十七章 月夜の決意
「着いた……」
環紗中央公園の入口でワゴンを留め、園内へ歩を進める。
月明かりに照らされ、整然と植えられた常緑樹が風で静かに揺れていた。歩く度、管理された芝生がカサカサと小さく鳴る。手入れされた花壇には綺麗な向日葵やコスモスが咲いていた。
鬼が覚醒して以来、ここへは定期的に訪れている。仮令半分人工でも、植物に囲まれていると心が穏やかになるとビトス先生も言っていた。自分でも一定の効果は実感している。それに人のいないここなら、無用な義憤に駆られる事も無いから。
(庚、大丈夫だったかしら……?)
つい本気で撥ね飛ばしてしまったが、怪我は無かっただろうか。龍族とは言え今は人型、それに応じて耐久力も低くなっているかもしれない。もうちょっと手加減すれば良かった。
「相変わらず時間ピッタリだな、優等生」
「境」
昔と変わらない下衆なにやけ顔。二回も行ったのに、刑務所は全くこいつの更正に役立たなかったらしい。全く、税金泥棒も甚だしい。
「てっきり遅れて来ると思ってたわ。学校では遅刻常習犯だったから」
「俺だって少しは成長したんだよ。ほら、背丈だって大分伸びて良い男になっただろ?」
二メートル近い身長で右腕を曲げ、刑務作業で鍛えられた力瘤を見せつけた。
「刑務所の食事が無駄に栄養満点なのだけは理解出来たわ」
「ハハ、二十年経ってもつれないな」
小高い丘の上で阿呆は嗤う。
「昔話なら他所でやって」
手紙をスカートのポケットから出し、グシャッ!目の前で思い切り握り潰した。
「こんな物を寄越して脅迫なんて、嫌がらせのつもりなの?」
「俺はただ『会いたい』って書いただけだぜ」
「来なかったら庚を売るともね」
「まぁな。何て言うんだ、枯れ専?俺の兄貴とかさ、ああ言うのが好きらしいんだよ」
「変態……!!」
初めて読んだ時、世界が終わったのかと思うぐらいショックを受けた。勿論、宇宙には色々な性癖の人間がいる事は承知していた。だけど、まさか選りにも選って片想いの人がそんな目で見られるなんて!
「あんたは私へ最大限の侮辱をしたわ!後悔する事ね!!」
「分かりやすい女だな。あんな情けねえ龍族の何処がそんなにいいんだ?」
嘲笑。
「本能のまま、全てを薙ぎ倒すお前の方がよっぽど綺麗だぜ。―――来いよ柚芽。俺ならお前の居場所を作ってやれる。退屈な店屋勤めなんかより、ずっと生き甲斐を与えてやるから」
「前に嫌だと言った筈よ。何度訊かれても答えは変わらないわ」
『分け前は半分やるからさ、協力してくれねえか?お前の力が必要なんだよ、俺達には―――』
二十年前の宝石強盗事件の前夜、こいつはぬけぬけと電話でそう頼んできた。そして今もまた。子供時代とちっとも変わっていない。貧困な発想しか持てない、可哀相な犯罪者のままだ。
「最高のスリルと快楽、宝石でも家でも何だって買ってやる。悪くない取引だろ?」
「まるっきり三文芝居の台詞ね」
「―――お前は所詮、俺達と同じ人種なんだよ。柚芽」ニタァッ。「無力な奴等に力を振るうのは気持ち良かった筈だぜ?頭が真っ白になるぐらいにな」
私がゆっくり首を縦に振ると、境は犬のように舌を出して歓喜した。
「ほら、やっぱりな。もっと近くに寄れよ。二十年振りの美人の顔をよく見せてくれ」
「ええ」
丘へ向かって一歩踏み出す瞬間、抑えていた感情のリミッターを解除した。
タンッ!「なっ!?」ドンッ!!
