1_10 ミルクソフトと領地改革
シェイディアン編本編完結に伴い毎日更新に切り替えます。
完結まで毎日20時更新
コンコン、と落ち着いたノックの音が石造りの壁に響いた。
「客か?」
千春は無意識に音がしたほうへと顔を向ける。視界は相変わらず真っ暗闇だったが、聴覚は冴え渡っていた。
「来たか、少し待て」
ヴォルフは椅子から立ち上がり、千春のいるベッドへと近づく。そして、真剣な眼差しで千春の肩に手を置いた。
「いいか、私は少し離れる。その間、絶対にベッドから離れるなよ」
ヴォルフは千春の右手に魔鉱タバコを持たせ、言い聞かせるように念を押した 。それからドアへと歩き出すが、途中でふと気になって振り返る。
「いいか、絶対に離れるなよ」
「わかったわかった、行ってこい」
千春は魔鉱タバコを一口吸い込むと、煙をふぅっと吐き出しながら、手首をひらひらと動かしてヴォルフをシッシッと追い払う仕草をした
ヴォルフが扉を開けて廊下に出ると、そこには昨夜セバスが手配を約束していた「移動式の露店商」の若い職人が、特製の保冷魔導ボックスを抱えて立っていた。
「ヴォルフ様、お呼びでしょうか。商店街で一番人気の『ワッフルコーン・ミルクソフトクリーム』をお持ちしました」
「うむ。……崩れてはおらんか?」
「はい! 特製の冷気魔法をかけたボックスに入れておりますので、作りたての滑らかさを完全に保っております!」
職人が恭しくボックスの蓋を開けると、ふわりと濃厚で甘いミルクの香りが廊下に広がった。こんがりと焼き上げられたサクサクのワッフルコーンの上に、まるで絹糸のように美しく巻き上げられた真っ白なソフトクリーム。そしてその上には、千春の好みを予測してか、鮮やかなイチゴの果肉ソースがトロリとかかっている。
「よし、それを貰おう。代金はセバスに払わせる」
ヴォルフは慎重に、まるで爆弾でも扱うかのような手つきでソフトクリームの載ったワッフルコーンを受け取ると、冷気が逃げぬよう早足で千春の部屋へと戻った。
「おい、千春」
「なんだよ、早かったじゃねぇか。タバコもう一本吸うとこだったぞ」
ベッドの上で胡座をかいていた千春は、気だるげに声を向けた。しかし、鼻腔をくすぐった甘い匂いに、千春のぴくっと鼻が動く。
「……ん? なんか、すげぇ甘い匂いしねぇか?」
「ふん。お前がスマホで見せたファストフードとやらの絵とダッツとやらを思い出してな。セバスに頼んで、この領で一番美味い片手で食べられる氷菓を取り寄せた」
ヴォルフはそう言って、千春の目の前にそれを差し出した……もっとも、千春には見えていないのだが。
「……は? 氷菓って、まさか……」
「ほら、口をあけろ。溶けるぞ」
「ちょ、まっ、自分で……!」
反論する暇も与えず、ヴォルフは千春の開いた口元へと容赦なくソフトクリームを突っ込んだ。
「んむ……っ!?」
冷たくて、とろけるような甘さが口いっぱいに広がる。濃厚なミルクのコクと、甘酸っぱいイチゴソースのアクセント。そして底を支えるワッフルコーンの香ばしいサクサク感を予感させる匂い。
それは、異世界の常冬の城にいることを忘れさせるほど、完璧な「文明の味」だった。
「うっま……!! なんだこれ、すげぇなめらかじゃねぇか……! あー、これなら食えるわ、いくらでも入るわ!」
昨日まで「胃が受け付けない」と朝食を拒否していた人間とは思えないほどのハイテンションで、千春はヴォルフの手からコーンごとそれを奪い取ろうと右手を伸ばした。
「コラ、自分で持つと落とすだろう。じっとしていろ、私が食べさせてやる」
「子供扱いすんな! これくらい右手で」
「落ち着け。支えてやるから。ほら、あー」
「うぐ、目が見えねぇ間はしゃーねーか…あ」
千春はおずおずと口を開ける。
