最終話 私が、一番知っています
『悪役令嬢の私が聖女に好かれてどうする!?』
最終話 私が、一番知っています
断罪の日。
王都中央広場には、発表会の日以上の人だかりができていた。壇上には、王家の紋章を背負った裁きの席が設けられ、その前に、鎖に繋がれたリリアーナが引き出されていた。
「これより、ヴァルフェルト公爵令嬢リリアーナの処分を、正式に言い渡す」
宰相の声が、重々しく広場に響いた。
王座の傍らに立つアルベルトは、拳を強く握りしめたまま、視線を落としていた。
(彼女の潔白は、分かっている。分かっているのに……)
「王太子アルベルト・フォン・レインハルトとの婚約を、本日をもって破棄とする」
どよめきが広がる。リリアーナは、静かに目を伏せたまま、その言葉を受け止めていた。
「加えて、聖女候補への危害の疑いにより、ヴァルフェルト公爵令嬢を、国外追放とする」
沈黙が、広場を包んだ。
リリアーナは、俯いたまま、小さく唇を噛んだ。
(――やっぱり、こうなるのね)
(でも、後悔はしていない。あの子を、守れたんだもの)
顔を上げたリリアーナの表情は、これまで学園で見せてきた、あの強気な笑みだった。
「――異議は、ないわ」
その声は、静かで、しかし芯の通ったものだった。
「私は、悪役令嬢よ。何を言われても、仕方のないことだもの」
その言葉に、広場の空気が、さらに重くなった。
* * *
「――お待ちください!」
澄んだ声が、広場の端から響き渡った。
「セレスティア……!?」
リリアーナが顔を上げると、そこには、寝間着の上に外套を羽織っただけの、意識朦朧としたセレスティアが、侍女に支えられながら、必死の形相で駆けてくる姿があった。
「セレスティア嬢! まだ療養中のはずでは――」
「聞きました……! たった今、目を覚まして、すぐに……!」
息を切らしながら、セレスティアは壇上に向かって歩みを進めた。足取りは、まだおぼつかない。
「セレスティア、無理をしては……!」
思わず駆け寄ろうとしたリリアーナを、衛兵が制止する。
「――お願いします」
セレスティアは、宰相と、そして王座に座る国王に向かって、深く頭を下げた。
「どうか、リリアーナ様への処分を、撤回してください」
「聖女候補殿、お気持ちは分かるが、これは既に――」
「いいえ」
セレスティアの声が、はっきりと遮った。
「皆さんは、何も分かっていません」
* * *
セレスティアは、震える声を、しかし力強く紡ぎ始めた。
「あの日、発表会の壇上で、私は確かに意識を失いました。だから、何が起きたのか、直接見ていた方は少ないと思います」
「だからこそ、状況証拠から判断せざるを得ないのだ」
「では、状況証拠ではなく、リリアーナ様がこれまでどんな方だったか、皆さんは、本当にご存知ですか」
セレスティアは、広場に集まった民衆を、まっすぐに見渡した。
「入学したばかりの頃、リリアーナ様は、私に嫌がらせをすると言って、花壇を荒らしました。でも、その結果、荒れていた花壇は、誰よりも美しく生まれ変わりました」
「な……」
人々のざわめきが、少しずつ静まっていく。
「まずいはずの薬草茶を、私に飲ませようとしたこともありました。でも、それは、聖女特有の疲労に効く、貴重な処方でした」
「学園祭では、地味な雑務係にわざわざ立候補して、私の衣装が壊れたときには、誰よりも早く駆けつけて、直してくださいました」
「舞踏会では、良からぬ思惑を持つ貴族から、私を守るために、自ら盾になってくださいました」
「魔法大会では、私を庇って、正面から強力な攻撃を受け止めてくださいました」
「生徒会長になったときも、後見人になってくださって、夜遅くまで、誰よりも私のために動いてくださいました」
セレスティアの声は、少しずつ震えを帯びながらも、止まることはなかった。
「遺跡で黎明教団に襲われたときも、リリアーナ様は、自分を犠牲にしてでも、私を守ろうとしてくれました」
「そして、あの発表会の日――」
セレスティアは、一度、深く息を吸った。