無様に地面へ押さえ込まれた畜生は、後ろの両腕を片手で拘束する私を振り返った。
「どう言うつもりだ!?」
「こう言うつもりよ」
ベキッ!「っ!ぎゃああああっっっっ!!!」
折れた両手首を胸の前で抱えながら、激痛に男は丘を転げ落ちていく。
「情けないわね。その程度の怪我で泣くなんて」
悠然とその後を追いつつ声を掛ける。
「あんたに人生を滅茶苦茶にされた被害者達が浮かばれないわ」
過敏になった鬼の耳が、周囲に複数の気配を掴む。やっぱり。こいつが単身で来る筈無いか。
「一つ教えておいてあげる。あんた達ケダモノと違って、鬼は群れたりしないの」
大切な人達を傷付けないために。
「がっ……!こ、このアマぁ!人が下手に出りゃあ付け上がりやがって!!」
腕を庇いつつ立ち上がり、涎を垂らしてギラギラした目で睨め付けてくる。
「あなたの言う通りよ。無力で無価値、社会のゴミとしか思えない悪党を倒すのは最高に気持ち良いわ」
台詞の一呼吸後、約三メートル離れた境の目の前へ移動する。驚愕する本人と取り巻きを他所に、皺だらけのジーンズの脛を無造作に蹴った。
絶叫。仰向けに倒れた奴を、まだ十代であろう男二人が起こして介抱する。
「な、何なんだこの女!?」
「境さん。こいつはマジでヤバえよ。諦めてとっととズラかった方が―――ギャッ!!」
頭突きが顔面を直撃し、噴水のように鼻血を噴き出して崩れ落ちる舎弟。それを汚物のように一瞥する元同級生。芝生を無様に這いながら、あちこちから沸いた十数人の部下へ命じた。
「手前等、そいつを捕まえろ!!怪物め……手足を切断してからたっぷり可愛がってやる!」
無駄な事を。この低能、あれだけ攻撃を受けてまだ『鬼憑き』の力を見誤っているらしい。人数で押せば勝てるなんて、私には通じない。
「へへ、悪く思うなよお姉さん」
「これも境さんの誘いを断った罰だぜ」
獲物は鉄パイプにナイフ、竹刀も一人いる。拳銃でもあれば少しは楽しめると思ったのに。所詮は小悪党か。
(これで全て終わりにするから庚、小母様。どうか赦して……)
拳を握り締め、臨戦体勢を取って心の中で謝る。
天宝商店の人達は、私にとって本物の家族のような存在だ。子供の頃の理南お姉ちゃんのように、今は彼等が心の支え。だから―――負けられない。勝ってその脚で宝家へ戻り、庚に謝罪しないと。
「行けっ、野郎共!!」「「「わーっ!!!」」」
一斉に襲い掛かる男達を撃退するため。そして未来への希望を掴むために腕を伸ばした。
ブオオオオッッッッ!!!
「どけどけどけえっ!!」
例のレバーを倒し、アクセル全開で環紗中央公園を疾走しつつ雄叫びを上げる。
不良共に囲まれた柚芽を発見し、ハンドルを切った。ギュルギュルギュル!!ドラフトに巻き込まれた男達が数人跳ね飛ばされるのが見えたが、勿論気にしている暇など無い。
「っ!庚!?どうして」
「話は後だ!乗れ!!」
走る車体の上でバンッ!運転席のドアを開け、右腕を彼女へ差し出した。
「そいつと行って、このままつまらくて下らねえ人生を送るのか!?俺は本当にお前を想って言ってやってるんだぞ!!?」
彼女の後ろで地面に這い蹲った境が絶叫する。
「犯罪者は黙ってろ!いいから来い柚芽!!」
前後に伸ばされた二本の腕を見、同級生は一瞬逡巡した。が、
「うん!」
驚異的な身体能力で軽トラへ跳び込み、俺の膝の上へ乗って後ろ手にドアを閉めた。
「良し。帰るぞ」
「ええ」
そのまま公園を脱出。彼女の家の方面へしばらく走り、後数十メートルの所まで来た時だ。
「止めて、庚」
助手席に乗り直していた柚芽はエンジンを止めた途端、両腕を伸ばして俺を抱き締めた。顔を肩口に埋め、静かに啜り泣く。
「怖かったのか?」
「ええ……迷惑、よね?私の事、嫌いになった?」
「何でだよ。そりゃ確かにおっかない所もあるが、その前に一人の女の子じゃないか」
そっと後頭部に手をやると、彼女は吃驚した表情を見せた。
「幾ら暴走してもお前はお前だ。何度だって俺が迎えに行ってやる」
震える唇は柔らかで甘い。一層彼女の腕力が強くなった。俺の気持ちと同じく。
「―――愛してるわ、庚。子供の時からずっと……」
「ああ」
滑らかな肌を探り、汗でしっとりした胸に触れる。
「家へ戻るか?」
「ううん……ここがいい」
素直に返答をする彼女は、本当に可愛らしくて綺麗だ。
(親父、悪いな。今夜は四爺さんと適当に食べといてくれ……)
自ら着物の帯を外し始めた同級生は、ふと車外に目をやる。一瞬、明らかに両眼が硬直した後、軽く頷いてから視線をゆっくりとこちらへ戻した。
「どうした?」
「ううん。何でもないわ……」
ぽろっ。零した涙を袖で拭い、鬼女は心の底から穏やかな微笑みを湛えた。




