第八十七話・野外行軍演習の悪魔①
山頂付近に到着したアレックス達は、周囲をうっすらと覆う瘴気の靄の中を進んでいた。
「もうすぐ山頂ですね。更に瘴気が濃くなっているのが分かります」
アレックスの合流した先生達調査隊一行の先頭を行く先生が、後ろを振り返ってアレックス達に声をかけてくる。
その先生の言葉に、ガーンズバック先生は険しい顔で頷いた。
「そうですね。瘴気が目で見てはっきり分かるほど濃くなっています。やはり、山頂にこの異変の元凶である魔族がいるという事でしょうな」
ガーンズバック先生の予想に、その場にいる全員が頷いた。
やがて、一行は山頂へと辿り着いた。
この山の山頂は、広々とした広場の様な空き地が広がった空間になっている。
今は、その山頂の広場の中心に一本の細い樹木の様なものが立っていた。
「ここが山頂ですか。あそこに見えるのが、この異変の元凶ですね」
山頂に辿り着き、その現状を見たアレックスは確認する様にガーンズバック先生達に語り掛けた。
本来の野外行軍演習であれば、この場所は野外行軍演習に参加した生徒の内成績上位半分のパーティが目標とする地点だった。
野外行軍演習では、参加生徒の内成績上位の半数が二日間かけてこの山の山頂を経由して山の反対側へと抜ける登山ルートを、成績下位の半数が同じく二日間かけて山麓を回り込む迂回ルートを進むことになっていた。
そうして山を越えた地点で登山組と迂回組が合流し、そこから四日間かけて再び王都セントラルへと帰還する。
その往復十日間の道程を歩むのが本来の野外行軍演習の日程だった。
今回の異変が無ければ、アレックス達のパーティも登山組の一員として五日目の夕方までには山頂に登頂するはずだった。
そうして山頂で一泊夜営を行い、六日目に出発地点の山向こうの地点を目指して下山する予定だったのだ。
今回は緊急事態であり、野外行軍演習とは違って予め先生達が確認していた登山ルートを利用しての強行軍で山頂まで登頂している。
「本来なら、この山頂には何もないはずなんだ。それが、山頂の広場の中心にあんなものが生えている。間違いなく、あれがこの異変の元凶だろう」
山頂の広場の端に立った先生が、アレックスの言葉に同意する。
一行の視線は、山頂の広場の中心に出現した魔族と思しき存在に注がれている。
広場は、野外行軍演習で登山する生徒達五十人余りが一泊する夜営地として十分な広さがある。
その中心に立つそれは、一見すると真っ直ぐ生える一本の樹木の様にも見える。
細く高い幹にか細く茂った枝葉を広げ、それに対してその根は太く立派で四方にその根を広げているように見える。
ただ、それが普通の樹木とは明らかに違う点があるとすれば、その色だ。
普通の樹木であれば青々と茂った枝葉を広げて見える所であろうが、それは全てが真っ黒だった。
細く高く伸びる幹や不釣り合いに太い地を這う根だけでなく、葉の様に見えるものも全てが黒い。
日は天高く昇り、晴れ渡った空には雲一つないにもかかわらず、瘴気に満ちた山頂はうっすらと黒い瘴気の靄に包まれ、山頂広場の中心に立つそれはその瘴気に陰った日の光すら飲み込んでしまっているかのように黒く、じっと見ているとそこだけ空間が黒くすっぽりと切り取られたかのような錯覚さえ起きる。
「さて、こうしてここでじっとしていても始まらない。いずれにせよ、あれはここで討伐するのだ。皆、準備は良いな?」
ガーンズバック先生が一行の顔を見渡して確認の声をかける。
一同は、ガーンズバック先生の視線に頷いて答える。
広場の中央に鎮座する魔族に動きはない。
魔族であろう事以外その正体は不明だが、ここまできて引き返すという選択肢はない。
相手の出方は分からないが、一行には広場に突入するという選択以外に選択肢はないのだ。
「ガーンズバック先生、やはり直接叩くのですか?こうして見た所、あれは動けるもののようには見えません。ならば、瘴気の発生源に近付く様な危険は避けて、長距離から魔術で狙い撃つのではだめなのでしょうか?」
先生の一人がガーンズバック先生に意見を述べる。
その言葉に、ガーンズバック先生はランペイジ先生の方を見て目線で説明を促した。
ガーンズバック先生の意を受けて、ランペイジ先生が頷くと口を開いた。