「暴走した魔力を止めるために、リリアーナ様は、闇属性という、扱いを間違えれば自分自身すら傷つけかねない力を、迷わず私に向けてくださいました。あれは、攻撃ではありません。相殺です。私を、助けるためのものでした」
* * *
「証拠がない、と仰るなら」
セレスティアは、涙を浮かべながらも、まっすぐに前を見据えた。
「私が、証拠です」
「聖女候補殿……」
「私は、意識を失う直前まで、リリアーナ様の魔力を感じていました。あれは、温かくて、力強くて、そして――誰よりも、私を守ろうとする気持ちに満ちていました」
セレスティアの目から、涙が溢れ出す。
「リリアーナ様は、いつも、口では『勘違いしないで』『あなたのためじゃない』と仰います。でも、その行動の全てが、誰かを助けるためのものでした」
「私が、一番、知っています」
その声は、広場の隅々まで、はっきりと響き渡った。
「リリアーナ様を、悪く言わないでください。あの方は、誰よりも優しい、私の――大切な人です」
* * *
広場は、しん、と静まり返っていた。
やがて、群衆の中から、小さな声が上がり始めた。
「そういえば……学園祭のとき、私も見ました。衣装を直してくれるヴァルフェルト様の姿を」
「僕も、魔法大会の決勝、見てました。あんなに一生懸命、聖女様を守っていたのに」
「生徒会の噂も、聞いたことあります。夜遅くまで、二人で仕事をしていたって」
小さな声が、次第に大きなうねりとなって、広場全体に広がっていく。
「よく考えたら……あの人が、本当に悪意で動いていたようには、思えないな」
「悪役令嬢、なんて呼び方、そもそも間違っていたんじゃ……」
* * *
「――加えて、報告がございます」
その場に駆けつけた王家の調査官が、慌てた様子で声を上げた。
「発表会で使用された装置に、確かに人為的な細工が発見されました。術式の痕跡は、黎明教団の関与を強く示唆するものです」
「なんだと……!」
「つまり、リリアーナ様は最初から、暴走を止めるために動いていたということが、これで裏付けられます」
広場に、大きなどよめきが走った。
アルベルトは、その瞬間を待っていたかのように、一歩前へ進み出た。
「――聞いたな、皆」
アルベルトの声が、これまでとは違う、確信に満ちた強さで響いた。
「リリアーナは、聖女候補を守るために、命を懸けて行動した。その事実に、今、疑いの余地はない」
「殿下……」
「王太子として、そして――」
アルベルトは、リリアーナに向き直った。
「一人の人間として、私は、彼女の潔白を、誰よりも強く証言する」
アルベルトは、宰相に向き直った。
「婚約破棄、及び国外追放の決定を、撤回する。異論は」
宰相は、静かに首を振った。
「……ございません」
「衛兵、彼女の拘束を解け」
「はっ」
鎖が外され、リリアーナは、ゆっくりと自由になった腕を見つめた。
* * *
「リリアーナ様……!」
セレスティアが、よろめきながらも、まっすぐに駆け寄ってくる。
「セレスティア、無理をしないで――」
リリアーナが言い終わる前に、セレスティアは、その胸に飛び込んだ。
「良かった……! 本当に、良かった……!」
「な……」
大勢の視線の中、リリアーナは一瞬、固まった。
(こんな、人前で……)
しかし、震えながら泣きじゃくるセレスティアの体温を感じているうちに、リリアーナの中で、何かが決壊した。
「……ごめんなさい」
リリアーナは、そっと、セレスティアの背中に腕を回した。
「怖い思いを、させたわね」
「違います……! 怖かったのは、リリアーナ様が、いなくなってしまうことのほうです……!」
「セレスティア……」
リリアーナは、そっとセレスティアの顔を覗き込んだ。
「ありがとう。……あなたが、私を、助けてくれた」
「私こそ、いつも、リリアーナ様に助けられてばかりです」
二人は、互いの顔を見つめ合い、どちらからともなく、小さく笑い合った。
広場に集まった民衆から、割れんばかりの拍手が湧き起こった。
* * *
(お嬢様……!)
