十六章 長い夜の夏祭り
祭りで浮かれ騒ぐ夕方の街を、俺は自宅へ急いでいた。
果物屋へ行ったが、生憎同級生は午後から半休を取って不在だった。気の良い店主も理由は聞かされていないらしい。一応家の方へも足を運んでみたが、こちらも留守。そこで第三の居場所、天宝へ確認しに走る。
「帰ったぞ親父ー!」
「おお、おかえり」
デートを勧めた当の親父は昨日捻挫してしまい、祭りだと言うのにテレビを観てのんべんだらんしている。どうも不注意で道端の溝に足を滑らせたらしい。間抜けな事この上無い。
もう一人の家族、四爺さんは朝から同業者の店に行ってまだ戻っていない。確か夕食は要らないと言っていた。
「なぁ庚、屋台でたこ焼きか何か買ってきてくれよ」
「はぁ?勝手に行ってくりゃいいだろ?」
ここもハズレか。まさか柚芽の奴、もう既に境の所へ……。
「おいおい、この脚だぞ。無理に決まってるじゃねえか」
包帯ぐるぐる巻きの足首を誇らしげに持ち上げる。それにしても大袈裟な、骨折じゃあるまいし。
「ほら、買って来たら飯作らなくていいんだぞ。ついでに柚芽と金魚掬いでもしてこい」その肝心の女を今必死こいて捜してるんだよこっちは!
「俺普通に自炊する方がいいよ」
元々人混みも喧騒も余り好きではない。変に緊張すると変身時の疲労が増してしまう。だから学生時代以来、大勢のいる場所はなるべく避けるようになった。うっかり本体が出たら周りに大迷惑だしな。
「つくづく年寄りだなお前。ホントに俺より年下なのかよ。ところで何か作り置きしてんのか今日?」
「まさか。いつも通り冷蔵庫開けて適当に作るつもり―――って!」
顔目掛けて飛んできた年季入りの、小銭ばかり詰まってえらく重い財布をキャッチ。
「マヨネーズ特盛り掛けたこ焼きと焼き蕎麦。あとフランクフルトに唐揚げ、勿論全部三人前な」
「わーったよ!行きゃいいんだろ行きゃあ!!」
我儘が可愛いのは幼女だけだ。四十過ぎのオッサンなぞ怖気が走るだけだわ!こうなったら使いまくってこの財布、すっからかんにしてやる!
鼻息荒く意気込んで家を出た途端、当初の目的を思い出した。
陽は既に沈み、空の緋が刻々と西に逃げていく。真上には雲一つ無い星空。
(仕方ねえ。親父の腹具合より、今は柚芽だ)
念のためもう一度彼女の家へ行くが、矢張り明かりは点いていない。ちくしょう!本当に何処行っちまったんだ!?
(待てよ。もしかして祭り会場か?)
仮に境が監視に気付いているなら、人混みは格好の撹乱になる。それに奴にとっては久し振りの娑婆だ。屋台の匂いはさぞや抗い難い誘惑だろう。
悪くない仮説を胸に、俺は再度走り出した。
普段は散歩やスポーツ場、年に一度はうちも参加する骨董市の会場の中央広場。今夜は所狭しと様々な屋台が軒を連ね、呼び込みやはしゃぐ若者達や子供の声が飛び交っている。ピカピカ光るカラフルな電飾が屋根から屋根を伝い、広場全体を昼のように明るくしていた。
(取り敢えず一回りしてみるか)
人混みを縫い、二人を捜し始めて数分。空腹の鼻が鰹節とソースの良い匂いを嗅ぎ取った。ぐぅ。
(……まあ、軽く腹ごしらえしてからでも遅くないか。年に一度の祭りだし)
よし、人捜しは焼き蕎麦を食ってからにしよう。目の前でジュージュー鉄板に押し付けられて程良く麺が焦げ、既に唾で口の中が一杯だ。
草臥れた財布に手を入れかけた時、視界の端で緑色の何かが動いた。
(あ、柚芽!!)
最近よく着ている蓬色の着物を纏い、待望の同級生は西へと早歩きしていく。美味そうな屋台には脇目も振らず、只ならぬ雰囲気で。まるで獲物に急降下する直前の鷹だ。
(まさか今から会うのか?でも、一体どうするつもりだ?)
