第14話 花火
七月も終わりに近づいた土曜日。
駅前は、いつもより人が多かった。
浴衣姿の人も目立つ。
改札を出たところで、澪が悠真を見つけて手を上げた。
「佐倉」
「お待たせ」
「三分遅刻」
「電車一本遅れた」
「三分なら許す」
「基準あるんだ」
澪は白いシャツに、薄い色のスカートだった。
悠真が一度見ていると、澪が気づく。
「何?」
「浴衣じゃないんだと思って」
「着てほしかった?」
「そういう意味じゃない」
澪も周りを見る。
「確かに多いね」
それから悠真へ視線を戻す。
「佐倉も甚平じゃない」
「着ないよ」
「ちょっと見たかった」
「なんで」
「似合わなそうだから」
「見世物じゃん」
澪が笑った。
◇
会場までは駅から十五分ほどだった。
途中から人の流れが一方向になり、道沿いに屋台が増えていく。
澪が店を見ながら言った。
「何食べる?」
「もう?」
「混む前に決めないと」
「じゃあ焼きそば」
「普通」
「祭りに何を求めてるの」
澪はりんご飴の屋台を指した。
「私はあれ」
「最後まで食べられる?」
「そこ?」
「途中で飽きそう」
「失礼だな」
十分後。
澪がりんご飴を差し出した。
「ちょっと食べる?」
悠真はりんご飴を見る。
「もう飽きた?」
「飽きてない。共有」
「便利な言葉使うな」
一口だけもらった。
河川敷に着く頃には、かなり人が増えていた。
二人で空いている場所を探す。
澪が前を見て、少し背伸びした。
「見えるかな」
悠真も視線を上げる。
目の前に背の高い男が立っていた。
「少し横行く?」
二人で数メートル移動する。
今度は木の枝が、少しだけ空にかかっている。
澪が見上げた。
「微妙」
「さっきよりはいい」
「もう少し早く来ればよかったかな」
悠真も周りを見る。
「来年も来るなら、早めに来ればいいんじゃない」
澪がこちらを向いた。
「来年も来る?」
悠真は一瞬止まる。
「まだ今年の花火も始まってないけど」
「確かに」
澪が笑った。
「気が早かった」
それ以上、来年の話は続かなかった。
辺りの照明が少し落ちる。
人の声がざわついた。
澪が空を見上げる。
「始まる」
悠真も顔を上げた。
最初の花火が上がった。
少し遅れて、音が届く。
青。
次は赤。
大きな花火が開くたび、周りから声が上がった。
前の人の頭で下の方は見えない。
木の枝も少し邪魔だった。
それでも澪はずっと空を見ていた。
途中で一度だけ、悠真は隣を見る。
花火が上がるたび、澪の横顔が明るくなって、また暗くなる。
すぐに空へ視線を戻した。
◇
最後の花火が終わる。
拍手と歓声のあと、一斉に人が動き始めた。
悠真も立ち上がりかけて、やめる。
「今帰るとやばそう」
澪が人の流れを見る。
「待つ?」
「少し」
「賛成」
二人はそのまま河川敷に残った。
十分ほどすると、人はかなり減った。
さっきまで花火が上がっていた空には、薄い煙だけが残っている。
澪が膝を抱えた。
「終わると急に普通だね」
「花火ないからな」
澪が横を見る。
「そういう意味じゃない」
「分かってる」
「じゃあ言わなくていいじゃん」
悠真は笑った。
澪が空を見る。
「でも楽しかった」
「うん」
「佐倉は?」
「楽しかったよ」
澪が少し間を置く。
「花火が?」
水族館でも似たことを聞かれた。
「またそれ?」
「確認」
悠真は少し考える。
「花火も」
「も?」
「今日は全部」
澪が黙った。
やがて、前を向く。
「……そっか」
それだけ言って、少し笑った。
◇
人が減ったところで、二人は駅へ向かった。
歩いている途中、澪の手が悠真の手に触れる。
一度離れる。
今度は悠真から手をつないだ。
澪は何も言わなかった。
駅へ続く道は、さっきまでより静かだった。
しばらく歩いたところで、澪が足を止める。
「佐倉」
呼ばれて、悠真も止まった。
「何」
澪は悠真を見上げる。
「顔、近い」
悠真も気づく。
手をつないだまま向き合ったせいで、いつもより距離が近かった。
「高梨が止まったからだろ」
「佐倉も止まったじゃん」
「呼ばれたから」
「そうだけど」
澪は動かなかった。
悠真も動かなかった。
花火の音は、もう聞こえない。
悠真は澪を見る。
澪もこちらを見ている。
少しだけ顔を近づける。
途中で一度止まった。
澪は離れなかった。
悠真は、もう少しだけ近づいた。
短く、唇が触れた。
離れる。
澪が一度瞬きをした。
「佐倉からだった」
「そこ確認する?」
「だって佐倉、こういう時いつも一回止まるから」
悠真は、さっき途中で止まったことを思い出す。
「止まっただろ」
澪が笑った。
「でも来た」
悠真は何も返せなかった。
二人はまた駅へ向かって歩き始める。
少しして、澪が口を開いた。
「ねえ」
「何」
「付き合ってるのに、いつまで高梨?」
悠真は隣を見る。
「高梨も佐倉って呼んでるだろ」
「じゃあ私から変える」
澪は悠真の方を向いた。
「悠真」
悠真の足が一瞬止まりかける。
澪が気づく。
「また止まった」
「今のは仕方ないだろ」
「何が?」
「急に変えるから」
「じゃあ戻す?」
「いや」
悠真は少し迷った。
「……澪」
今度は澪が黙った。
数歩歩く。
悠真が横を見る。
「何」
「別に」
澪は前を向いたまま、少し笑っていた。
つないだ手は、駅まで離れなかった。




