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二十章 昇天




 その夜。満月に照らされた幽霊蔵の外装は、普段と全く変わらない。

「………」

 南京錠に鍵を差し込む親父の表情は、葬儀を取り仕切った疲労と二人の家族を失った心痛、そして今から起こる事への不安でひたすら暗い。

「親父、やっぱ部屋で待ってた方がいいんじゃないか?」

 あの後、二つの骨壷を持ち帰った家長に全てを話し、蔵への立入許可を求めた。親父は驚きつつ何もかも知っていた風に頷き、一緒に開けようと言い出した。

「部外者のお前にだけ任せられるかよ。―――これは俺の責任なんだ」


 ガチャッ。……ガラガラガラ……。


 俺が持つランプの灯に照らされ、蔵の内部に置かれた木箱の影が妖しく揺らめく。


「出て来いよオッサン達!話があるんだ!!」


 親父も何人か名前を呼ぶ。しばらくして複数の影がゆらぁと動き、人型を取って浮き上がった。

 いつも陽気でお喋りなオッサン達、延べ十数人全員が神妙な顔付きでこちらを見ていた。仮令外界へは出られなくても、家の様子や風に乗った声から状況を悟っていたらしい。

「本当にお前等なのか……嘘だろ……?」

 真っ青な親父へ、花札三人組が矢継ぎ早に話し掛ける。

「本物に決まっているだろ、両?」

「お前は阿呆のくせに昔っから疑り深くていけねえ」

「だから未だに彼女一人作れねえんだよ」

「五月蠅え!いっぺん死んでも全然変わんねえなお前等!!」

 地団駄を踏む光景を前に幽霊達はニヤニヤ。完全に弄んでやがる。

「再会を喜んでいる所悪いが、今日は遊びに来たんじゃない」

「僕……」

 前の一人、俺より五つぐらい年下の男が悲しげに首を振る。一瞬、その端正な顔面が崩れ、溢れる流血が見えた気がした。

「一つだけ聞かせてくれ……お嬢さんは苦しまずに逝けたのか?」

「ああ。末期癌で眠るように亡くなった……四爺さんも、同じ夜に心不全で」

 しかし本当の死因は不明だ。ベッドに寄り添ったまま、冷たくなっていた所を発見されたらしい。医師や親父の陰から俺も覗いた記憶が微かにある。ばっちゃを抱え、父親のような微笑を浮かべた老人の遺体を。

「そうか……四さんらしい最後だ。彼はいつもお嬢さんを大切にしていた。まるで本当の娘のように……」

 親父が何か言いたげに口を開き、しかし噤む。

「だから、あんた達がここで留まっている必要はもう無いんだ。成仏してくれ、頼む」

 予想だにしない嘆願に、彼等は吃驚して互いの顔を見合わせる。

「もうこっそり蔵の整理とかしなくていいんだ。親父一人の商売ならスペースは店舗だけで充分だし」

「ああ―――この蔵は閉鎖する」

 元同僚の宣言に一様にショックを受けつつも、オッサン達は頑として首を横にした。

「両、俺達に天国へ行く権利なんて無い」

「お嬢さんを守れなかったのに、どうして俺達だけ楽になれる?」

「毎日欠かさず、それこそ身も凍るような寒い日にも線香を上げてくれたんだぞ。知っているだろう?」

「俺達さえあの化物女に殺されなきゃ、もっと楽しい人生が送れたろうに」

「それこそ結婚でもして……僕ぐらいの年の子供がいてもおかしくなかった」

 悲痛に嘆く間だけ、幽霊達は死の直前の姿を現した。誰も彼も血塗れで、とても辛そうな目でこちらを見つめてくる。

「止めろよお前等……」

 親父は口元を押さえ、咽び泣きながら訴える。

「お前等は殺された被害者だぞ。あれは人間の力でどうこう出来る相手じゃなかったんだ。責任は全部あの蜘蛛女の」

 同僚の必死の説得にも、しかし霊達の表情は硬いままだ。

「大体、何時までもいてどうなる?その内俺達は俺達の事情で引っ越すかもしれない。新しい住人がここを潰そうとしたら邪魔するのか?」

「俺達は建物でなく、血の染み込んだこの土地自体に憑いている。仮令蔵が無くなっても何も変わらない。―――お前達に迷惑は掛けない。だから頼む、このまま」

 ブチッ!脳内でいやに暴力的な切断音が響いた。


「手前等、いい加減にしろ!!!」「お、おい庚!?」


 ああ、これじゃ柚芽と同じだ。微かに残った冷静な部分がそう呟く。

「グダグダ言ってねえで、さっさと出て行けっつんてんだよ!後から逝ったばっちゃが困るだろうが!!大体何十年も無断で住み付きやがって!家賃も払わず何様のつもりだ!?」

