覚醒
広場の外れに停めてあった馬車で、私たちはいったん学園の寮に戻った。
ジルは見納めになる王都を一回りしてから帰郷するつもりだったらしい。
その途中で私を見つけたというわけだ。
そんな感傷的なことをするのね、とちょっと意外だった。
寮で荷物をまとめるのはすぐに終わった。
なにしろ庶民の貧乏生活だ。
大したものはない。
汚れてしまったドレスを詰めても、大きめのバッグ一つに収まってしまった。
一張羅の制服に着替えて部屋を出る。
長年過ごした場所だけど、残念ながらなんの感慨も湧かなかった。
こうして私は十七年住み続けた王都を後にしたのだった。
隣国ロミア王国にあるジルの実家までは馬車で約一週間だそうだ。
途中、宿に泊まりながら街道を行く。
宿は当然というかなんというか、私とジルはべつの部屋だった。
一方馬車ではずっと私とジルは二人きりだったのだけど、気まずいということはなかった。
魔法の理論について、延々とおしゃべりしていたので……。
ちなみに、エルテシア王国とロミア王国は友好的な関係だ――エルテシアのほうが圧倒的に領土も国力も上だけど。
そのため両者を結ぶ街道はきちんと整備されていて走りやすく、危険も少ない。
――はずだったんだけど。
国境付近の山道を走っていたときだ。
突然馬車が大きく揺れたかと思うと、一気に横倒しになった。
「アリシアっ!」
ジルがとっさに私を抱きしめ衝撃からかばってくれた。
その制服の上からだとわかりにくい意外とがっしりした体格や、私よりだいぶ高い体温にドキドキしてしまうけど、すぐにそれどころではないと思い直す。
上向きになった扉をなんとか開いて、私とジルは馬車の外に出る。
「も、申し訳ありません、ジル様……お逃げください」
御者さんが怪我をして倒れている。
馬は逃げてしまったみたいだ。
彼の元に駆け寄ろうとしたけど、それはできなかった。
巨大な魔物が私たちの前に立ちはだかったから。
まるで地面から吹き出した闇が固まったような漆黒の姿。
その見た目は狼に似ているけど、それよりもずっと大きい。
「あ……」
私は恐怖で頭が真っ白になってしまった。
魔物の存在は学園の授業で習っただけだ。
実物を見るのは初めてだった。
一定量の瘴気が集まると魔物になる。
そんな知識があったところでどうにもならなかった。
ゆらゆらと揺れる闇。
意思の疎通を拒絶する濁った目。
鋭い爪や牙。
圧倒的な現実感を伴う恐怖が、私の思考と行動を奪ってしまった。
「グルルルルル!」
魔物が唸り声を上げて飛びかかってきた。
だめ、動けない……。
このままじゃ、殺される……!?
「危ないっ」
ジルが私を突き飛ばした。
そして鞘から抜き放ちざま剣で魔物を一刀両断に斬り払う。
魔物は黒い霧のように森の空気の中に散って消えた。
すごい!
瘴気でできた魔物は魔力でしか倒せない。
ジルは今の一瞬で、剣に魔力をまとわせて攻撃したのだ。
もう実戦で魔力を自在に扱うことができるなんて。
私とは大違いだ。
「ジル、ありが――」
「くっ……」
「ジル!?」
うめき声をあげ倒れるジルに、慌てて駆け寄る。
さぁ……と血の気が引いた。
ジルの胸元が大きく切り裂かれていて、制服が血で真っ赤に染まっている。
うそ、でしょ……?
「くそっ……ミスった、な……」
「ジル! しっかりして、ジル!」
ジルの顔色が急速に悪くなっていく。
さっきはあんなに暖かいと感じた体温が、どんどん下がっていく。
うそ……うそ、どうして、こんな。
やだ、なんで……やだよ!
私は学園で習った治癒魔法の術式を唱える。
けれど魔法は発動しない。
治癒魔法は聖魔法に属する。
聖魔法は聖なる精霊の加護があって初めて使える魔法だ。
そして聖なる精霊は聖女にしか宿らない。
きっと今ごろ、王都でクリスティナが……。
「……なんで!」
そのとき、私は初めて悔しいと思った。
なんで私が聖女じゃないの?
なんで彼女が私の努力を踏み躙ったの?
もし聖女選定が公正に行われて、私が聖女になっていれば……。
今ジルを救うことができたのに!
「なんで……なんで! どうしてよ!」
もう自分にはなにも残ってないと思った。
聖女の夢も卒業資格も奪われて、これまでの努力をなかったことにされて。
誰も私のことなんか認めてくれないって。
けど、ジルだけは見てくれていた。
――アリシアは聖女になりたくてずっと頑張ってたじゃないか。
――不正なんて絶対しないやつだし、学園でトップだってことも間違いない。
世界でただ一人、彼だけはそう言ってくれたんだ。
なのに、どうして。
嫌だ、嫌だよ……!
『彼を、助けたいの?』
不意に声が聞こえた。
無邪気な子供のような声だ。
それが誰の声なのか。
どこから聞こえてきたのか。
そんなことをなにも考えることなく、私は答える。
「助けたい……! お願い……」
『わかった。じゃあ君に力を貸してあげる!』
声が弾むように言ったかと思うと――。
私の中から力が溢れ出るような感覚が生まれた。
な、なに!?
『もう一度、術式を唱えて』
「わ、わかった」
声に言われるままに治癒魔法の術式を口にする。
「……!?」
私の周囲にすごい勢いで魔力が広がっていく。
魔力はキラキラと輝く白い光となって降り注ぐ。
「え、なんだ……?」
驚いた。
ジルの傷がすっかりふさがって完治していた。
あんなに蒼白だった顔色は元に戻り、身体も暖かさを取り戻す。
「アリシア? お前が……治してくれたのか……?」
なにが起きたのかわからないといった様子で聞いてくるジル。
そんな彼に答えを返す余裕もなく、私は彼に抱きついていた。
よかった、本当に……。
今日は夜にもう一回更新予定です。




