1_09 悪夢とパンケーキ
シェイディアン編本編完結に伴い毎日更新に切り替えます。
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深い闇の底から、けたたましいエラー音が響くような悪夢だった。 ぐにゃりと歪むコードの群れ、押し寄せる無数の真っ赤な「Forbidden」の文字。息ができない。冷たいコンクリートの上に放り出されたような恐怖に、千春はガバッと上半身を起こした。
「はぁ、はぁっ……!」
荒い息を吐き出しながら、冷や汗に濡れた額を右手で乱暴に拭う。 目を開けても、そこにあるのは変わらない絶対の暗闇だ。一週間の視覚消失――その現実が、脳の覚醒と共に重くのしかかる。
「千春!」
扉が激しい音を立てて開いた。 足音すらないほどの勢いで飛び込んできたのは、乱れた銀髪を揺らすヴォルフだった。その金色の瞳には、ただ事ではない焦りと、深い心配の色が張り付いている。
「……うっせぇなぁ、急に大声出すなよ」
「悪夢か? 叫び声が聞こえたぞ。怪我はないか、どこか痛むのか!?」
心配のあまり、ヴォルフが千春の肩へと真っ直ぐに手を伸ばす。 ――その指先が触れようとした瞬間、千春は反射的に体を強ばらせ、カシャリと義手の金具を鳴らした。
「うっせ、触んな、寝直す。あー、甘いもん食いてー……」
突き放すような、けれどどこか気だるげなその言葉に、ヴォルフはピタリと動きを止めた。 一瞬前まで冷や汗を流してうなされていた人間が、秒速で「甘味欲求」にシフトしたことに、過保護な領主様は盛大な肩透かしを食らったような顔をする。
「……甘いもの、だと?」
「あぁ、そうだよ。脳ミソが糖分を欲してんだよ。こんな暗闇の中で拷問みたいなデバッグさせられてんだ、そのくらいの権利はあるだろ」
ふん、と、ふてぶてしく布団にもぐり込もうとする千春に向かって、ヴォルフは真面目すぎる顔のまま、少しだけ思案するようにあごに手を当てた。
「ふむ……。朝食は、ポタージュとパンケーキ、どちらがいい」
「……は?」
千春は止まっていた動きを再び止め、暗闇の中で方向違いに首を傾げた。
「え? パンケーキとかあんの!?」
「あるぞ。我が領の料理人は腕がいい。千春が糖分を欲しているなら、最高のやつを作らせよう。待っていろ」
そう言うと、ヴォルフは頼もしい足取りで部屋を飛び出していった。
「……マジか。この極寒の常冬の地でパンケーキとか、意外とハイテクだなこの城……」
ポツリと呟きながら、千春がまだ重い頭を抱えていると、それからしばらくして、上品なノックの音とともに老執事が部屋に入ってきた。
「失礼いたします、千春様。朝食をお持ちしました」
セバスが銀のトレイを置いていく。ふわりと漂ってきたのは、香ばしい小麦と豊かなバターの、鼻腔をくすぐるたまらない香りだった。 一口大にきれいに切り分けられたパンケーキの山。その上に、とろりと黄金色のバターが溶け出している。
「待たせたな、千春」
ヴォルフが戻ってくると、当然のように皿とフォーク、そしてスプーンを手に取り、千春のベッドの縁に腰掛けた。
「ほら、口を空けろ」
「……いや、自分で食えるし」
「いいから」
「だからな……!」
反論を許さない気迫に押され、千春が渋々口を開けた瞬間、一口大のパンケーキがすっと差し込まれた。「ん……っ!」
もぐもぐと咀嚼した瞬間、千春の目の端に、視覚がないにもかかわらず思わず星が散るような衝撃が走った。
「あー、うっま、なんっだこれ、バターすげー……! あー、練乳ほしーーー!」
一口食べてすっかりテンションの上がった千春が、ベッドの上で身を乗り出す。
「練乳が何か分からんが、ミルクシロップならあるぞ。かけるか?」
「これでもかってほどかけろ!」
「……心得た。セバス、聞こえたな。瓶ごと持ってこい」
「かしこまりました」
呆れたように、しかしどこか嬉しそうなヴォルフの声を聞きながら、千春は甘い香りの漂う空間で、久々に「社畜の癒やし」を全身で満喫するのだった。
◆◆
「はー、もうくえねー、腹いっぱい。まだ残ってたら後で食っていい?」
「そんなに食べていないではないか。子どもの量だぞ」
千春に手ずから食べさせていたヴォルフは千春の食べなさっぷりに眉をしかめる。
