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十四章 彼女のいない団欒




 月日は一気に流れ、二十年後。養父共々宝家と縁組した俺、宝 庚は三十二歳になっていた。


『家の中の事宜しくね、庚』


 ばっちゃは特殊な血筋のため普通の病院ではなく、龍商会ビルの地下施設で入院しなければならないらしい。夏風邪に因るだるさが抜けず、検査も兼ねて五日間の予定だ。因みに前回は一ヶ月前。ほぼ同じ症状で二日程点滴してもらった。元気溌溂としていても流石に六十を越えている。今年の猛暑には勝てなかったのだろう。

 付き添った際、職員らしき紫髪の巫女が病室まで案内してくれた。天芙にいた頃、噂で耳にした代々龍王に仕える銀龍一族だ。ばっちゃを心配げに見た以外は全くの無表情。余計な事を喋らないよう教育されているらしく、会話は専ら事務的だった。


『ビルの消灯時間以降の面会は警備員に申し付けて下さい。くれぐれも勝手に出入りはなさいませんよう、お願いします』

『ええ、分かっています』


 数度目の入院と言うだけあって、流石慣れた物。ベッドに横になって早々、巫女さんに私用電話の貸与を頼んだ。


『じゃあなばっちゃ。また来る』

『うん。頼んだよ庚』


 家に帰った俺は、言いつけ通りまず家中の掃除をした。畳を掃き清め、物と言う物を拭く。三年前から棚の上に置いたままの宝爺さんの位牌も丁寧に。

 あの爺さんが肺炎を拗らせて老衰したのは、クリスマスの終わった年の暮れ直前。死期を悟っていたのか、俺達がどんなに言っても病院へ行かず、自前の薬さえ最後まで飲もうとしなかった。亡くなったのが眠っている最中だったのは唯一の救いだ。


「あ……ばっちゃ、また忘れてる」


 大広間の片隅に立て掛けたままの二胡を手にする。丁寧な手入れのお陰で年月を経るに従って音色と本体の色は深みを増し、テレビの消えた夜にはよく持ち主と妙なるメロディを奏でていた。

 そっと弓を添え、弦へ滑らせる。―――良い音だ。ばっちゃが鳴らすのには遠く及ばないけど。

「片付けとくか」

 あの病室、楽器の持ち込みはOKなのかな?一応防音だと聞いた事はあるが、明日試しに持って行ってみようか。

 ガラガラ……玄関戸を開け、一仕事を終えた親父が入ってきた。

 十年程前、一念発起で勉強して古物鑑定の資格を取り、最近では四爺さん抜きで出張するようになった。尤も本人曰く鑑定眼はまだまだらしいが。

「おかえり」

「ただいま。無事送ってこれたみたいだな」

 安堵して広間の机に鑑定道具の入った鞄を置く。台所の冷蔵庫からスポーツドリンクを出し、ペットボトルのままゴクゴク飲み干す。

「入院するってのに元気そうだったぜ。親父の方は?」

「シケてた」

「あ、そ」

 まあそんな時もあるさ。俺の定期収入もあるし、特に問題は無い。

 高等部を終えて十数年来、俺だけは家業と全く関係無い職、茶道の指導で生計を立てている。近所の教室手伝いを週三回、年に数度は交流会や大会で別の星に行く日々だ。

 進路を相談した時、誰より先に賛成してくれたのはやっぱり彼女だった。


『遠慮する必要無いよ。あんたはあんたの好きな事をしなさい』


 迷いを抱えた俺にその言葉は大きな光明となった。だから仕事の無い日はこうして家事、ばっちゃの手伝いも堂々出来るって訳。

「そう言えば明日は夏祭りだぞ」

「それがどうかしたか?」

「お前なあ……」ボリボリ。「可愛い女の子を誘ってやれよ。今年で三十二だろお前等?そろそろ結婚を考えても」

「まだ早えよ」

 する気も更々無い。浮気みたいで。

「お前は龍族だからまだ寿命があるさ。だけど柚芽は人間だぞ」

「は?何で突然あいつを出すんだよ親父?」

 確かに柚芽も俺と同じく現在未婚だ。治療ですっかり良くなった姉はあれから数年で職場結婚し、転勤を経て現在子供二人と“碧の星”で暮らしているそう。一方柚芽は商店街の果物屋で働いているものの、浮ついた話は一切聞かない。父親は半年前喉頭ガンで亡くなり、後を追うように母親も心筋梗塞で……。


