ユーコン=ヴォウクの日常
「ん…」
場末の宿、床に腰かけた首に指を這わすと女は艶めかしい声をあげる。
「来て…」
はだけた衣服、首から肩にかけて柔肌が剥き出しになっている。お互いに身体を寄せ合いそして…
「…っ!なにっ!?」
女は身体を跳ねさせて後ろへさがる。左肩には血が浮きあがっていた。その傷痕は特殊な形状となっており、傷が塞がってもその形状の痕が残る。
「これで貴様は罪人となった。逃げてもその紋は痣として残る。諦めろ。」
「なっ…まさかアンタ騎士かい!?」
「ご名答。わかったならその隠し持っている武器を手にするのは諦めろ。」
女の視線が揺ぎ、身体を強ばらせる。左肩に刻まれた傷を庇う右手、その手で隠しながら床の奥へと伸ばそうとしていた左手が止まる。
「はっ、こんなことしてタダで帰れると思っているのかい?この宿には…」
女の言葉を待たずに俺は指を鳴らす。すると部屋の扉が開かれ兵士が数名入ってくる。
「当然、既に制圧済みだ。そもそも騎士相手にお前らが相手になると思っているのか?」
半分はハッタリだ。いくら騎士でも限られた空間では傷を負う危険性がある。女一人ではどうもできないだろうが下手に抵抗されるよりも大人しく連行されてくれた方が手間がかからない。
兵が剣を渡そうとしてくるのを掌で断る。彼らの手には槍が握られているが、このような狭い室内で槍を構えるなど邪魔物にしかならない。地方兵士らしい練度だ。
「連行しろ。重刑だ。」
「なっ!?アタシが何をしたってのさっ!」
「公人を手にかけたのだ。当然だろう。…まぁお前にとっては幾人の内の一人でしかなかったろうがな。」
女は暴れるがもう遅い。兵にがっしりと取り押さえられ抵抗も儘ならなかった。
「ふぅ…」
「お疲れ様ですユーコン様。この者たちは私たちが連行しますがユーコン様はどうされますか?」
「先に行け。私はもう少しここに残る。」
兵は敬礼をするとその場を去った。
安物のメズィの玉に照らされた薄暗い部屋を見渡す。部屋は床と机、衣装類が入っているだろう棚だけだ。既に犠牲者となったものたちのものは須べからずカラに変えられているだろう。なんとも質素な部屋だ。
ここはポットの町でも貧民が集う区画、中心部より更に南部下層だ。城都のように全ての区画に上下水が整えられていないこの町では町の中央を走る河川に汚物や下水も捨てられる。北部にある上層は程度の良い水質だが、下層に行くほど酷いものとなる。本来下水路として使うはずの柵外を伝う河川は勝手に居着いた者たちの区画を走っているから、そちらは尚酷い状態だ。
イ国一の鉱場のあるポットは出稼ぎで余所者が集まって大きくなった町だ。一攫千金を夢見て国内外から集まるも思うようにいかず、かといってそんな輩には帰る場所も無く仕方なく居着く。治安は悪化し、そういった者たち向けの商売が発展する。そんな商売でも最低限の決まりはあるものだが、中にはそれを逸脱してしまうものもいるのだ。
本来であれば犠牲となった者の自業自得、このような地ではさして問題ともされずに忘れられるだけだが、今回は違った。犠牲となった者の一人が下級とはいえ元貴族の文官だった。遺族から断罪を委任された執行官は国の基準に照らして罪を問う。身勝手を理由に一般の民が公人を殺せば極刑は免れない。
「へへへ、旦那上手く済みましたか?」
「ああ、問題ない。」
俺一人となった部屋に腰の低い男が入ってくる。その服装は薄汚れてはいるものの質は良い。この区画でも上手く生き抜いている輩の一人だ。
「カラは玉払いだ。この宿はお前が好きにしろ。宿主が戻ってくることはもうないからな。」
「ありがてぇ、毎度どうも。」
男はそういうとカラの玉を手に伸ばし、俺もカラの玉を突き合わせて少額を送金する。それを確認した男は再び「まいど。」とだけ口にして部屋を去っていた。
このような地で生き抜くには頭がなければ、使われるだけ使われて終わる。さっきの女も元は普通の娼婦館で使われる立場だった。さして贅を尽くしていた様子がないのを見るに結局は更に質の悪い者に使われる立場となっただけのようだ。少しばかり生き易くするために頭を使い行動した結果だろうが実力が中途半端では元より堕ちるだけだ。