「庚、落ち着け」

「心配したばっちゃが戻って来るのも無視して籠城する気なら、こっちにも考えがあるぞ!徹底抗戦だ!悪霊祓いを毎日呼んで、朝から晩まで一日中有り難い祝詞を聞かせてやる!!」

 そう宣言した俺の背後で、不意に閉めた筈の扉が軋んだ。




 ギィッ。ガラガラガラ……。


「ゆ、柚芽!?お前、何でここに」

「突然変な二人組が家へ押し行ってきて……まあ、そんな事はどうでもいいんです、両小父様」

 夏だと言うのに浴衣の上から冬用ファーを首に巻いた同級生は、旅行用トランクを手に蔵の中へ。

「うう、やっぱり凄い冷気……でも!」

 左手でファーを握り締め、右腕を霊達へ向けて突き出す。

「お嬢さん、外に出てた方がいいぞ」

「自分達じゃよく分からないが、一応立派な自縛霊集団だからな」

「きっと半端無い妖気と言うか何かを放出しているぞ」

「御心配無く!話は聞かせてもらったわ。―――あなた達、亡くなった後まで小母様を悲しませて、本当に本望なの?」

 ブンッ!音速を越えて拳が振り下ろされ、蔵の中の澱んだ空気が流れる。

「それは……」

「何時までも過去に拘って、こんな狭い所でウジウジなんて女々しい事この上無いわ」

 唇を噛む。

「私もあなた達の事は言えない……でも、もう少なくとも後悔はしないって決めたのよ」俺に視線をやり、「小母様に大切な人を託されたんですもの。もう昔を振り返る暇なんて無いのよ!」


 ブンッ!ガタンッ!!拳を叩き付けられた壁が罅割れ、蔵全体が振動した。


「私達は未来へ進むわ!だからお願い!あなた達も小母様達の所へ逝ってあげて!!」

 悪寒に耐えながらの叫びに胸を打たれたのか、オッサン達は俯いたり、鼻を啜ったりし始めた。

「俺からも頼む」

 親父が頭を下げた。つられて俺も同じ姿勢を取る。

「両、僕等も……御免な」 

「俺達だって、諦めて逝こうとした事はあるんだ」

「けど、何をしても駄目だった」

「救われたらいけないんだよ、俺達は……」

 そんな……こんな酷い話があるものか……!何か、何か手段は、


 フッ。「「「!?」」」


 持ち込んだランプの灯が、オイル切れでもないのに不意に掻き消えた。

 蔵の天窓から満月の光がスーッ、と差し込む。まるで迷った魂達を導くように、白い道は真っ直ぐ真ん丸の衛星まで続いている。


「あぁ……」「お嬢さんの声が聞こえる……」


 霊達は口々に囁き、一点の曇りも無い綺麗な道の行く先を指差す。正に光風霽月。死してなお絶えないばっちゃの魂の光が、蔵の中にいる全員を照らしていた。


「呼んでいる……」「こうなったら行くしかないな」「じゃあ一番年下の俺から」


 先程顔面出血していた男が決然とした歩みで月光の上を渡っていく。その刈り込んだ項を見、改めて俺より年下だと悟る。

 格子窓を擦り抜け、臆する事無くドンドン昇っていく男。豆粒のようになった彼は一度だけ振り返り、後続の先輩達に何事か言った。それを聞き一人、また一人と天国への道を歩む。


「ありがとうな、僕」


 最後に足を掛けたオッサンはそう言って、最後尾をゆっくりと昇っていく。その背中がお月様に吸い込まれてすっかり消えるまで、俺達三人は黙って見上げていた。

 その後、無言のまま親父は蔵を後にする。数分後、缶ビールを両手一杯に抱えて戻り、座り込んで立ったままの俺達に一本ずつ差し出した。


 プシュッ、プシュッ。


 冷蔵庫に入れ忘れていたのかやけに温い。柚芽もビールは普段飲まない性質らしく、顔を顰めつつ流し込んでいる。

 飲み慣れないアルコールが葬式明けの身体に響き、半分空けただけで親父の隣に腰を下ろす羽目になる。

「柚芽」

「ええ」

 着物が汚れないようトランクからタオルを取り出し、俺の横に敷いて座る。綺麗な横顔だ。今まで何故気づかなかったんだろう?

 その夜の親父は饒舌だった。子供の時の話に始まり、店に来るまでの就職難の日々(そこまでできっちりビール二本分)、長い新人時代、そして俺を拾うまで。例の事件の話は一切無し。それはまるで何処にでも転がっている、ちょっとドジな骨董店員の思い出話だった。

 酔いが回るにつれ、段々親父の口からばっちゃの名前が出る頻度が増していく。当人は気付かぬまま、さり気無く紛れ込んでいた焼酎のカップを開けて飲み始める。

(まさか……な)

 この通り要領が悪い親父の事だ。辞めても再就職が大変だから、天宝に居坐らざるを得なかっただけに違いない。


「あいつは本当、良い女だったなあ……」





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