「武術の先生だと、魔術の事は不案内だという事は分かります。……ですから、結論から先に申し上げますわ。ここからの攻撃魔術では、あれを倒すのは不可能です」
「なぜです?」
ランペイジ先生の言葉に、武術担当のその先生が説明を求める。
ランペイジ先生は、自分と同じ魔術担当の先生二人と目線を交わす。
ランペイジ先生の視線に、魔術担当の先生二人は首を横に振る。
それを見たランペイジ先生は、疑問を投げかけてきた武術担当の先生に向き直ると口を開いた。
「あれはここから見てもかなりの大きさです。相手が魔族という事を考えると、相応の耐久力があると見るべきでしょうね。それだけの相手を倒すとなると、相当の威力を持った魔術を行使する必要があります」
そう言ったランペイジ先生は、その視線を件の魔族に移す。
「ですが、ここからでは相手までの距離がありすぎます。ここからあそこまで魔術を飛ばそうと思ったら、射程距離を増強する必要がありますね。ですが、それでは魔術の威力を増強する事が出来ません。そうなると、魔族を倒せるだけの威力を発揮できるかどうか……」
ランペイジ先生が言い淀むと、その先生はランペイジ先生に意見を返す。
「一撃で駄目なら、何度でも攻撃すれば良いのではないですか。何も自ら危険を冒す様な事をせずとも……」
先生が言い終わる前に、ガーンズバック先生が片手を上げてそれを遮る。
「余計な危険を負うべきではないというお考えは良く分かります。ですが、魔族を遠巻きにして攻撃を加えたとして、相手がそれに反撃してこないとは限りません。状況が動いた時、魔族と距離を取っていたのでは対処できない可能性もあります」
そう言って、ガーンズバック先生はその場の全員を見渡す。
「それに、そもそも我々は戦力となるべくここにいるのです。魔術担当の先生方にだけ負担を強いるというわけにはいきますまい。何より、我々が前に出て前線を形成する事で、後ろに控える魔術担当の先生方も十全に働けるというものです」
ガーンズバック先生の言葉に、意見をした先生も渋々と納得した様に口をつぐむ。
それを見たランペイジ先生は、ガーンズバック先生に声をかける。
「それでは、ガーンズバック先生、打ち合わせ通りに……」
ランペイジ先生の言葉に、ガーンズバック先生は改めて頷く。
「分かりました。前衛としての務めはお任せください。その分、後方からの援護に期待させていただく」
ランペイジ先生に言葉を返したガーンズバック先生は、今度はアレックスに向き直る。
「この戦いでは、スプリングフィールド君の瘴気を浄化する神聖術が鍵になる。頼んだぞ」
ガーンズバック先生の言葉に、アレックスはしっかりと頷いて見せる。
「はい、ガーンズバック先生。……それでは、皆さんに瘴気から身を守るための神聖術を行使します。先生方、どうぞこちらへ」
アレックスは先生達を一列に並べてその前に立つ。
そうして一つ深呼吸をすると、祈りの言葉を口ずさむ。
「法と秩序の神フェルネスよ。この世を蝕む穢れから我らの身を守り給え。邪な気を打ち払い清浄なる息吹きで我らの身を満たし給え。神聖術、瘴気浄化」
アレックスの祈りの言葉に応えて、聖なる力がアレックス達一行の身を包み込む。
その淡く清らかな光が体を包むと、アレックス達の体を蝕もうとする瘴気が浄化されて体が軽くなる様な感覚が感じられた。
アレックスは神聖術がその効果を十分に発揮している事を確かめると、ガーンズバック先生達に向けて頷いた。
「神聖術による瘴気の浄化作用は、長続きするものではありません。効果が持続している間に仕掛けましょう」
ガーンズバック先生も、アレックスの言葉に頷く。
そうして自らの得物の斧を構えなおすと、先生達に声をかける。
「よし、仕掛けるぞ!」
ガーンズバック先生の号令で、一行は広場の中央に鎮座する魔族に向けて走り始める。
そうして、アレックス達が広場の中ほどまで進み出た所で、目標である魔族に動きがあった。
漆黒の枝葉がサラサラと葉擦れの音を立てるその様は、その正体を知らずに見れば本物の樹木の様である。
それまで動きの無かった魔族の反応に、一行の間に緊張が走る。
その時、アレックスは足元の地面がわずかに振動する事に気が付いた。
次の瞬間、地面が爆発したかのように弾け、まるで木の根の様な太く歪な黒い何かが地面を突き破ってアレックス達に襲い掛かってきたのだった。




