十三章 決着
「待たせてごめんなさい、小母様!」
龍商会二階、レストラン街のカフェ。二十分も遅刻してきた私を、アイザ・ストック小母様はにこやかに迎えてくれた。
「構わないよ。アタシこそ急に呼び出してごめんね。あんただって仕事があるのに」
「いえ、そんな。小母様には何時もお世話になっていますから。―――少し、痩せました?」
庚から最近夏風邪を引いていると聞いていたので、心配になって尋ねる。
「まぁ、ね。大した事無いよ」
ウエイトレスがオーダーを取りに来る。私達はアイスコーヒーを注文した。
「―――柚芽もお店に戻らなきゃいけないし、さっさと本題に入るね」
六十を越えた彼女は刻まれた笑い皺を深くしながら言い、A四サイズの茶封筒を差し出した。中は薄い。入っていても精々四、五枚だろう。
「開けますよ」
「どうぞ」
覗き込むと、中身は二枚の紙だった。まずは一枚目を取り出す。どうやらカルテのようだ………え?
「末期ガン……余命、一ヶ月………?」
「昨日の夜に検査結果が出たばかりなんだ。まだ庚達にも言ってない」
「な!な、ならどうして私に最初に……!?」
余りのショックで混乱状態の私へ、母親にも等しい老婆は達観した微笑みを浮かべ、視線でもう一枚を確かめるよう告げた。
恐怖に心臓をドキドキ高鳴らせながら手を入れる。取り出して、見た。
「―――こ、これ……婚姻届……?」
想像を絶する紙片に頭がクラクラする。私の中の強力な暴力衝動『鬼』に憑かれた時でさえ、こんな眩暈は感じなかった。
「庚をお願いね」
「そんな暢気な事を言っている場合ですか!?御自分が大変な時に」
「だからだよ。飛ぶ鳥跡を濁さず。死ぬ前に心残りを無くしておきたくてね」
溜息。
「ここを出たら、定期船に乗って友達の所へ行くつもりなの。何も言わずに死んだらあの子、きっと凄く泣いちゃうから……」
辛い表情をしながら両手をテーブルに置き、上体を小さく倒す。
「ごめんね、柚芽。あんなぼけっとした子だけどさ、後生だから貰ってやって頂戴」
「でも庚は小母様を」
ふるふる。
「そうだね。でもあんたの事も同じぐらい愛してる。でなきゃこの年まで学生時代みたいに付き合ったりしないよ」
「っ!」
震える拳を包み込まれる。筋肉で厚いのに、何て力の無い手だろう……。
「お似合いだと思うよ、あんた達」
「―――受け取れません。今は、まだ」「?」
封筒に二枚の紙を丁寧に仕舞い、正面から小母様を見つめる。
「自分自身の中の『鬼憑き』と決着を付けるまで、これを書く訳にはいきません」
「そんな!リーズの所で感情のコントロール法は覚えたんでしょ?」首をブンブン振る。「あんたはもう昔のあんたじゃない。強くなったよ、本当に」
「……違うんです」
ポケットに入れてあった手紙を取り出し、彼女に向けて広げた。
「これは……!柚芽、駄目だよ!!こんな誘いに乗っちゃ」
「分かっています。私があいつ等なんかと一緒に行く筈無いじゃないですか」
かつての同級生、曲林 境の出所日と待ち合わせの場所と時間、定型文の脅し文句が書かれた手紙を一瞥して呟く。
「じゃあどうして」
「本当に制御出来ているか自信が無いんです。だって私、一度は庚を……」
脳裏に焼き付いた光景がフラッシュバックし、背筋が凍る。
「だからあいつ等で試して、自分にケリを付けてきます。―――小母様、これはあくまで私一人の問題です。だからくれぐれも庚には言わないで下さい」
「気が済まないのは分かるけど、幾ら何でも危険だよ。自分からあんな犯罪者に近付くなんて」
境の噂は時々耳にしていた。強盗殺人できっちり二十歳まで少年院でお世話になった一年後、“蒼の星”の銀行へ強盗に入って再度逮捕された。今度は人こそ殺さなかったものの、脅かし付けた行員達を面白半分に拳銃の的にし、警察が踏み込んだ時にはロビー一面血の海だったらしい。
そして今度も直接の傷害犯ではないと言う理由から、たった十年で出て来てしまう。しかも選りにも選って街中が盛り上がる夏祭りの日に。
「梃子でも動かないって顔だね。分かった、好きにしなよ」
小母様は諦めて溜息を吐き、ストローで冷たいコーヒーを啜る。
「でもね、これだけは忘れないで。アタシ達も庚も、皆あんたを待っているんだからね―――」