先ほどの男のように目立たず、要の人脈を作り、眈々と窺い、上手いところだけをかっさらうのが正解だろう。
先ほど女が手を伸ばそうとした床の裏を調べる。そこには装飾の施された短剣が隠されていた。業物では無く大した物では無いが、このような場所には場違いな代物。貴族の文官程度が所持していそうなものだ。
空に還った公人も自らの足でこの場に来たのだろうから自業自得と言えばそうだ。お互いたまたま運が悪かった、それだけのことだった。
幾人を殺めて得られたものがたったこれだけか…
俺はそれを手に部屋を出た。
……
…
騎士の中でも執行官としての資格を有する者は限られる。各町は罪を犯した者を捕えても断罪する権利がない。そこで執行官が国内を周るのだが本来そのような役は俺の仕事ではない。アグニン様から勅命を受ける俺はあのチンチクリン関係の任を除けば国外の間諜や情報収集が主だ。だが戦後の今は違った。
城都こそさほどではないが、戦中戦後というのは治安が悪くなる。公人の目が届き難くなるだけでなく、こういう時こそ金になると他所者が集まるからだ。戦後はロ国から流れてきた者も混ざり、城都を除くとイ国で最も栄えるサーランとポットの町は目に見えて治安が悪化している。まだサーランは運輸の要として地方での自治を維持できているがポットは元から治安の良い町ではない。結果として、捕えられる者が増え、人手不足から俺まで駆り出されることになったのだ。
本来なら捕えられた者だけを裁けば良いものの、ネビスの口車に乗せられてこんな衛士がするような仕事までする羽目になった。
まぁ面白くとも何ともない旅だ。役柄、単独行動が多いから元からそんなものだったが、ここ暫くは面白いヤツと一緒だったから俺も贅沢になっちまったらしい。
そんなことを思いつつ、ネビスの待つ部屋に入る。
「おい、全て片づけてきたぞ。」
「あら、悪いわねぇ。助かったわ。」
側仕えが茶を用意しようとするの断る。長居するつもりはない。
「だいたい、お前が動かずも兵なり使えば済む話だろう。」
「残念ね、ウチにいる兵士たちはそんな器用なことできる柄じゃないの。解決するまでに死人が沢山でるわ。」
確かに最初、兵たちに情報収集しても全くツテすら持っていなかった。それどころか、下層区画に住まう民を全員捕えれば良いとか中には宿ごと焼き払えばいいなんてというヤツまで居たくらいだ。結果、情報屋を雇い、俺自身が囮役まですることになった。
町柄によるものか、軍部だけでなく衛士も含め練度は高くはない癖に、力づくな思考が多い。なのにこのネビスは意外にそんな兵たちの忠誠を集めている。一筋縄ではいかない曲者なのは変わらずだ。
「執行官の仕事はこれで終わりだ。次に来るヤツにまで同じようなことを期待するなよ?器用な奴らばかりじゃないんだ。」
「わかってるわよ。ユーコン坊だかお願いしたんじゃない。」
そして悲しいかなドニエプルのババァと同じくコイツとは昔馴染みでもある。やり難い相手だった。
「それでこの数日中変わりは無かったか?」
「そうねぇ、どこからか執行官が来ていると町に噂が流れたからいつもより平和ね。」
『どこかから』ね。特定されれば俺を狙う輩も出てくる…なんてのは気にもしていない様子だ。
「そういえば、鉄の遺跡に無断で進入して居着いてる輩がいるって報告があったわね。」
「おい…そういう問題は早く教えろ。それで追い払ったんだろうな?」
鉄の遺跡、何故か突然鉄が増える遺跡だ。それは鉄鉱石などではなく加工されたもの。その大きさと重量から運んでくることは不可能だし、どうしてそこにあるのかわからない不可解なことが多い遺跡だ。周辺は国の管理下として人が住むどころか許可なく周辺を通行することもを禁じている。
「それが、近づく前に姿を消してしまったらしいの。天幕どころか建屋みたいなものまで建てちゃってるらしくて強制退去も難しいって話。」
「おいおい、ここの兵は何やってんだ。どうせ価値がわからず噂だけ聞いて来た盗品目的だろうが…」
