1_04 朝食
カクヨムと二軸投稿しています。
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「……ん……」
眩しい朝日に目を細めながら、千春は重い瞼を開けた。
天蓋付きのふかふかすぎるベッド。昨夜の疲れとポタージュの満腹感で、気絶するように熟睡していたらしい。
身体を起こそうとして、左肩に「いつもと違うフィット感」があることに気づく。
「……あ?」
見下ろすと、だらりと死んでいたはずの左腕に、真鍮と銀で精巧に組み上げられた装具——軽量な何かが装着されていた。
妙な感覚を覚えて動かない左腕に意識を向けるとピクリとも動かなかった左腕が方の高さまで持ち上がった。そして驚くほど軽い。そして何より、片手で動く時の「体幹の軸」がバチッと固定されているのが分かった。
「……なんだこれ。誰が着けた……」
「目覚めたか、千春」
低い声に振り返ると、部屋の椅子に腰かけたままのヴォルフがいた。目の下にうっすらとクマを作っている。
「……おいクソガキ。この左腕のガジェットなんだ?」
「……ガジェットが何かは知らんが、……少しは楽だろう」
「……」
千春は右手で左腕に新たに装着された銀のパーツを撫でた。
「……悪くねぇな。サンキュ」
ボソッと小さく礼を言うと、ヴォルフは満足そうに口元を緩めた。
そこへ、部屋の扉がノックされ、老執事セバスが恭しく入ってきた。
「ヴォルフ様、千春様。お朝食の準備が整いました。本日は千春様の胃に配慮し、極上の柔らかいパンと、新鮮な羊乳の温かいスープ、彩り野菜のオムレツをご用意しております」
「うむ、ご苦労セバス。……さあ千春、顔を洗ってテーブルへつけ。今朝も私が——」
「いらん」
千春は即答し、ベッドの上でそのまま布団に潜り込み直した。
「……何?」
「いらんっつったんだよ。朝飯なんて食えるかボケ」
「バカな! 昨夜あれほど消化の良いものを食ったのだぞ! 朝食を抜くなど、成長期の身体に良いわけがないだろう!」
ヴォルフがガタッと椅子を蹴立てて立ち上がるが、千春は心底ウンザリした顔でさらに布団に潜っていく。
「うるせぇな。こちとら20年以上『朝はタバコとブラックコーヒー』で生きてきてんだよ。起きてすぐに固形物なんて胃に入れたら吐くだろーが」
「タバコとコーヒー…?あのカフェラと似た飲み物か……!? 朝一番に胃に入れるものが毒煙とカフェインだと!? 貴様は自分の胃を拷問するのが趣味なのか!?」
「拷問じゃねぇ、社畜の起動シーケンスだ! 朝からオムレツなんて重いもん食えるか朝食拒否児童なめんな!!」
「拒否児童などと威張るな!! セバス、カフェラと……スープだ! スープなら飲めるな!?」
「だからスープもいらねぇって。重ぇんだよ。 カフェラだけで十分だっつーの!!」
「だめだ!! 一口でもスープを飲まねばこの部屋から出さん!!」
「あーもううざい!! 殺すぞガキ!!」
バッ!とヴォルフが容赦なく布団を奪い去り、掛け布団はベッドの外へと投げ捨てられた。 逃げ場を失った千春は、萌え袖の右手でヴォルフの胸板をペシペシ叩いて抗議したものの、大人と子供ほどの体格差には勝てない。背中と膝裏にすっと腕を差し込まれ、軽々と抱え上げられてそのまま食堂へと強制連行された。
当然のように着席させられたのは――ヴォルフの膝の上である。
「ほら、一口だ! 朝のスープは毒消しにもなる!口を開けろ」
ヴォルフはスプーンを手にして千春の口元へと持っていく。
「うっせぇ、おろせ!自分で食える!」
「ダメだ、自分でやらせたら途中でやめるだろう!」
反論のために千春が口を開けた瞬間、すかさずスープの乗ったスプーンがねじ込まれた。
「んぐ……っ!! ……ちっ、味が薄ぇんだよ……。おいセバス、カフェラ持ってこいカフェラ!!」
「……お味がお気に召しませんでしたか……」
とセバスはショックを受け、
「おい千春、セバスを困らせるな!」とヴォルフの説教が響く、カオスな朝の食堂となった。