「うっせ、デスマ明けの胃をなめんな」
「こちらは保管魔術をかけておきます。お好きな時にお食べください」
セバスは皿を受け取り千春が食べ残した皿の上のパンケーキにキラキラと魔術をかけていく。
ベッドの上で朝食を好きなだけ食べた千春は、そのままベッドの上に仰向けに横たわった。ヴォルフが徹夜で作り上げてくれた左腕用のスタビライザー義手のおかげで肩が横にも動かせるようになり、千春は異世界に来て初めて、両手足をめいっぱい伸ばして大の字で寝るという贅沢を経験していた。
「千春様、食後のカフェラはいかが致しますか」
老執事セバスの静かな問いかけに、千春は即座に反応する。
「いる! ブラックで!」
「またお前はそんな胃に荒っぽい飲み方を……! セバス、羊乳を入れろ」
「お砂糖は……」
「いらん! ブラックがいいって言ってんだろ!」
「せめて羊乳だけでも入れろ、胃が溶けるぞ!」
セバスはやれやれと優雅に眉を下げ、言い合う二人を尻目に手際よくカフェラの準備に取り掛かった。
結局、ヴォルフの説得を押し切って「砂糖なし・ブラック(ただし羊乳は渋々許可)」のカフェラを勝ち取った千春は、カップを受け取ると、見えていないのにいつもの癖でベッドの上を探すように頭をあちこちへ動かす。
そのどこか危っかしい様子を見て、ヴォルフは「ちょっとまて」と低く声をかけた。
「あ?」
千春が不機嫌そうに声を低く返すが、その唇に、コツリと硬質な何かが押し当てられ、そのまま何かを咥えさせられた。
「吸ってみろ」
ヴォルフの命令ともつかない言葉に、千春は反射的にすぅーっと息を吸い込む。
「……ッ!! からっ! ひっや! メンソールつっよ……! でもウメェ! なんだこれ、苺の味がする!!」
「気に入ったか。お前のあの白いスティックを真似て、我が領の技術で作らせてもらった」
ヴォルフは満足そうに鼻を鳴らすと、続けて語った。
「その代わり、お前が持っていたあの白いスティックを一本分解させてもらったが――代わりに、大量のこの『魔鉱タバコ』のスティックを作ってある。イチゴの果汁を濃いめに抽出して、蒸気の香り付けに使ってある。タバコ特有の依存成分もちゃんと入っているからな」
魔鉱機関の技術を応用し、煙や毒素の一切出ない安全設計でありながら、電子タバコとしての吸い応えは完全に再現されている。
「嫌な煙や毒素が出ないだけで、中身はあのタバコと変わらん。魔鉱機関の改良と、あの列車の一件の礼だ。遠慮せず受け取れ」
目が見えない暗闇の中、メンソールの強烈な爽快感と甘酸っぱい苺の香りが脳を突き抜けていく。
不機嫌だったはずの千春の口元が、わずかに緩んだ。
「……やるじゃねぇか、クソガキ」
「気に入ったようで何よりだ」
呆れたような、しかしどこか誇らしげなヴォルフの声音を背に聞きながら、千春は甘い香りと冷たい清涼感に包まれて、つかの間の社畜の休息を噛みしめるのだった。
「セバス、カフェラごっそさん、カップ返す…」
カフェラを飲みきった千春はカップを差し出そうとするが暗闇の視界でセバスがどこにいるのかわからず見当違いの方にカップを差し出す。
「はい、お受け取りします」
それをセバスが受け取り、ワゴンに置く。
「おいヴォルフ、さっきのタバコよこせ」
「よこせも何もお前のものだ」
ヴォルフは千春の右手に魔鉱タバコを持たせてやる。千春はベッドの上に胡座をかき魔鉱タバコの本体をベッドの上に置く。そして右手の指先でなぞるように形を確かめる。
「ずいぶん細身だな、飾りまでつけてんのか。ここがスティックを入れる部分で、加熱スイッチどこだ…充電は…」
ブツブツ言いながら仕様を確かめる千春を見てヴォルフは少し口元を緩めた。
「タバコを入れたら自動で加熱が始まる。少しの魔力で動くからお前の場合持っているだけで使えるはずだ」
ヴォルフが作った魔鉱タバコは少し太めのペンほどの太さで深い青色をしており金と銀の上品な装飾が施してある。たばこスティックを指す部分は白の魔鉱石に穴が開けてありスティックを挿すと、今の千春には見えないが薄っすらと青白く発光する。
「充電いらねーって便利じゃねーか。スティックは?」
「必要になったら声をかけろ」
「…は?おれ一人のときはどーすんだよ」
