1_08 闇の中で
シェイディアン編本編完結に伴い毎日更新に切り替えます。
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領主館に着くとセバスとマーサが出迎えてくれた。
「まぁまぁ坊っちゃん、こんなに遅くまでお疲れ様でした。伺いましたよ、列車事故のこと」
「…ふ、坊っちゃんて」
「黙れ、マーサ、あれほど坊っちゃんと呼ぶなと」
この老メイドには頭が上がらないらしい。
「なんだよ、照れんなよ坊っちゃん」
「うるさいぞ。マーサ、風呂は」
「準備できておりますよ」
「よし、着替えを用意しておけ。千春、行くぞ」
馬車を降りてすぐ、ヴォルフに抱えられたまま邸に連れ込まれた千春は、有無を言わせずそのまま浴室へと直行させられた。
「おい、待てクソガキ! 自分で……!」
「自分で動けるか。転んで頭でも打ってみろ、ただでさえ足りない脳ミソが潰れるぞ」
「うるせぇよ、脳ミソは詰まってらボケ!」
文句を垂れる千春のコートや、ぶかぶかのロングジャケットを、ヴォルフは容赦なく一枚ずつ剥ぎ取っていく。最後に残った薄手のタンクトップとズボンに手をかけた時、ヴォルフの手がぴたりと止まった。
「……っ」
脱衣所の明かりに照らされた千春の身体を見て、ヴォルフは絶句した。 服の上からでも細いとは思っていたが、いざ直視したそれは――想像を絶する光景だった。
肋骨の浮き出た胸元、紙細工のように頼りない鎖骨、そして筋肉のついていない骨盤のライン。普通の女性の平均よりは高いという身長に対して、肉の厚みというものが文字通り一切ない。まるであばら骨の浮き出た標本か、飢餓に苦しんだ小動物のようだ。 そして何より、右腕の筋肉と比べて、左腕はホルダーに隠れていたせいか、驚くほど萎縮しきっていた。
「……なんだ、これ……」
絶句し、微かに震えるヴォルフの声に、千春は不機嫌に顔をしかめる。
「んだよ、人の裸ジロジロ見んな変態ガキ。早く湯船にぶち込め」
「変態ではない……! お前、なんだこの身体は……!」
ヴォルフは怒りというよりも、底知れぬ恐怖と冷たい戦慄を覚えていた。 生きてきた環境が違うとはいえ、これほどまでに自らの肉体を削ぎ落とし、生命維持の最低限すら無視して生き延びてきた人間に、これまで出会ったことがない。
「デスマ期はまともに寝ねぇし食えねぇんだよ! 知らねぇのかよブラック企業の恐ろしさを!」
「そんなもの知るか……! 冗談抜きで、お前、少し強い風が吹けばそのまま骨ごと折れて消え失せそうではないか……!」
「折れねぇよ、これでもしぶとく44年生き延びてんだよ!」
激昂しながらも、ヴォルフは自分のジャケットを脱ぎ捨てると、その冷え切った華奢な身体をそっと包み込むように抱き上げ、大きな湯船へとゆっくり沈めた。
「……っ、あったけぇ……」
「当たり前だ。しっかり浸かって、その冷え切った骨の髄まで温めろ」
「うっせぇ、お前も入ってんのかよ、近えよ」
「お前が一人で溺れたり滑ったりしたら面倒だろうが。じっとしていろ」
視界の利かない暗闇の中で、温かい湯の感触と、ヴォルフの呆れたような、だが妙に熱を帯びた体温に包まれながら、千春は小さく舌打ちした。
「……なぁ、目が治ったら、真っ先にそのクソみたいな過保護を法的に訴えてやるからな」
「訴えるなら、まずはその骨と皮だけの身体をどうにかしてからにしろ」
「このクソガキ…!」
「さて、マーサ、いるか」
がちゃんとドアが開いて声が聞こえてくる。
「おりますよ」
「液石鹸を持ってこい。普通の石鹸だとこいつの身体は傷がつく」
「…は?普通ので大丈夫だわ」
「こちらにございますよ、さぁ、千春様お体を洗いましょう、こちらにおかけになって…」
「いや、マーサ、いま千春は目が見えん。私が連れて行こう」
「いや、だから!」
千春はざばっと音を立てて湯船から体ごと持ち上げられた。
「千春、左腕に触れるぞ」
「あ?自分でやるわ!さわんな!」
「いいから座っていろ」
風呂場の洗い場で簡易的な椅子に座らされ、千春は非常に、それはそれは丁寧に泡立てられた液石鹸で体を洗われていた。
ヴォルフは壊れ物を手入れするかのように慎重に洗っていく。
千春としてはいつも適当に擦ってシャワーで流すだけだからこの丁寧さがむず痒い。
「はぁー、もういいわ、好きにしろ」
ついに千春は投げ出した。
「言われなくとも」
そしてヴォルフは余すことなく千春を洗い上げ、そして湯船に戻す。
「はー、湯船に浸かるとか何年ぶりだよ」
「千春、先ほども聞いたが、何故お前はそこまで体を削って生きている」
ヴォルフは見えていないと分かってはいるが千春の目をまっすぐに見る。
「あー?まだ聞くか」
千春は頭を後ろに倒し天井を見上げるような姿勢になる。
「そうだな、そうするしかなかった。それしかねぇよ」
「そうするしかなかった…?」
「そぉ。そういう人生なんだよ、俺は。