◆◆
結局、朝から強引にスープをすべて押し込まれた千春は、機嫌を最悪にしたまま抱きかかえて客間へと戻された。
窓際の一人掛けソファに座らされ、窓の外を見ながら電子タバコの強冷メンソールを煙にして吐き出す。
「…う、きもちわる…」
もう何年ぶりかわからない朝食というイベントのために胃が悲鳴を上げている千春の正面、丸い天板のカフェテーブルを挟んだ向こう側の一人掛けソファからヴォルフが人仕事終えたと言わんばかりに食後のカフェラを飲みながら千春の様子を見ていた。
「やはり、44歳などというのは嘘だろう」
「あ?嘘じゃねーわ」
ヴォルフの言葉に千春が噛みつく。
「言動が反抗期の少年のようだぞ」
「誰が万年反抗期じゃ!クソガキが!」
威嚇する声を聞いて、ヴォルフは「ふむ」と改めて千春を観察する。
背丈は女性の平均より高めだが、あまりにも細すぎるため実際よりも華奢に見える。 通った鼻筋、左右均等に配置された目と、その奥に吸い込まれそうな漆黒の瞳。口は汚いが、閉じれば薄くほんのり桃色に色づいた唇。左右非対称のヘアスタイルは、右側を短く刈り上げ、左側は顎まで伸びた光を通さない黒髪が色白の頬を見せたり隠したりして視線を誘う。 健康的な肉体さえあれば、王都で流行りの男装劇団でトップスターになれそうな顔立ちだ。
(……この細さで、計7つもステンレスの針を耳に突き刺しているのも異質だな)
ヴォルフは隠れている左耳から時折見えるシンプルなステンレスピアスを見つめる。
左の耳たぶに3つ、上側の軟骨部分に2つ、そして右に2つと無骨に刺さっているピアスは何を思って差したのかと、いつか聞いてみたいと思わせた。
ヴォルフが思考を巡らせているとはつゆ知らず、千春は刈り上げた右後頭部をガシガシと掻きながら、ソファの上で片膝を立てた。
「ずっとこっち見んな。居心地わりぃ」
「千春は言葉遣いや動きは乱暴だが、随分と可愛らしい声をしているな」
ヴォルフの言葉に、千春は露骨に不快感を示して低い声で 「…あ?」と返す。
「不躾に人様のコンプレックスに土足で上がり込んでくるんじゃねーわクソガキが」
その鈴を転がすような声をどれほど低く出そうとしても、ヴォルフにとっては子猫が威嚇しているようにしか聞こえなかった。 だが、ヴォルフは直感する。
(なるほど。この『声』は、安易に触れてはならない一線だったか)
ヴォルフは静かに「悪かった」と一言返した。
「そういえば、これを返しておこう」
ヴォルフは立ち上がり、客間のチェストの上に置かれていたものを取って千春の眼の前、カフェテーブルの上においた。
「あ、俺のバッグ」
千春は使い込まれたボディバッグに右手を伸ばし、片手で起用にファスナーを開ける。
「それは日常的に持ち歩くものか?」
ヴォルフの問いに千春は頷く。
「そぉ。常に持って歩く」
「何を普段持ち歩くことがある」
ヴォルフの本当にわからないという顔に千春は
「これだからお坊ちゃんは…」
とため息を付く。
「財布、つっても金は入ってねーけど、保険証…あー、病院にかかるときとかに見せる身分証みたいなもんとか入れてる。あとスマホ」
テーブルの上に並べられていく中身を、ヴォルフは興味深そうに見ていた。
「この薄い板は何だ?」
「それがスマホ、情報を見たり書いたり、遠くにいるやつと会話したりできる。俺は財布代わりにもしてる」
「財布?この板で金銭のやり取りが出来るのか?」
触ってもいいか、と聞いてくるヴォルフに千春はスマホを手渡してやった。
「向こうじゃ金も情報なんだよ」
「遠くにいる相手との会話か…それに金銭のやり取りが出来るならかさばった荷物を持ち歩く必要もないのか…魔鉱石を軽量化できれば作れるか…?」
「やり取りするにはネットワークがいるからそれだけあっても意味ねーぞ」
「ネットワークとはなんだ」
「あー、なんて言ったら良いんだ…。目には見えないんだが、常につながってる網みたいなもんだ」
「目には見えない、なるほど、『こういうことか』」
(…!?)