出しかけた財布をポケットに仕舞い、急いで後を追う。
盆踊り会場の広場を抜け、柚芽はドンドン人気の無い方へ進んでいく。そうして数分後、立ち止まった先は教会だった。俺自体は無信仰なので入った事は無いが、一、二世紀前から建っているようなボロ屋だ。
「来ました。いるんでしょう?」
「遅かったな」
建物の陰から現れた二人のチンピラは、しかしどちらも境ではなかった。だが奴と同じぐらい悪どい顔付きだ。耳の側面にリングピアス、首筋には黒い蛇のタトゥー。いっそ清々しい不良っぷりだ。
「境はどうしたの?人を呼び出しておいて、寄越すのは下っ端なのね」
「つれない事言うなよ」
馴れ馴れしく伸ばした男の手を払い除け、殺気を抑えて言う。
「成程。本当の待ち合わせは別の場所って訳。―――なら約束して。これが終わったら金輪際私や庚達に関わらないで」
「分かってるって。さ、行こう」
二人に案内され、教会前に停まるワゴン車のドアへ身を滑り込ませる。ってえ!!?マジか!!
「待てっ!!!」
叫びながら駆け出したが遅かった。ドアが閉まり、即座に車が発進。拙い!まさか柚芽が自分からホイホイ付いて行くなんて!
「嘘だろ!?ぎゃっ!!」
曲がり角で撥ねられたらしき男の絶叫。どうやらばっちゃの頼りの綱、予想外に役立たずだったらしい。
無情に小さくなっていくワゴンの背面を見つめ、興奮で頭をカッカさせる。
こうなったら本体に戻り、飛んで追い掛けるしかない!天芙以外の街は一応変身解除禁止区域だが、んなの知った事か!!こっちは人命が懸かってるんだぞ!
意識を拡散させ、まずは上半身の変化を解除し始める。皮膚が盛り上がり、深い緑色の鱗に戻る。よし、このまま早く―――!
ブッブー!!
「庚!」店の軽トラに乗った四爺さんが声を張り上げた。「乗れ!早く!!」「ああ!」バタン!
「その辺りに捕まっていろ。飛ばすぞ」ブオォォンッッ!!
二十年店にいて、初めて聞く別物の排気音。前方のスピードメーターが見る見る内に八十キロまで跳ね上がる。当然車内に掛かった慣性も半端無い。
「うわっ!?」
ギュルギュルタイヤを軋ませながらドリフトで右折。身構える間も無くドアに押し付けられる。
「―――気付かれたな。矢張り向こうの方がエンジンのパワーは上か」冷静に呟く。「こっちは軽トラだ。スピードで勝負されると辛い」
「何て荒い運転してんだ爺さん!ぎゃっ!」グワン!「寿命が縮んじまうよ!!」
「庚」
「何だ?」
「帰ったら両によくよく言っておけ。車を使った後は毎回ガソリンを満タンにしろと」
ガタンッ!いきなりスピードが落ちた。くそっ!あの糞親父め!!ヤバい、一旦は近付いたワゴンがまた遠くなっていく。
ガチャン!爺さんがハンドルの根元から生えたよく分からんレバーを倒す。クラッチやワイパー、ライトは勿論別にある。謎なまま一秒後、その隠された凄まじい真価が発揮された。
ガッ!!
さっきより酷い慣性が身体を支配する。メーターは―――百二十キロだと!!こんな細道で出す速さじゃねえぞ!!
「爺さん!!」
「庚、前のダッシュボードを開けろ」
言われるまま開かずのボードに手を掛ける―――な!
「お、おい四爺さん!?これ、銃」
「変身は解いたまま撃った方がいい。そのマグナムは改造済だ。人の身体で使うと骨が折れるぞ」物騒な忠告をする老人は言葉を続ける。「弾は入っている分で全部だ。外すなよ」
「んな無茶苦茶な!俺、今初めて銃を握った素人だぞ!!」
「私が運転している以上、手が空いているのはお前だけだ。心配無い。狙って引き金さえ引けば、後は弾が勝手に仕事してくれる」
俺の困惑を他所に、助手席のパワーウインドウが全開にされた。他の選択肢は用意されていないらしい。
「それに何で骨董屋がこんな物騒な物持ってんだ!?」
言いつつ弾倉が全部埋まっているのを確認する。テレビドラマで見る拳銃より大分大きく重い。薬莢も通常の三倍近くある、反動が桁違いなのも納得だ。
「色々あったからな。最後に使ったのはもう四十年近く昔だが、一応メンテナンスは欠かさずしてある。暴発はしない筈だ」
「色々って、説明になってねえだろ!?」
突っ込んで窓から肩まで乗り出し、銃口をワゴンの後輪に向ける。万が一窓を撃ち抜いて、中の柚芽を怪我させては大事だ。
バンッ!!「ぐっ!!」
至近距離の轟音に鼓膜がビリビリ震える。一瞬後に右手を伝って肩、心臓周辺まで衝撃が走った。運動神経の瞬間的麻痺で危うく銃を落としかける。肝心の弾は……駄目だ、目の前のワゴンはまだ御機嫌に走っている。
(しっかし、とても連射出来る代物じゃないぞこれは……腕が砕けるのが先か、タイヤを撃ち抜くのが先か。本気で真剣勝負だな)
この軽トラのフルスピードも一時的な物だろう。時間が無い。まだ若干痺れる腕を押さえ、俺は再び狙いを定めた。
バンッ!!
