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十五章 地の底への見舞い




 翌日。朝の教室を終え、その足で龍商会ビルへ辿り着いたのは十一時半頃だった。

 エレベーターで地下へ降りた後、看護師らしき白衣の男に先導され、昨日と同じリノリウムの道を歩く。時折消毒薬の刺激臭が鼻を突いた。

「ここってばっちゃ以外にも誰か入院しているんですか?」

 幾つかの扉の向こうから気配を感じ質問するが、彼は無表情のまま首を横にした。

「詮索は止めた方がいい。全員訳有りの患者ばかりだ」

「あ、済みません」

 素直に謝ると、看護師は顔を背けた。

「秘密厳守が契約の絶対条件なんだ。君の御家族以外からは前金も貰っている」

「ふぅん。ばっちゃは特別なのか」

「彼女は希少種族だからな。遺伝子研究も兼ねていると言う話だ」

 成程。まあタダより高い物は無いって訳か。


 ガチャン。「ばっちゃ!」「庚!昨日の今日で来たの?全く……心配性なんだから」


 ふふっ、と笑う彼女は、治療の甲斐あって昨日より血色が良かった。しまった、二胡忘れた。

 ところがしばらく取り留めの無い会話の後、ばっちゃは不意に暗い表情を浮かべる。

「ねえ、庚は曲林 境って子が今どうしているか知ってるの?ほら、初めてうちに来た時、アタシを見て逃げ出した腰抜けの」

「境?いや……大分前にまた警察の御厄介になったって聞いたけど、詳しくは」

 同窓会の噂では、他所の星で銀行強盗を働いたとか。ちっとも成長していない、むしろ悪化していると呆れた記憶がある。

「そいつの出所日、今日なんだよ」

「へ?」

「もう刑務所を出ている頃。夕方には実家へ戻っているだろうね」

「何でばっちゃがそんな事知っているんだ?あいつと何の関係も―――あ」

 昨日柚芽が暗い顔をしていたのは、まさかこれが原因……?そう言えば大事な約束がどうとか……偶然、なのか?

「な、なあ。もしかしてその話、柚芽が」

 すると彼女は小さく肩を竦め、そうだよ、でも庚には教えるなってさ、嘆息しながら言う。

「大丈夫だよ。連合政府の友達に相談して、奴を監視してもらうよう頼んでおいたから。今頃誰かがあいつを見張っている筈。撒かれていなければね」

「顔が広いんだな、ばっちゃ」

「長く生きていればそれなりにね」

 とっとと憂いを晴らさないと身体に悪い。それに、


(あいつ、何で俺に相談しないんだよ!!境に会って一体何をするつもりだ!?)


 確かにインドアで頼りなく、喧嘩も弱いのは重々承知だが、それでも一人で犯罪者と対峙するよりはマシだ。

 ベッドに因って上半身斜めに起こされた彼女は不安気に眉を顰めた。

「柚芽の店、お祭りだから今日は早目に仕舞うんだったね」

「ここを出たら見て来るよ。ばっちゃは何も心配するな。身体に障る」

「―――ありがと庚。あんたはやっぱり優しい子だね」

 三十過ぎにもなって頭を良し良しされた。思わず頬が火照る。

「支えてやりなよ。あの子にはあんたしかいないんだからね」

「うん。分かってるよ」

 両親亡き今、この街であいつを守れるのは俺達だけだ。

 また明日、と言って病室を出る直前。何故か言い知れぬ恐怖が背骨の下から湧き上がる。もう二度と大好きなばっちゃの声を聞けない……不思議とそんな気がして。


「ばっちゃ」

「何だい?忘れ物?」

「いや。―――俺、ばっちゃの家に来れて凄く幸せだったよ」


 告白して数秒後、静かに笑われた。

「どうしたんだい急に?」

 皺の寄った手を伸ばし、俺の肩を撫でる。

「アタシも庚がいて幸せだよ。本当の、血を分けた息子みたいで」

「違うんだ。親じゃなくて俺は、その……」

 異性として好きで、だから一つ屋根で暮らせて幸せなんだ。同じ時間を共有出来る事が嬉しいんだ。咽喉の奥でつっかえた言葉が疼き、痛みを発する。

 養母の茶色い瞳がじっ、と俺を見た。いつも明朗快活な脳は今、何を考えているんだろう。

「―――ごめん」

「変な子だね。謝るような事、何もしてないじゃない」

 言っても困らせるだけだ。俺の本意でもない。

 突然なまっちょろい胸板に手を置かれ、心臓が跳ね上がった。


「何時までも病人と一緒にいちゃいけないよ。あんたまで臥せったら皆困る」ポンポン。「もう行きなよ、ナイトさん」


 何て強い生命力を宿した目だろう。死への不安は残らず拭い去られ、俺は悠々と別れを告げた。




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