鉄の遺跡は朽ちてしまっているとはいえ、鉄が多くその場に残っている。噂を聞いてそれを持ち帰ろうとやって来る馬鹿もいるが、実際にそれを加工しようとしても鉄とは勝手が違うらしく再び加工することは難しい。溶解も難しいため需要は無く、それを知っている者は近づくことはない。
「どうせ城都への帰り道だ、様子を確認する。そいつらの特徴は?」
「遠くから見た様子では7~10人ほど居たらしいわ。全身黒づくめで顔も確認できなかったって。」
らしい、とか顔も確認できない、とかここの兵士は警邏すらまともにできないのかと問いただしたいところだったがネビスは俺の言いたいことが先にわかったのか言葉を続ける。
「近づく前に姿を消したらしいの。距離は約200メトーくらいで。一瞬目を離した隙に忽然と消えたらしいわ。徒歩で気配を殺してるにも関わらずよ。」
「…素人ってわけじゃなさそうだな。」
「それともう一つ、建屋自体も異様な姿で、鉄塊のように固いらしいわ。扉もどうやって開けばいいのかわからなかったとのことよ。それに周囲にこん棒のような物が置かれてあったらしいけれど、黒一色で金属か木なのかよくわからない素材でできてたらしいわ。」
「らしいってなんだ?接収したんじゃないのか?」
「それが何もないところで突然身体を何かに触られたりしたらしくて…気味が悪くなってそのまま撤退したらしいわ。そして帰隊したのが昨日よ。」
「なんだそれは…獣か鳥かだろうが、そんなことで情報物を置いて来たのかよ。」
「そうね…でもその兵が言うには獣ではなかったって、人の気配のようなものだったって言ってたわ。」
人の気配があるのに、姿が見えないか…確かに気味が悪い話だ。
「わかった。その件はこちらで確認する。そもそも遺物がまた増えたとは聞いていたから近々確認するつもりではいた。」
「助かるわ。これでこっちから城都に報告あげなくて済むもの。」
それが本音か…また俺は上手く使われたらしい。
「念のため遺跡まではウチの兵も付けるようにするわ。連絡役にでも使って。」
「それは自分への報告用だろう?別に構わないが足手まといになるようなら追い返すからな。」
「わかったわ。なるべく優秀なのを付けるわね。」
話は終わり、自室に戻ろうと席を立つ。これ以上この場に残ると何個仕事を増やされるかわかったものじゃない。扉に歩みを進めると先ほどより少し大きめの声で背中越しに声を掛けられる。俺は無視するつもりで扉へと足を進めた。
「あと城都から流れてきた話だと近々ハ国へ使節団を送ることになったらしいわ。使節団の面子はウィリュイと議員が数名…あと王子様の妃候補だそうよ。」
「な、なに?」
俺は足を止めてネビスに振り向く。するとヤツはニヤニヤとした表情でこちらを眺めていた。
「なぁに?気になるの?なんでもロ国戦以降なるべく会わないようにしてるらしいじゃない?あの子がニメレン坊やの妃候補になったから気にしてるの?」
「…そんなガセ情報どこから得た話だ。そんなことよりも何故アイツがハ国に行くことになったんだ?もう公役には就いていないだろう。」
「外交官役としてだそうよ。なんでもハ国からのご指名らしいわ。」
ハ国の姫さんか…そういえば来国の時に親しくなったと聞いた。まったく本当に色々巻き込まれるヤツだ。
「あの子も出会った時に比べ本当に立場が変わっちゃったものね。でもハ国に行くなら途中でこの町にも立ち寄ると思うわよ?」
「俺には関係のないことだ。明日の朝にここを発つ。それまでに兵とウマを用意しておけ。」
「はぁーい」とネビスのふざけた応答を背に今度こそ扉を開き部屋を出る。
ハ国へ使節団として赴くなら往復と滞在を考えると一月くらいはかかる。
元々ポットに来る前にヴォルガにアイツの家に誘われたが断った。別に誰かに指摘された訳でも無いがニメレン様の手前や周囲の目を考えると今まで通りというわけにもいかないだろう。
そもそもアイツの距離感がオカシイだけなのだが、周りに変に気取られると面倒事だ。それを言って聞かせて素直に聞くタマでもないのは知っている。アイツと居ると飽きはしないが今は会わないで済むならそれに越したことはないだろう。
ただでさえ親父が帰って来たせいで立場が怪しいってのに、これ以上面倒事は増やしたくはないのだ。
暫くはユーコン視点のお話です。