今度は発射した弾が音速を超え、左後輪に突き刺さるのがハッキリ見えた。数秒後、車体が明らかにバウンドし速度が落ちる。
「よくやった」
レバーを戻し、ブレーキを踏んでスピードを落とす。負荷の掛かったタイヤの焼ける臭いが鼻を突いた。
「停まった所を取り押さえるぞ」
「ああ」
ワゴンはコントロールが効かないのか、蛇行しつつも中々停車しない。が、
ドンッ!
左側のドアを電柱にぶち当て、ようやく逃走を終えた。
「柚芽!!」
銃を持ったまま飛び出し、運転席へ慌てて駆け寄ろうとした。ところが次の瞬間、予想外の光景に混乱してしまう。
バタンッ!ドサドサッ!!
後部座席から投げ飛ばされたチンピラが道路に折り重なるのを一瞥し、怒れる女は悠々と空になった運転席に着いた。掛かったままのエンジンを吹かし、ハンドルを切ってバックし始める。
「おい、何やってる柚芽!?止まれ!!」
「嫌!あいつに会って、私は自分に決着を付ける!お願いだから邪魔しないで、庚!!」
眉を顰め、苦痛に耐えながら叫ぶ鬼女の迫力に、反射的にたたらを踏んだ。
(違う!怖がる事なんて何も無いだろ!!)
こいつは霧下 柚芽、俺の同級生。正義感と腕っ節が強くて、それと同じぐらい優しい心を持った―――ただの一人の女だ!!
「それにあのゴミ男、事もあろうに私へ取引を持ち掛けてきたのよ。庚を酷い目に遭わせたくないなら来いですって!?断ったら」
ガリッ。歯軋りの音がこちらまで伝わる。
「赦せない……あんたに手を出そうなんて、私にとっては最大の侮辱だわ!」
「??何だよそれ。誘拐して強制労働とか、臓器移植させるぞってか?」
偶に小説で見る奴隷設定だが、この至って平和な時代にはそぐわない気がする。
「それもあった。でも一番じゃない……ああ、△×○□~#!!」血塗れの助手席を尚も破壊しながら、言葉にならない奇声を上げて叫ぶ。「怒りで頭がおかしくなりそうよ!!!」
ブロロロロッ!!ギュルギュルギュルッ!!
後輪が回り、車体が急速に体勢を立て直す。俺は運転席のドアの取っ手を掴み、鱗が生えた拳で窓を叩いた。
「怒りは分かる。けど行くな!お前、前に自分で言っただろ!?あんな馬鹿に付き合うなんてどうかしてるって!」
「庚の言う通りだ、柚芽」車から降りて来た四爺さんも加勢する。「君に大事があれば私達はとても悲しい。だからエンジンを止めるんだ」
「庚、四小父様―――ごめんなさい!!」
「わっ!?」
ドアが勢い良く開閉し、反動で道路へ吹き飛ばされた。その隙にワゴンはパンクしているとは思えない猛スピードで発進。角を曲がり、打った腰を押さえる間も無く行ってしまった。
「大丈夫か?」
「ああ、何とか」
早く追わないと。でも待ち合わせ場所って一体何処なんだ?
「―――中央公園」「え?」
老人は顎に手を当て、戻って来る途中、柄の悪い若者達が屯しているのを見た、あそこなら祭り会場からも離れている、密会にはうってつけだろう、そう淡々と述べた。
「行け。家までの往復ぐらいなら、まだギリギリガソリンも保ってくれるだろう」
「四爺さんはどうするつもりだ?」
一緒に行くなんて言い出さないでくれよ、頼むから。
「……心配要らない。警察にここの事を電話して」チンピラ共を一瞥し、「アイザの様子を見に行ったら、後は帰って大人しく寝ているさ」
ほっ。良かった、空気読んでくれて。
「但し、抜かるなよ庚」
「当たり前だろ」
時間が無い。開いた軽トラの運転席に飛び乗ってエンジンを掛け、アクセルを踏み込んだ。




