓の端へ寄せ、まず箸を取った。




