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第10話 図書室

水曜日の放課後。


悠真が鞄を閉じていると、澪が机の横まで来た。


「今日どうする?」


「何が?」


「帰るの」


悠真は時計を見る。


まだ四時前だった。


「普通に帰るけど」


「そっか」


澪は自分の鞄に目を落とした。


「私、図書室寄ってこうかな」


「何か借りるの?」


「数学の問題集見たい」


「この前買ったじゃん」


「あれ家に置いてきた。重いから」


「だから薄い方にすればよかったのに」


澪が悠真を見る。


「分厚い方を勧めた人がいるんだけど」


「家で使うならそっちの方がいいと思ったんだよ」


「じゃあ責任取って」


「何の」


「一緒に来て」


悠真は少し考えた。


帰る以外に予定はない。


「いいけど」


「ほんと?」


「帰るだけだったし」


澪が笑った。


「じゃあ行こ」





図書室は思ったより空いていた。


試験が終わったばかりだからか、勉強している生徒は数人しかいない。


澪が棚から問題集を二冊取って戻ってくる。


「どこ座る?」


「空いてるとこ」


「いっぱい空いてる」


悠真は奥の四人掛けを指した。


「じゃああそこ」


「了解」


悠真が椅子を引く。


澪も向かい側へ回るのかと思った。


けれど、そのまま悠真の隣の椅子を引いた。


悠真は一度だけ澪を見る。


「何?」


「いや」


「何、その顔」


「向かいに座るのかと思った」


澪が空いている向かいの席を見る。


「隣じゃだめ?」


「だめじゃないけど」


「じゃあここでいいじゃん」


澪はそのまま座った。


悠真も英語の教科書を鞄から出す。


隣に座ること自体は、別に初めてでもない。


教室でも、ファミレスでも近くに座ったことはある。


なのに今日は、椅子一つ分の距離が妙に近く感じた。



十分ほどは、二人ともちゃんと勉強した。


少なくとも悠真はそう思っていた。


澪がノートを指で二回叩くまでは。


「これ分かる?」


「どれ」


悠真が覗き込む。


二次関数の問題だった。


「途中まで合ってる」


「途中から?」


「ここ」


悠真は澪のシャープペンを借りて、式の横に書き足す。


「この数字、そのまま入れてるだろ。先に括弧外す」


「あ」


「そこだけ」


「そこだけで十分悩んだんだけど」


「何分?」


「五分くらい」


「長いな」


「でしょ?」


「褒めてない」


澪が小さく笑った。


図書室だから、いつもより声が近い。


悠真はシャープペンを返した。


澪が答案を書き直し始める。


肩が近い。


前なら気にしなかった気がする。


今は、一度気づくと妙に気になる。


悠真は自分の教科書へ目を戻した。



しばらくして、澪が声を落とした。


「ねえ」


「今度は何」


「付き合ってから、何か変わった?」


悠真は教科書から顔を上げた。


「急だな」


「今思ったから」


「勉強は?」


「してるよ」


「今止まってるけど」


「佐倉もさっきから同じページじゃん」


悠真は教科書を見る。


確かに進んでいなかった。


「高梨が話しかけるからだろ」


「じゃあ私のせいだ」


「そうだよ」


澪は少し笑った。


それから、もう一度聞く。


「で、変わった?」


悠真は考える。


昨日も一緒に帰った。


今日もこうして一緒にいる。


話している内容も、付き合う前と大して変わらない。


「そんなに変わってない気がする」


「私も」


澪はそう言ってから、二人の椅子を見た。


「でも、前だったら隣に座ってても、こんなに気にしなかったかも」


悠真も隣を見る。


向かいの席は空いたままだ。


「それはあるかも」


「でしょ」


「でも座ってる場所は同じだろ」


「同じなんだけどね」


澪が少し笑う。


「そこが変なのかも」


悠真はもう一度、向かいの席を見る。


「今から向かい行く?」


「佐倉が?」


「なんで俺」


「私が先に座ったから」


「じゃあ高梨が行けばいいだろ」


澪はノートを開き直した。


「面倒だからいい」


「じゃあ聞くなよ」


「聞いてないよ。佐倉が言ったんじゃん」


確かにそうだった。


悠真も教科書へ戻る。


少しして、澪のシャープペンがまた動き始めた。





閉館を知らせる放送が流れたのは、五時半を過ぎた頃だった。


二人で机の上を片付ける。


澪がノートを開いて見せた。


「三ページ進んだ」


「少な」


「佐倉は?」


悠真は自分の教科書を見る。


「二ページ」


澪が笑った。


「私より少ないじゃん」


「高梨に教えてた時間あったし」


「一問だけでしょ」


「その一問で結構止まっただろ」


「私のせいにしてる」


「半分くらいは」


「ひど」


澪が笑った。


図書室を出る。


廊下には、もうほとんど生徒がいなかった。


窓の外も暗くなり始めている。


階段を下りながら、澪が言った。


「次来たら、もっとちゃんと勉強しよ」


「今日もそのつもりだっただろ」


「じゃあ次は向かいに座るとか」


「それなら少しは進むかもな」


「じゃあそうしよっか」


「覚えてたら」


「絶対忘れるやつ」


「高梨が覚えてればいいじゃん」


「私だけ?」


「言い出したのそっちだろ」


そんな話をしながら、二人は昇降口を出た。



次に二人で図書室へ行った時、


向かいに座るという話は、


二人とも忘れていた。

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