群衆の中で、ミリアは、涙を拭う暇もなく、何度も頷いていた。
(本当に、良かった……本当に……!)
その隣では、レオンが静かに、しかし満足げに頷いている。
王座の傍らでは、アルベルトが、静かに目頭を押さえていた。
「殿下、また泣いていらっしゃるんですね」
いつの間にか隣に来ていたレオンが、そっと声をかけた。
「今日ばかりは、許してくれ、レオン」
アルベルトは、涙を拭いながら、小さく笑った。
「今日という日は、私が今まで見てきた中で、最も尊い日だったのだから」
「殿下……」
「それに」
アルベルトの視線は、抱き合う二人の姿へと向けられていた。
「あの二人の絆は、私の証言よりも、皆の証言よりも、何よりも雄弁だった。……私は、ただの記録者に過ぎなかったのだな」
「殿下は、最後にきちんと、彼女を守られました」
「そうか。……そうだな」
アルベルトは、静かに頷いた。
「それだけで、十分だ」
* * *
それから、季節は巡った。
黎明教団の残党は、王家と諸国の連携によって、次第にその活動を封じられていった。フェリシア・フォン・ダレンベルクは、家名の再興を目指し、正式に騎士団への入団を志願したと聞く。イザベラ・クロンヴェルトからは、時折、意味深な手紙が届くようになった。
王立アルカディア学園は、いつも通りの日常を取り戻していた。
* * *
「セレスティア・ルミナス!」
「はい、リリアーナ様」
中庭で、リリアーナは腕を組み、いつもの調子で声を張り上げていた。
「今日の生徒会の書類、あなた一人じゃ絶対に終わらせられないでしょう。仕方ないから、私が手伝ってあげるわ」
「ありがとうございます、リリアーナ様」
「勘違いしないで。あなたが困っているのを見過ごせないだけで、他意はないんだから」
「はい、そういうことにしておきます」
セレスティアは、くすくすと笑いながら、リリアーナの隣を歩き始めた。
「そういえば、殿下から伺ったのですが」
「何よ」
「婚約の件、正式に、白紙に戻すことになったそうですね」
「ああ、あれね」
リリアーナは、あっさりと頷いた。
「殿下とは、色々話し合った結果、お互い、納得のいく形に落ち着いたわ。……とはいえ、公爵家としての立場は、これからも変わらないけれど」
「そうなんですね」
セレスティアは、少しだけ、リリアーナの顔を覗き込んだ。
「これから、リリアーナ様は、どうなさりたいですか」
「どうって……」
リリアーナは、少し考えるように空を見上げた。
「別に、決めていないわ。ただ――」
視線を、隣を歩くセレスティアに向ける。
「あなたの傍で、悪役令嬢として、あなたを困らせ続けるくらいは、続けるつもりよ」
「ふふ、それは楽しみです」
「な、楽しみにされても困るんだけど」
「でも、本当は、私を助けてくださるんですよね?」
「そ、それは……勘違いしないでよね! あなたのためじゃ――」
「はい、そういうことにしておきます」
二人は、顔を見合わせて、小さく笑い合った。
* * *
噴水のそばのベンチに、遠くからその様子を眺める人影があった。
「殿下、今日も熱心にご覧になっていますね」
「レオン、これはもう、私の日課のようなものだ」
アルベルトは、穏やかな表情で頷いた。
「婚約者ではなくなったが……あの二人を見守る時間だけは、これからも手放すつもりはない」
「殿下らしい結論ですね」
「無論だ」
その傍らでは、ミリアが、いつものように微笑みながら、二人の後ろ姿を見つめていた。
(お嬢様……今日も、変わらず、いつも通りですね)
* * *
夕暮れの中庭に、二人の声が響いていた。
「勘違いしないでよね!」
「はい、そういうことにしておきます」
その掛け合いは、これから先も、きっと変わることなく続いていくのだろう。
悪役令嬢を演じ続ける少女と、その本質を誰よりも知る聖女。
二人の日常は、今日も、静かに、そして温かく、続いていく。
〈完〉
ようやくリリアーナの物語も終わりました。次は何を書くか検討します。