『今までありがとう』


 最後まで腫れ物のように扱われていた娘は、それでも愛しげに両親へ末期の水を含ませていた。

「大体、そう言う親父だって結婚していないじゃないか」

「いや、あんな事件があったら、そんな気起こる筈」

「で、ついでにモテなかった訳だ。この甲斐性無し」

「ぐっ……!」

 親父をやり込めた所で夕食の支度を始める。ええと、今夜はきつねうどんと何に、


 ガラガラガラ。「お、噂をすれば彼女だぜ」


「こんにちは両小父様。お仕事はもう終わったんですか?」

 玄関から入って来た柚芽は、両手にすっかり見慣れた銀色の圧力鍋を持っている。

「ああ。お、またお裾分けしに来てくれたのか?助かるよ。今日からしばらくむさ苦しい男所帯でさー」

「小母様、また入院したの……?」

 蒼い顔をした同級生へ、俺は手をパタパタ振った。

「心配要らないよ、至って元気そうだったし。今度は一応検査もしてもらうらしいから。それより何持って来てくれたんだ?」

「茄子と朧豆腐の煮物よ。八百屋で沢山茄子を貰ったの。庚好きでしょ、あっさりしている物」

「助かるよ、いつもありがと」

 鍋をコンロに置き、机の上に出した材料を確認する。

「何なら柚芽も食べて行けよ」

「え、でも……」

「食材は余分にあるからさ。先に夕食の準備してきたなら仕方ないけど」

 ふるふるふる。

「本当にいいの?」

「?ああ。一人で食うなんて味気無いもんな」

「じゃあ……お願い。何か私、手伝う事ある?」

 暫し考えた後、首を横にした。

「いや、後はうどん茹でるだけだし特に無いよ。テレビでも見て寛いでたらどうだ?後で茶持って行くよ」

「それぐらい自分で淹れるわ。両小父様は如何です?」

「折角だから貰おうかな。美人の茶を断るのも悪いし」

「褒めても何も出ませんよ」


 ガラガラ。「ただいま」


 続いて帰って来た四爺さんは、すっかり我が家に馴染んだ知己の存在に頬を綻ばせた。

「何だ柚芽か。いつも庚が世話になっている。ゆっくりしていってくれ」

「お邪魔しています、四小父様」丁寧に頭を下げる。「御馳走になります」

「ああ。自分の家だと思って寛いでいきなさい」

 白髪頭を掻き、着替えのために一度離れへ行く。

 俺が味付け済みの油揚げを温める間に、横で沸騰した薬缶が鳴った。柚芽が手早く四つの湯呑みに緑茶を注ぐ。

「はい、四小父様」

 甚平姿で大広間へ座る老人、そして親父の前へ湯呑みを置く。

「ありがとう」

「そう言えば柚芽、明日の夜の御予定は?」

「え?」

 親父の意図を察したのか顔を赤くする。が、ゆっくりと首を横に振った。

「済みません、先約が入っているんです。大事な……約束が」

「そっか……そうだよな、柚芽も年頃の娘さんなんだもんな」

 乾いた笑い声が沈黙の部屋に響く。居心地の悪さに、親父はバツが悪そうに茶を啜り込んだ。

「あー、えっと……御免」

「デリカシー無えのに話振るなよオッサン」

「全くだ。庚、冷蔵庫にカブ漬はまだ残っていたか?」

 爺さんはこの頃甘い物が苦手になってきたらしく、専ら漬物を茶請けにしている。少食にもなり、そのせいか昔より十キロ以上痩せていた。

「ああ、すぐ持って来るよ。柚芽と親父は羊羹がいいか?」

「そうだな」

「……うん。ありがとう、庚」

 拳を握り締めながら、少し硬い笑顔で同級生は礼を言った。




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