そこにヴォルフが千春の右手に手を添えてソフトクリームがきちんと口元に届くように導いてやる。
「うんっま、このミルク濃厚、練乳みてぇ」
「昨日、このシェイディアンでは土地が凍っているから作物が育たないと話をしただろう」
「そうだな」
千春はワッフルコーンの先端にかじりつきサクッと割って口の中で咀嚼している。
「このシェイディアンの北の方の山脈に魔鉱石の鉱脈がある。魔鉱石がとれる鉱脈は天然の蒸気が出ていてな」
「言ってたな。街を見た所、ここは魔鉱石と蒸気を利用した工業地帯だろ」
さらにクリームを一口。
「そうだ。蒸気が出るということは地熱が高い。鉱脈、採掘場の近くだけ牧草が生えるんだ」
「ほう」
そしてまたワッフルコーンを一口。千春はソフトクリームを食べながらヴォルフの話を聞いていた。
「ほかの作物も試したんだが地熱が出るところは土が硬くてな、限られた牧草しか育たないのだ。
そこでシェイディアンの北では畜産や乳業、養鶏が盛んなのだ」
「畜産…乳業…養鶏…、それって肉類やミルクやチーズとかバター、鶏肉や卵は取れるってことか」
「あぁ。シェイディアン産の牛肉は越冬牛と名がついて中央では高値で取引されている。魔鉱石に次ぐシェイディアンの輸出産業の一つだ。おっと、まて。コーンに巻かれている紙を取ってやる」
ヴォルフは千春の口もとからソフトクリームを離すと器用にコーンに巻かれていたペーパーを剥がしていく。
「よし、もういいぞ」
「ん」
また千春の口元に戻ってきたソフトクリームを今度はワッフルごと一口口に含んだ。
千春はもぐもぐと口を動かしながら考える。
「つまり?畜産乳業養鶏はいけるから、後は柔らかい土地で作物が育てば食物事情は解決なのか」
「そうだがここは年中冬だ。日照も少ない。人の通り道といった生活に直結する部分には融雪を回せるが畑や広大な土地に融雪をまわすほど魔鉱エネルギーや蒸気熱を分散させる…地熱を分散?…余った熱エネルギー…分散先…」
ヴォルフはぶつぶつと呟きながら考え始める。
「だなぁ。こないだ誰かのおかげで魔鉱機関でのインフラ必須エネルギーが三分の一で収まるようになったなぁ」
千春はコーンの最後のひとくちを口に入れて一番硬い部分をもぐもぐと口の中で咀嚼する。
「んでぇ?領主様の今の考え事って何だったか?」
千春はすぐ近くに置いていた魔鉱タバコを手に取って、スティック…とベッドの上で右手を彷徨わせる。
ヴォルフはナイトテーブルからスティックを取って魔鉱タバコに差し込んでやり、千春の方に口元に右手ごと導いてやった。
「千春…お前は長年のこのシェイディアンの悩みを解決した救世主かもしれん」
「…あ?」
「ちょっと待て」
ヴォルフは腰掛けていたベッドから立ち上がり執務机から書類を持ってまた千春の近くへと戻ってきて千春の近くに腰かける。
「机で仕事しろやぁ…!」
千春は戻ってきたヴォルフを足蹴にする。
しかしヴォルフはお構いなしに書類に目を落としたままだ。
「跳ね上がった魔力効率で浮いた魔鉱石量と熱エネルギーが、この量、今生み出される熱エネルギーを生活圏の融雪に回したとしてもすべてを使い切る訳では無い。むしろ余った熱エネルギーと浮いた分を農地改革に回せば凍った土地を耕して作物を育てることができる…しかも計算上だとかなりの広大な土地に熱エネルギーを回すことが可能…!温室にすれば雪の心配のないか。セバス!セバスいるか!」
「はい、こちらに」
扉付近から急に声がして千春は肩を揺らす。
「いつの間に」
「セバス、至急緑の森の領主に連絡を取る。寒冷地に強い作物の選定と農地改革の相談がしたい」
「かしこまりました」
セバスは恭しく頭を下げて退室する。
「千春…お前は神の使いか…?」
コツン、と肩まで上がるようになった左腕の義手の拳で千春は大げさに感動しているヴォルフの眉間を小突いてやった。
