第10話 搭乗券の、その前に
通知は、特別な封筒ではなく会社のメールに届いた。
他の連絡に挟まれていたので、最初は見落としかけた。
『担当業務訓練を修了。搭乗の可否は最終医学評価等を経て決定』
何度も読んだ。不合格の予定だった男が、ここまで来たらしい。
部長へ報告すると、既に同じ通知を見ていた。
「お疲れさん」
短い一言だった。
「まだ検査がありますけど」
「あるな。だから、いま終わった分について言ってる」
「ありがとうございます」
素直に言うと、部長は少し意外そうだった。俺自身も、何か軽口を付け足さずに済んだことが意外だった。
部長は机の端から、最初の面談で使った控えを引き出した。俺が検査で落ちたらどうなるかばかり聞いた日だ。
「ずいぶん質問の種類が変わったな」
「答えを聞かないと仕事にならないので」
「それでいい」
紙を受け取る時、半年分の薄い書類が、見た目より重く感じられた。
机の上で、最初にもらった資料を開いた。
折り目が白くなり、端が少し丸まっている。俺の身体に劇的な変化はない。疲れれば腰は重いし、朝は相変わらず眠い。
それでも、書かれた項目のいくつかには、自分で終えた記憶があった。
「出張の担当、変更を希望するか」
部長が確認した。
俺は少し考えた。怖くなくなったわけではない。喜んで行きたいとも、まだ言えない。
「このまま進めます。行くなら、担当の仕事は最後までやりたいので」
部長は頷き、次の手続きを開いた。
◇
自席の整理を始めると、捨てていいのか分からない紙ばかり出てきた。
美緒が隣へ来て、古い一覧の版番号を見た。
「これは最新版に置き換わってます」
「じゃあ、いらないか」
「記録用の保管先はあります。机に置いておく必要はないです」
俺の机が、少しずつ俺抜きで使える形になっていく。
寂しいと言うには大げさで、清々しいと言うには未練があった。
引き出しの奥から、芯の折れたシャープペンシルが出てきた。いつ壊れたのか覚えていない。
「それも引き継ぎですか」
美緒が聞いた。
「負の遺産は残さない」
芯を入れ直すと、普通に書けた。俺はそれを筆箱へしまった。
どこかへ行くからといって、全部を新品にする必要はない。使えるものを持っていき、置いていくものを片付ける。
今の俺にできる準備は、そのくらいがちょうどよかった。
最後に確認したのは、問い合わせ先だった。
美緒、製造側、先方窓口。誰か一人がいなくても追えるよう、担当と記録の場所を並べた。
『向こうで分からなければ、地上へ聞き返す』
俺が言うと、美緒は、今度は迷わず頷いた。
「ちゃんと答えられるように、こっちも残しておきます」
彼女の手元には、名前のない相手から届いた感想の控えがあった。
「これを書いた人に会えたら、お礼を言っておきます」
「会えたら、でいいです」
美緒は笑った。いまは、それ以上の約束をしなくてもよかった。
◇
次の案内には、これまでとは違う施設の住所が載っていた。
『追加の環境適応評価。詳細は対面説明の後に確認する』
知らない検査名を検索しても、何をされるのかは分からなかった。案内に書かれた問い合わせ先へ確認すると、まず説明を受け、質問の時間を取るという。
分からないまま同意する必要はないらしい。それだけ確かめて、予約の日に向かった。
駅を出たところで、マコから連絡が来た。
『今日、検査?』
『まず説明。終わったら連絡する』
送信してから、予定表の星印を確かめた。
美緒からは、地上側の確認が一件終わったと届いていた。読むだけで分かるように、品目と版番号が並んでいる。
助かる、と返した。
連絡を閉じ、建物を見上げる。外からは普通の施設に見えた。大きな発射台も、宇宙を感じさせる看板もない。
そのことに少し安心し、少しだけ拍子抜けした自分に気づいた。
期待しているわけではない。ただ、ここまで準備すると、次に何があるのかくらいは知りたくなるらしかった。
受付で名札を受け取り、椅子へ座る。
前の検査の時は、落ちることを期待していた。今日は、説明をきちんと聞いてから考えようと思っていた。
宇宙へ行きたい少年になったわけじゃない。俺は相変わらず、会社のメールと夕飯の予定を気にしている四十歳だ。
ただ、その予定を持ったまま、少し遠い場所まで行くことになりそうだった。
「相沢直人さん」
呼ばれて立つ。マコと選んだ靴の底が、床を小さく鳴らした。
案内された廊下の先の扉には、『診察室』とは書かれていなかった。
――環境適応評価室。
俺は資料を持ち直し、説明を待った。




