1_07 シェイディアンと気まぐれな精霊
シェイディアン編本編完結に伴い毎日更新に切り替えます。
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世界から光が消え去った千春を抱きかかえ、ヴォルフは冷え切った夜の雪道を領主館へ向けて歩き出していた。
視覚という最大の入力ポートを塞がれた千春は、不機嫌に舌打ちをしながらも、必然的に周囲の音と肌に伝わる感覚に意識を尖らせる。
「……なぁ、ヴォルフ」
「なんだ、どこか痛むか」
「いや、教えろよ。この世界のこととか、ここのこととか。…お前のこととか」
ものすごく知りたいわけじゃない。だが、この先この暗闇のなかで生きていくための仕様書すら手元にないのは、エンジニアとして純粋に据りが悪かった。
「……いいだろう」
ヴォルフの足音が、凍てついた石畳の上で一定のリズムを刻む。しゅん、しゅん、と遠くから聞こえるのは、この領都の命綱である巨大な魔鉱機関が蒸気を吐き出す音だ。
「我がシェイディアン領は、知ってのとおりの常冬の地だ。北の果てに位置し、あまりにも冷酷な気候ゆえに、大地は年間を通じて凍りついている。穀物は育たず、野菜一つ育てるにも膨大な魔力温室が必要になる。つまり、自給自足という選択肢が最初から存在しない」
「……まともに作物が育たねぇ土地ってか。よく人間が住めてんな」
「あぁ。本来であれば、人が定住できる環境ではない。だが、この地には『魔鉱石』という唯一にして最大の資源があった。地下深くから採掘されるその石は、膨大な魔力を内包している。我が先祖たちはその魔力と、地熱から湧き上がる蒸気を利用し、『魔鉱機関』を発展させた」
蒸気の力と魔鉱石の熱量。それを組み上げることで、何とかこの凍土の街に暖をとり、最低限のインフラを回してきたのだとヴォルフは低い声で語る。
「だが、魔鉱石を他領へ輸出し、その対価として食料や物資を買い付けているものの、冬の買い付けコストは年々高騰している。領民たちを飢えさせぬよう、私は常に計算し、この機関を回し続けなければならんのだ」
「……ふーん。ブラック企業の経営者みてーだな」
「ぶらっく?」
「従業員のことを単なる道具としてしかみてねぇ悪徳会社のこと」
「……誰が悪徳だ。私はただ、領民の生活を守るために必死なだけだ」
「ちげーわ。お前がじゃなくて、作物がねぇこの領の足元見て食料や物資の値段釣り上げてる他領のことだわ」
ふん、と鼻を鳴らす千春の頭が、歩みの拍子に合わせてヴォルフの肩にコトリと預けられる。
目が見えないぶん、ヴォルフの体温や、低く響く声の距離がやけに近くに感じられて、千春は微かに眉をひそめた。視界が真っ暗闇だからこそ、聴覚と触覚だけに頼らざるを得ないこの密着状態が、どうにも居心地悪い。
「まあいい。お前のその『過保護なまでの責任感』はわかるが、生きてくための必死さが、結果的にスパゲッティコードの温床を作ってたわけだがな」
「……返す言葉もない。あの機関の調整は、我が国の技術者たちにとっても長年の頭痛の種だったからな。魔鉱機関のことも感謝している」
「……分かればよろしい」
千春はヴォルフの肩に預けた頭をそのままに、静かに息を吐き出す。
視界のない闇の中で耳を澄ませば、ヴォルフの心臓の音が一定のテンポで響いていた。不覚にも、その音を聞いていると、緊張感が少しだけ緩んでいくような気がして、千春は忌々しげに舌打ちした。
「……おい」
不意にヴォルフは声をかける。
「んだよ」
「この先、また今回のような無茶をしたら無理やり三食昼寝付き生活にしてやるからな」
「……お前、脅す内容がそれかよ」
ふはっと千春は笑う。
ふと、千春はヴォルフの肩に頭をあずけたまま、別の疑問を口にした。
「なぁ、なんでお前は銀髪なんだ」
「…!」
千春の問いにヴォルフは目を見開いた。
見えていないと分かっていても自身の左肩に頭を預ける千春の方に視線を向けてしまう。
「シェイディアンの奴らって基本黒髪か濃いめの髪色してるだろ。お前だけ異質つーか」