ヴォルフの言葉に千春は眉をしかめる。声のする方に顔を向ける、おそらくこっちだろう、というくらいだが。
「一人にはならん」
「何言ってる?」
「私も今日からここで仕事をするからな。お前の管理も私の仕事だ。なにか必要ならいつでも声をかけろ」
「…はいいい?ふっざけんなクソガキ!プライベートって言葉を知らんのか!俺だって一人になりてぇ時間くらいあるわ!」
千春はヴォルフの言葉に声を荒げる。
ヴォルフはなにかおかしなことを言ったか?という顔でセバスに向き直り
「なにか不都合があるか?」
「いえ、ございません。至急の要件がございましたらこちらにお伺いします。テーブルをご用意いたします」
「うむ。問題ないな」
淡々と話しを進めていく二人に千春は目を吊り上げる。
「問題大ありだわ!出てけ!勝手に話進めんな!」
千春は話を進める二人に詰め寄ろうとしてベッドの上を右腕だけの四つん這いで声がする方へと移動する。そしてベッドの縁までたどり着いてそのまま手をすべらせた。
「…っ!」
「おい!」
とっさにヴォルフが千春を抱きとめて事なきを得たが危うく顔から床に落ちるところだった。
「お前のほうが問題大有りではないか。こんな状態で一人にさせられると思うか」
「…くっそがぁ…おいこらクソヘビ!この視界エラーいつまで続くんだよ!」
『キシシシ…お主流に言うのであれば、落ちたサーバーが復旧するまでだなぁ』
千春の首元で楽しげに頭を擡げるダクネスが笑う。
「復旧目処未定メンテナンスとかクソじゃねーか!このままサ終するんじゃねーだろーな!」
声を荒げる千春にダクネスは笑う
『案ずるな、ちゃんと復旧はするさ…キシシシ』
「笑い事じゃねぇんだよ、クソヘビ……!」
ベッドの縁でヴォルフに抱き止められたまま、千春は忌々しげに舌打ちした。目が見えないというだけで、思考の処理速度がいつもより数段落ちるようなストレスが右脳を直撃する。
「お前は少しじっとしていろ。これ以上動かれては、こちらの心臓が持たん」
「誰がじっとしてられるか。こんな暗闇の中で、いついつまでもニートみたいな全介護生活を送らされてみろ、こっちは精神のメモリがオーバーフローして死ぬわ!」
「ニートがどういう意味かは分からんが、死なせはしないと言っているだろう」
ヴォルフは呆れたように息をつくと、千春をそのままベッドの上に押し戻した。 視界が闇に閉ざされているとはいえ、すぐ近くにヴォルフの気配がある。息遣いまで聞こえそうな距離にいることが、どうにもプライドを刺激して居心地が悪い。
「……で、本当にここで仕事すんのかよ、お前」
「当然だ。第一魔鉱機関の最適化で、我が領の魔力効率は劇的に跳ね上がった。その浮いた魔力をどこに割り振るか、各地区の技師長たちから提出された仕様書——いや、報告書の山がな、いま私の執務室の机を占領している」
ヴォルフは言いながら、部屋の隅に用意された新しいデスクへと歩み寄った。
セバスがいつの間に用意したのか、そこには大量の羊皮紙と、複雑な魔導回路の図面が山積みにされているらしい。紙がカサリと擦れる音が微かに聞こえる。
「俺の部屋を勝手に臨時のデバッグルームにすんな……」
「お前の部屋ではなく、我が領の最高戦略室兼、お前の監禁――いや、療養ルームだ」
「今、思いっきり『監禁』って言いかけただろ! 聞こえてっぞ!」
「気のせいだ。……さて、セバス」
「はい、ヴォルフ様」
「この部屋の温度は適正か? 千春が冷えぬよう、暖炉の魔鉱石の出力を少し上げろ」
「かしこまりました。すぐに」
「待て、暑いわ! 焼鳥にでもする気か、これ以上室温上げたら溶けるわ!」
「贅沢を言うな。お前は少しでも気を抜くと体温が氷点下まで下がりそうになるのだ」
相変わらずの過保護っぷりに、千春は頭を抱えたくなる衝動を抑え、右手で魔鉱タバコを掴み、口元へと運んだ。 カチリと青い光を放ち、苺の香りと強烈なメンソールが喉の奥を駆け抜ける。 そのスーッとする清涼感のおかげで、イライラしていた頭の回転が少しだけ冷やされるのを感じた。
「……はぁ。で、その山積みの報告書の中に、またどっかのバカが組んだスパゲッティコードでも混じってんのかよ」
「……よく分かったな。まさにその通りだ」