千春は突然頭の中に響いたヴォルフの声に目を見開く。
「精霊術の念話に近いな。これが応用できれば作れそうだ」
くつくつと笑うヴォルフに千春は「何でも有りかよ…」と呆れたようにつぶやいた。
(天才ってのはあながち嘘じゃねーのかもな)
スマホを弄るヴォルフの手元を眺めながら、千春はボディバッグの奥からもう一つ、黒いスティック状の機器と小さな箱を取り出す。
「で、これが俺の命の糧。IQOS」
「……それが、先ほどから吸っている毒煙の道具か。……む?」
ヴォルフはスマホから視線を外し、千春がテーブルの上に置いた小さな紙箱に目を留めた。箱には同じようなスティックが整然と並んでいるが、明らかに残量が少ない。
「……千春。その箱、あとどれほど残っている?」
「あ? これか? あと2箱と半分くらいだな。向こうじゃコンビニでいつでも買えたんだが……ここではもう手に入らねぇ。これが切れたら、俺はいよいよ禁断症状で暴れ出すぞ」
千春が冗談めかして鼻で笑うと、ヴォルフは急に真顔になり、箱から一本のスティックをつまみ上げた。鼻先に近づけ、鋭い洞察力で匂いを嗅ぐ。
「……ふむ。独特な香草の香りと、強い清涼感……。ほう、これを熱して成分を吸い込んでいるのか」「触んなクソガキ、減るだろ」
「減らん。……なるほど、これは精霊術と我が領地で採れる『寒冷草』の成分を抽出・乾燥させれば、互換性のあるものを試作できるかもしれんな……」
「は? お前、タバコまで自作すんの?」
千春は目を丸くした。昨夜の義手に続き、どこまで手器用で過保護なんだこの男は。
「当たり前だ。貴様が禁断症状とやらで倒れられては困る。これはこの香りが出れば良いのか?」
「いや、ニコチンっていう依存成分が入ってる」
「依存成分…ふむ、なるほど中央の貴族が吸っている巻きたばこがこれか」
「は?なんだよ、タバコって概念こっちにもあんのかよ」
「あるぞ。俺は好かんが嗜好品として高齢の貴族が好んでいる。あれは直接火を使うが千春のこれはそうではないのだな」
「加熱式つってな。こっちの機械で加熱して擬似的にタバコを吸ってる感覚になる。もちろんニコチンも入ってくるから擬似的でもなんでもない、タバコっていわれりゃタバコだな。紙のタバコみてーにヤニやタールがでねーから部屋を茶色くすることもねーし嫌な匂いが残ることも少ない。もちろんゼロじゃねーけど」
「そうか、ならば作ってみよう」
ヴォルフはスティックを静かに箱に戻すと、冷めた、だが逃がさない強い金色の瞳で千春を真っ直ぐに見つめた。
「食べ物の類が一切入っていないな」
「……あ?」
「身分証とやらと、このスマホという板、毒煙の道具……。丸一日、あるいは数日出歩くためのカバンなのだろう? なぜ栄養を補給するものが何一つ入っていないのだ」
「入ってるわけねぇだろ。仕事の移動中に食いもん持ち歩く趣味ねぇわ」
「では、普段は何を食べていた。言っていた通り何も食べぬのか」
ヴォルフの射抜くような視線に千春は居心地が悪くなる。
「あー、食わねーのはデスマ…仕事が忙しい期間だけ。その直後も胃が縮んで食えねーけど。食えるときは普通に食う。あー、スマホ貸せ」
千春はヴォルフからスマホを受け取ると写真フォルダを開いて目的の写真を選び出す。
「こういうの、ファストフードっつーんだけど、片手で食えるから結構食ってた。一個で十分だけどな」
千春が見せたきたスマホの画面をヴォルフはじっくりと見る。
「随分精密な絵だな」
「写真つーんだよ。こういう本物とかわらん絵を残すことも出来るのがスマホのいいとこ」
「この絵の中の食べ物なら食べれるのか?」
「これしか食わねーってわけじゃねーけど、パンに具材挟んであるから手も汚れねーしフォークとか食器いらねーから俺みてーな片腕には丁度よかったんだよ。うめーしな」
「なるほど、片手で食べやすいものなら食べるのか」
「流石に全く食わなかったら死ぬからな」
ヴォルフは「なるほど、片手で食べやすいものなら食べるのか」と深く納得したように頷いた。その金色の瞳には、すでに「千春専用の片手で食べやすく滋養に満ちたメニュー」の構想が激しく巡っている様子が窺える。
「……セバス。後で今の『写真』とやらをよく見せてもらえ。千春が片手で手軽に食せる、それでいて栄養の詰まった料理を料理長に考案させろ」
「かしこまりました、ヴォルフ様」
「おい勝手に献立増やそうとすんなクソガキ。だから食えねぇっつってんだろ」
「黙れ。片手で食えるなら言い訳はできんぞ。……よし、食生活の改革については追々詰めるとしてだ」
ヴォルフはカフェラを最後の一口で飲み干すと、すっと立ち上がった。 千春の前にかがみ込み、テーブルの上に散らばったスマホやIQOS、身分証を丁寧にボディバッグへと戻していく。その手つきは、自分の持ち物を扱うよりもずっと慎重だ。
「……あ?」
「行くぞ、千春。まずは我がシェイディアンの心臓部を見せてやる」
「……は? どこ行くんだよ」
「『第一魔鉱機関室』だ。我が領地の魔導技術の集大成であり、お前が昨日口にしていた『プログラムの最適化』とやらが、本当に適用できるか確かめたい」
ヴォルフはバッグのファスナーをカチリと閉めると、千春の肩に斜め掛けで戻してやった。 そして迷うことなく、袖の上から千春の華奢な右手首を、優しく、だが逃がさない強さで握り込む。
「立ち上がれるか? 胃が気持ち悪いなら担いで行くが」
「担ぐなボケ! 歩けるわ!」
千春は不機嫌そうに鼻を鳴らし、スタビライザーで体幹の軸が固定された身体をソファから起こした。
「……ちっ。朝の貴重な起動シーケンスを邪魔された腹いせだ。その『魔導機関』とやら、無駄だらけのスパゲッティコードだったら容赦なく全削除してやるから覚悟しろよ」
「ほう、頼もしいな。見せてみろ、異世界のデスマSEの力とやらを」
ヴォルフは口角を薄く上げ、不満げに煙を吹かす千春の手を引いて、重厚な扉の向こう――ズズズと地鳴りのような重低音が響く、城の地下機関室へと歩みを進めるのだった。