「それは…隠しても意味がないか。それこそ精霊の気まぐれというやつでな。先代が神に祈りをささげて生まれたときに、何故か闇の精霊ダクネスと光の精霊ウィルオウィスプが現れた。私はその気まぐれで二人の精霊から加護をもらうという例外的人間なんだ」
「生まれたときに?祈り?」
「子供が生まれるとき、夫婦になった2人が神に祈りを捧げることで認められれば子供を授かる。千春は違うのか」
「俺らの世界じゃ男と女がまぐわねーと子供なんかできねーよ」
「まぐわう?」
「性行為っての?男の機能と女の機能を合体させんだよ、詳しくは言わせんな」
千春は居心地悪そうに反対側へと顔を背ける。
「…野蛮だな。それではどんな男女でも子供ができてしまうではないか」
「そーだよ」
「望まぬ子供もできそうだな」
「こっちの世界の闇だ」
はっと千春は嘲笑する。
「深そうな闇だな」
「まぁな。にしても生命の誕生も神とやらの全システム管理ベースなわけだ。いいんだか悪いんだか」
「それ故、子供や命は絶対的に尊いものだし、この世界にとっては神は絶対だ。だから、私は千春のように身体をボロボロにしてまで生きている人間を見たことがない。何故そこまで身を削る」
「……こうするしかなかったんだよ」
千春はふっと顔を背けようとするが、目が見えないためどこに向ければいいのか分からず、ただ闇の中で視線をさまよわせた。
クソ親父の歪んだ執着、血を吐くようなデスマの日々、そして動かない左腕。あの世界に戻れないと分かっていながら、なぜ自分がこれほどまでに必死に生き延びようとしているのか。元の世界に執着など無いはずなのに。自分で自分に問い直す気力すら湧かない。
「……生きるために、だろ。他に何か理由が要るか」
「そんなわけがない。生きるためだけならば、貴様は命を削ってまであの機関を直したり、列車を止めたりはしなかったはずだ」
ヴォルフの金色の瞳が――見えずとも、その強い視線が自分を捉えているのが肌でわかる。
「……お前なぁ。人の行動原理にいちいち深入りすんな」
「目が潰れているならなおさらだ。邸に戻ったら、まずは一週間、いや、一ヶ月は徹底的に静養しろ」
「は? 誰がそんなニートみてーな生活受け入れるか。こっちは一刻も早くこの世界のエラーを修正して、元の……いや、せめて人並みの環境を整えたいんだよ」
「それが終わるまで、私が全力で貴様を管理してやる。安心しろ、衣食住の面倒はすべて領主である私が持つ」
「管理すんな! 俺は囚人か!」
軽口を叩き合いながら、馬車が待つ場所へと近づいていく。
◆◆
「お待ちしておりました!」
軽快な声が聞こえてガチャリと重たい音がする。
馬車の扉が開かれたのだろう。
ヴォルフは慎重に千春を椅子へと座らせた。
「……んで、次の質問だ」
馬車がガタゴトと一定の音を刻んで走り出す中、千春は目が見えない不便さを隠すように、右手の指先でシートの端を軽く叩いた。
「この世界の『神』ってのは、具体的にどういう仕様になってんだよ。さっきから聞いてりゃ神だの精霊だの、まるでシステム管理者のように絶対的な権限を持ってるじゃねぇか」
ヴォルフは向かいのシートで腕を組み、冷めた金色の瞳を千春の方向に向ける。もっとも、闇に閉ざされた千春の瞳にはその視線は届かないが、低く通る声の距離で大体の位置は把握できた。
「神……と呼ばれる存在は、この世界の基盤そのものを構築した管理者だな。世界を流れる魔力、季節の循環、そして命の登録に至るまで、すべては神々の定めた理のうえで稼働している」
「へぇ。オープンソースじゃなくて、ガチガチのプロプライエタリってわけか。勝手に改造したら今回みたいにフォービドゥンエラーでペナルティ食らう仕様なわけだ」
「言葉の意味は半分ほどしか理解できんが……まぁ、大筋は間違っていまい。人間は神々が定めたもの――すなわち『精霊術』を借り受けることで、魔術を使用したり生活を維持する。私や、お前の首元にいるダクネスのような存在は、そのシステムを直接統括する特権アカウントのようなものだ」