ヴォルフの声音に、一瞬だけ疲労の色が混じった。
「南東の第3採掘場から上がってきた魔導クレーンの制御回路だ。お前が直してくれた機関の効率化に引っ張られて、そちらの同期ズレを起こしているらしい。動かなくはないが、動作のたびに無駄な魔力ロスが発生していてな……お前なら、一目見ただけで原因が分かるか?」
「……見えねぇよ! こっちは今、エラーコードすら読めない状態なんだぞ!」
「そうだったな」
ヴォルフはふっとかすかに笑うと、足音を立てて千春のベッドの脇に戻ってきた。
そして、千春の右手をそっと取り、何かの「金属板」のようなものにその指先を触れさせる。
「なんだこれ」
「第3採掘場クレーンの、魔導回路の設計図を薄い真鍮板に刻ませたものだ。お前がいつもやっているように、指先の触覚で回路の構造を読めないかと思ってな」
千春の指先が、冷たい金属板の上を滑る。
凸凹に刻まれた無数の線。それは魔導回路であり、彼らの世界でいうところの「基板パターン」そのものだった。
「……っ」
視覚がなく、指先の神経が研ぎ澄まされる。
線の交わり方、分岐の角度、そしてループしている無駄な抵抗の配置。
触れているだけで、頭の中にその回路の立体的な「歪み」が嫌でも浮かび上がってきた。
千春は思いっきり眉を、いや顔ごと顰める。
「……うわ、まじで言ってんのかこれ。作った奴、脳みそまでスパゲッティかよ」
「ほう、分かるか?」
「当たり前だろ。この分岐、ここで条件分岐を挟む意味がゼロなんだよ。直列で繋げば一瞬で終わる処理を、わざわざ並列にして、しかもご丁寧に戻り値の処理を忘れてやがる。これじゃあ負荷がかかった瞬間にスタックしてフリーズするに決まってんだろ」
千春は不機嫌そうに舌打ちをしながらも、右手の指先でその真鍮板の「不要な突起」をコンコンと軽く叩いた。
その指の動きには、長年デスマを潜り抜けてきたプログラマーとしての容赦のない冷徹さが宿っている。「……流石だな。では、どう直せばいい」
「お膳立てくらいしてやるよ。まずはこことここを削除、次にこれを切ってこっちとつなげて」
「ちょっとまて!」
千春が基盤の上で指先をすべらせ始めると、ヴォルフはすぐに手元の羊皮紙とペンを千春の右手へと握らせた。
千春は先ほど指先で頭に叩き込んだ無駄な陣形を最適化して頭の中で描き、慎重に羊皮紙とペンの距離を図りながら思い描いた陣形を描いていく。
「しゃーねーな、ペン書きは慣れてねーぞ。いいか、よく聞け。基盤のここ……ここをこう削って、このループの端と端をショートカットさせる。するとこうなる、で、このクソみたいな無駄な待機時間は丸ごとコメントアウト――いや、物理的に削ぎ落とせ」
基盤を指さしながら同時に羊皮紙をシャッ、シャッ、と、ペンで削っていく。慣れていないと言いながら基盤を指さす時、羊皮紙にペンで書く時双方の手の使い分け方が早すぎてやはり右腕一本で生きてきたのだなと実感させる。それだけ千春の右手は人の数倍器用に動く。
視界は暗闇のままだというのに、千春の描く回路図は驚くほど迷いがなく、完璧なまでの合理性と美しさを伴っていた。数分後。千春はふぅっと息を吐き出し、ペンを放り投げた。
「……ほら、これで文句ねぇだろ。明日でも明後日でもいいから、現地の技術者にこの通りに組み直させろ。二度とフリーズしなくなるからよ」
ヴォルフは差し出された羊皮紙を受け取り、その回路図をじっと見つめた。
その金色の瞳に、深い感嘆と、隠しきれないほどの敬愛の色が浮かぶ。
無駄なものが一切削ぎ落とされ、それでいて圧倒的な処理速度と安定性を誇る、美しすぎる魔導回路の設計図。
「……お前という人間は、本当に……」
「んだよ。文句あるならもっと甘いもん追加しろ。この視界バグのせいかすげぇ頭に糖分持ってかれんだよ、腹減ってねぇのに甘いもんがほしくなるわ、胃がやられる」
「……ああ、承知した。きっと気に入るものを用意できるはずだ」
「ほーん?じゃあ話は早い。……さっさと仕事終わらせて、その自信確かめさせてもらおうか」
「……いいだろう」
呆れたような、だがどこか嬉しそうなヴォルフの笑い声を背に聞きながら、千春は再び魔鉱タバコを吸い込み、暗闇の中でふてぶてしくふんぞりかえるのだった。