俺も聞いた話したが、親戚のババアがいうには、俺には本当の名前があったらしい。何ていうかは知らねーけど。んでも2歳の事故で親父もお袋も狂っちまって、俺はそこから俺になった。
俺の人生も俺の名前も何もかも代償コードなんだよ。弟のもんだ。ニセモンなんだよ、俺は。だから別に何もかも俺じゃなくても…」
チャプンと千春が口元まで湯に浸かる。
「千春?」
すべてを諦めているかのように語る千春が急に静かになってヴォルフは千春を改めて見る。
その目は少し閉じかけていてうとうととしていた。
「ばかもの!ここで寝るな!」
ヴォルフは慌てて千春を抱き上げ脱衣所に連れて行く。
椅子に座らせバスタオルで全身の水気をとり用意させた袖の無い下着を身に着けさせ左腕に義手をつける。
プシュ、と軽い空気が抜ける音がしてそれは千春の左腕に吸い付くように隙間なく固定された。
そのまま柔らかい寝間着を着せてからヴォルフは自分の着替えをおわらせる。
椅子を振り向くと千春は完全に目を閉じていて静かに寝息を立てていた。
ヴォルフは千春を静かに抱き上げて客間、すでに千春専用の部屋に連れて行く。
「坊っちゃん、お夕食はどうなさい…あらあら」
「マーサか、済まない千春が寝てしまったから私だけもらおう」
「いえいえ、良いのですよ。しかしこう見ると、普段は苛烈な方ですがお可愛らしいお顔をしてらっしゃる」
「風呂には入れたが暴れる拾いたての子猫のようだったぞ」
「それはそれは」
マーサは千春の顔を覗き込み可愛らしいと微笑む。
「済まないが、千春の朝食はしっかり栄養が取れるポタージュにしてくれ。多分固形物は食べないだろう。用意ができたら千春の部屋に持ってきてくれ」
「承知しました」
マーサは恭しく頷く。
「聞きました?あなた」
「聞いてしまいましたねぇ」
「千春の部屋ですって。あの客間はもう千春様のお部屋なのですねぇ。ヴォルフ様にとって千春様はもう一時的なお客様ではないのですね」
「そのようで」
くすくすと笑いあう老夫婦は残った仕事、領主の夜の食卓準備にとりかかった。
◆◆
ヴォルフは千春を起こさないように扉を空け部屋の中に入りそっとベッドに千春の身体を横たえた。掛け布団をかけてやり青白くて肉の付いてない頬を優しく撫でる。
「ニセモノの人生か…どんなことになったらそんな人生になるんだ」
小さく寝息を立てる千春のそばを離れ、ヴォルフは食堂へと向かう。
「セバス、いるか」
「はい、コチラに」
そっとヴォルフの後ろに現れたセバスにヴォルフは声をかける。
「留守中、何か異変は」
「領内に移民が増えております」
セバスの答えにヴォルフは振り向く。
「移民?こんな住みにくく気候も穏やかとはいえない土地にか」
「魔鉱石採掘場の近くに住み着いているとか」
「魔鉱石か…密入国か?」
「いえ、手続きは通っております。ただ全員赤の砂漠の領地のものでした」
「赤の領地か…あそこは荒くれ者が多いと聞く。監視を怠るな」
「かしこまりました」
セバスは恭しく頭を垂れる。
「面倒事にならねばよいが。せめて1週間は大人しくしておいてもらいたい」
「1週間?何かあるので?」
ヴォルフの言葉にセバスは首を傾げる。
「千春の目はおそらくだが1週間ほど見えないらしい。その間に何か起こされても面倒だ」
「ヴォルフ様、千春様のお世話は私共でも…」
「ならん」
ヴォルフの即答にセバスはやれやれと肩をすくめる。
(この方も二重加護で色々と肩身の狭い思いをされた方だ。ご苦労をされたであろう千春様を放っておけないのか、それともやっと手放したくないなにかを見つけられたのか)
セバスはおそらく喜ばしい主の変化に少し口元を緩めた。
「どうした」
セバスの様子にヴォルフは声をかける。
「いえいえ。今日は坊っちゃんのお好きなシェイディアンサモンのカルパッチョと羊肉のロースト、ミルクチーズリゾットでございます」
「ミルクか…なぁセバス」
「何でございましょう」
「シェイディアン産の特濃ミルクを使った片手で食べられる氷菓のようなものを作れるか」
「あぁ、それでしたら商店街で流行っております手持ち用のワッフルコーンソフトミルククリームがよろしいかと」
「あるのか!」
セバスの答えにヴォルフは勢いよく振り向いた。
「御座いますよ。歩きながら食べる用に作られておりますのでヴォルフ様にお出ししたことはありませんでしたが、商店街で子供や学生を中心に流行っております。シンプルなミルク味、イチゴを使ったベリー味やチョコレート風味のものも御座います」
「それは保管が効くものか?」
「冷たく柔らかいクリームが売りですので出来たてか一番美味しゅうございます」
「そうか…ふむ…抱えていけば問題ないか…?」
口元に手を当ててブツブツと考え始めたヴォルフにセバスはやれやれと眉を下げる。
「移動式の露店ですので明日こちらに来ていだきましょう。目の見えぬ千春様を街にお連れするのは危のう御座います」
「…頼んだ」
「かしこまりました」