首元でダクネスが『キシシ、褒められる筋合いはないがな』と低く笑う気配が伝わってきた。千春は面倒くさそうに首をすくめる。
「クソ仕様の塊だな。ソースコードがブラックボックス化してて、中の人間は言われた通りにコマンド叩くだけのドカタ作業じゃねぇか。だから俺みたいなデバッグ野郎が迷い込むとエラーを吐き出す」
「そのエラーとやらのせいで、お前は今、視力を失っているのだがな」
ヴォルフの呆れたような、それでいてどこか冷ややかな声音。だが、その言葉の裏には、目に見えない気遣いが混じっていることを千春の耳は聞き逃さなかった。
「自業自得だろ。で、もう一つ聞かせろ。さっきから気になってたんだが、この世界の人間はみんなお前みたいに魔法?魔術?が使えんのか?」
「まさか。精霊の加護を受けられる者は一握りだ。大半の人間は、ただの一般人にすぎん。魔導機関を動かすにも、高度な術式を構築できるのは王都の専門機関で長年訓練を積んだ技師だけだ。お前のように、詠唱も回路の構築もすっ飛ばして直感で書き換えるなど、常軌を逸している」
「褒め言葉として受け取っといてやるよ。こっちの世界じゃ、無駄なコードを削ぎ落として最短で処理するのはエンジニアの基本だ。……にしてもだ」
千春はふと動きを止め、眉をひそめる。視界がない分、思考の処理能力がダイレクトに自分の内側へ向かう感覚があった。
「この世界に『エラー』を持ち込んだのは俺だけなのか? もし俺みたいにシステムを勝手にいじくり回す不法侵入者が他にもいたら、この世界のOS、とっくにクラッシュしてんじゃねぇの?」
馬車の足音が、ふっと遠ざかる。ヴォルフは数秒間沈黙したあと、低い声で答えた。
「……確証はない。だが、過去の歴史書には『異界より来たりて、理を歪めた者たち』の記録が断片的に残っている。人々は彼らを『特異点』、あるいは『バグ』と呼んだそうだ」
「へぇ……先輩がいるのかよ」
「彼らの多くは、この世界の理に馴染めず、あるいは過剰な干渉を行って消えていったと聞く。だが、お前のように、世界そのものの設計図を読み解き、機関や列車を直接触った者など聞いたことがない」
「そりゃそうだろ。あんなクソみたいなスパゲッティコード、普通は目を背けたくなって見て見ぬふりするからな。俺だって、自分のインフラが脅かされなきゃ関わりたくもねぇよ」
口では悪態をつきながらも、千春の脳裏には、先ほどスマホのCUI画面越しに触れた「世界そのもののバックエンド」の感触が焼き付いていた。あれは単なる異世界の魔法などではない。あまりにも整然と、しかし強引に組み上げられた「巨大なプログラム」そのものだった。
「……まぁいい」
千春はふっと息を吐き出した。
「目が治るまでの間、この世界の仕様書はお前が全部読み上げろ。一から十まで、余すところなく教えてもらう。……その代わり、この領のインフラ周りでバグが見つかったら、いつでもデバッグしてやるよ。それが、衣食住とこのうっとうしい全介護の対価だ」
闇の中で、千春が不敵に口角を上げる。
ヴォルフはしばらく沈黙したあと、やれやれといった調子でかすかに息を吐いた。
「……取引成立だ。目が見えぬ間と言わずいつでも教えてやる。さて、もうじきつくな。着いたらまずは風呂だ」
「風呂?」
ヴォルフの言葉に千春は首をかしげる。
「この世界に来た日、そして今日、もしこのまま寝落ちたら明日。お前は何日風呂に入らんつもりだ」
「…うっ」
千春はたじろぐ。元々体臭が強く出る方ではないが自宅では簡単にシャワーで流すだけで終わらせていた。
「この冷え方だとこの後強い吹雪がくる。身体を温めておかないと身体に触る。『マーサ聞こえるか、私だ。もう直ぐ邸に着く。風呂の用意をしておけ』」
「電話より便利じゃん…」
「シッカリ温めてやるから安心しろ」
ヴォルフの言葉に千春は戦慄した。
そして、その後ヴォルフは思うのだ。
まるで拾ってきたばかりの手負いの警戒心が強い子猫のようであったと。