「やめろよきめーな。ただの社畜SEだわ」
千春は毒づくように言って右腕を支えに身体を後ろにのけぞらせた。
「第一、大げさに言ったとしても「一ヶ月も徹底的に静養しろ」なんて言われたら、それこそエンジニアとしてのバグフィックス作業が全ストップして脳のメモリがオーバーフローを起こすわ」と千春は思わず声を荒げた。
「あのな、クソガキ。こっちは一刻も早くこの世界全体の魔導回路のスパゲッティ状態をなんとかしねぇと、いつまたあんな爆走列車みたいな致命的エラーが起きるか分かんねぇんだぞ。それを一ヶ月も寝て暮らせとか、システムを強制シャットダウンして永遠に放置するようなもんだろ!」
「何度言ったら分かる。貴様のその命を削るような効率至上主義が一番のエラーだ」
ヴォルフは全く引く気配を見せず、冷徹でありながらもどこか熱を帯びた金色の瞳で千春を真っ直ぐに見据えた。館の外を歩く冷たい雪の上に重く響く足音が聞こえる。さっきのソフトクリームを持っていた商人が帰っていくのだろうか。街のどのへんにいるのか聞きたかった。セバスに聞けばわかるか?と千春は目を閉じる。 視覚という最大の情報ポートが絶たれているせいで音に敏感担っている。そのせいで脳は疲れるのか社畜時代のデスマ期よりも甘い物への欲求が強くなっている気がする。
そんな時、ヴォルフがくつくつと笑い声を上げた。
「あんだよ」
千春の不機嫌そうな伺いにヴォルフは「いや、すこしな」と返してくる。
「あれだけ固形物は入らんと言っていたのに甘いものは食えるのだなと思うと少し安心してな」
ヴォルフの面白がる声に千春は、うっと声をつまらせる。
「あのな、よく考えろ。俺は今も人間として生きてるだろうが。永遠に固形物食わねぇってしてたらカロリー不足、栄養不足で今頃生きてねーんだよ。デスマ期が終わって胃が落ち着いたらちゃんと食うわ。量は食えねーけど」
千春はヴォルフの表情や距離感を正確に読み取ることができず、それが余計にプライドを刺激して苛立ちを募らせた。きっとバカにしているような顔をしているに違いない、と千春は歯噛みする。一方のヴォルフは警戒して餌を食べなかった子猫がやっと手ずから食べてくれたと目を緩めていたとも知らずに、クッションを背もたれにして身体を後ろに仰け反らせたまま魔鉱タバコをくゆらせる。
千春はふと思い至った。後ろに反らせていた身体を前に戻し胡座を組みなおして上がるようになった左腕を肩の高さまで上げてみる。
そのまま横に回して小さく一回転。元の位置に戻して意識して未だに魔力というものの使い勝手はわからないが右手を動かす意識をそのまま左手でするように義手の手を握り込むイメージ、開くイメージを繰り返す。次に親指だけ、人差し指だけ、と少しずつ動かすイメージをして最終的に魔鉱タバコを左手の義手部分で持つことに成功した。
「お?」
力加減も問題ない。後は問題なく口元へ持っていけるかどうか。その様子を見ていたヴォルフが無言で魔鉱タバコに新しいスティックを差し込んだ。ふんわりと甘酸っぱい苺のフレーバーが広がり、千春は旬の時期のスーパーの入り口付近を思い出す。
ブ…と軽く本体が震えて義手とあたり思いの外大きな音が耳に入る。準備が完了したようだ。千春はそっと慎重に左腕でタバコを口元へと運んだ。
(もう少し…もう少し動け…)
ぐぐぐ、と筋肉のついていない左腕の二の腕に力が入る。そしてちょん、とスティックの端が唇に届いた。
(…!)すぅーっと千春はゆっくりと吸い込む。
「…吸えた…」
千春は見えていない両目を大きく見開いた。千春のそばで静かに息を呑む気配を感じる。
「…んだよ…」
毒づく。
「いや、なにも」
言いながら、よく通る低い声の主は千春の頬をそっと拭った。それは意図せず流れた雫を黙って拭ったということを千春は気づかなかった。




