1_20_3 爺さんあのストーカーを止めろ
第二章準備中SS第三話です。今回もよろしくお願いします。
皆様こんにちは。シェイディアン領主館執事のセバスでございます。 常冬の極寒地に位置する当領主館の朝は、最近になって大変賑やか……いえ、主に千春様の悲痛な絶叫が聞こえるのが日課となっております。
我が主・ヴォルフ様の朝は、すこぶる早いのでございます。 千春様がまだ夢の中におわす早朝、執務室で領内の緊急報告に素早く目を通された後、中庭にて領主館騎士隊との模擬戦に臨まれるのが毎朝のルーティン。
今朝も、光の加護を思わせる銀髪を軽く揺らし、太陽のような金眼を冷たく細めながら、細身の木刀を手に取っておられました。
気配も足音もなく間合いを詰め、刃先から相手の魔力回路の隙間へ滑り込ませる魔力——無駄な動作もなく、騎士隊長を一瞬で昏倒させ崩れ落ちさせる様を眺めながら、私は手元の温かいお茶に満足の笑みを漏らすのでございます。
(ふむ。今日も坊っちゃんの魔術剣は、実に良い切れですな……)
影の密偵長としても文句のつけようがない、完璧な刺術。 しかしその直後、坊っちゃんの右目の片眼鏡が、かすかに青い光を明滅させました。
「……む。千春が起きた」
研ぎ澄まされた暗殺者の気配は一瞬で霧散し、坊っちゃんは手にしていた木刀をそのまま地面に転がすと、脱兎のごとき神速で館の階段を駆け上がっていかれました。
(……なお、どれほど刃を研ぎ澄まそうとも、千春様の前では形無しでございますが)
私は静かに息を吐き、千春様のためにカフェラを用意するため執事室に戻るのでございます
◆◆
「うわああぁぁぁ!!!」
あぁ、ほら聞こえましたな、千春様の最近の朝のルーチン、大絶叫でございます。
ヴォルフ様がお作りになった左目の義眼が千春様の覚醒をヴォルフ様のモノクルに伝えると邸内の裏通路を使って最短距離で足音なく千春様のベッド脇に到着され、その日一日の一番最初に目に映すものはご自身でないと気がすまないご様子。
「……あぁ、びびった……。お前、マジで毎朝俺が起きた瞬間にベッドの真横にいるんだな。ホラーかよ」
客間の扉を開けると、そこには案の定、起き抜けの千春様と、その脇で至極当然といったお顔で立ち尽くすヴォルフ様のお姿がございました。
「睡眠波形が覚醒状態へ移行したからだ。お前が目を開けた最初の視界に私がいるよう、最短経路で移動したまでだ。覚醒時心拍数72、体温36.5度。おはよう、千春」
「挨拶より先にバイタル読み上げるな! 距離感がゼロなんだよ離れろ!」
千春様は辟易とした溜息を吐きながらも、常冬の朝の冷気に身を縮め、ベッド脇に置いてあった先日仕上がったアズリン仕立ての黒パーカーを手探りで掴まれました。 慣れた手つきで右腕を通し、前開きのダブルジッパーを締めずに開けっ放しのまま羽織られます。このお姿が最近の千春様のいつものお姿となりました。
寝間着の上に上着を羽織られてそのまま一日過ごされることも珍しくありません。10日間の昏睡で痩せ細った体躯には少しオーバーサイズでございますが、前を開けっ放しのままダボッと羽織るその姿は、そのまま本日一日の「完成された部屋着」となるのでございます。
「千春、服を着替えるなら手伝うぞ」
「今日一日邸から出ねぇんだからこれで十分なんだよ! 肌触り最高だし片手で着やすいしコレが完成形だ! いじるな!」
「……そうか。ならばそのままでいい。非常によく似合っている」
少し大きめの袖から指先だけを覗かせ、寝間着の上にパーカーを羽織った無防備な千春様をじっと見つめ、大変満足そうに頷く坊っちゃん。
千春様がその場から一歩踏み出された——その瞬間でございます。 ピコンとモノクルが光を放ちました。
「どうした、どこへ行こうとしている。転ぶぞ」
間髪入れずに寄り添い、脇に手を入れようとする坊っちゃんを、千春様はバッと突っぱねます。
「2メートル先のドアに向かうだけだわ! どこにでもついてくんな! 床は全部お前がフラットに削り倒しただろ!!」
千春様は金魚の糞のようにぴったり背後についてくる我が主を必死で追い払うと、カフェラを持っていた私に気づき、すがりついてこられました。
「おい爺さん! 聞いてんのか! こいつ、俺が部屋のどこに移動したか、今日何食べたか、タバコ何本吸ったかまで1分単位でノートにログ取ってんだぞ!!」
千春様が突き出してきた羊皮紙ノートには、精密なタイムスタンプが刻まれておりました。これは昨日の記録のようでございます。
10:15 部屋の北東30cmを移動。義手アライメント正常。
10:30 カフェラ150ml(糖分半盛り)摂取。
11:00 魔鉱タバコ(苺メンソール)4本目。即時回収。
11:05 千春と目が合う。心拍数が112bpmに上昇(照れ・動揺と判定)。
「見ろよコレ! 完全に警察案件のストーカーだろ! 爺さん、頼むからあのストーカーを止めろ!!あいつの 執務室に連れ戻してくれ!!」
「おやおや。坊っちゃんも実にきめ細やかな日誌をお持ちでございますな。千春様、こちらの温かいカフェラをどうぞ」
「納得してスルーしてんじゃねぇよ爺さん!! 一味か! 館ぐるみでストーカーの共犯か!!」
頭を抱えて絶叫する千春様と、「千春、カフェラが冷めるぞ」と真顔で匙を差し出す坊っちゃん。シェイディアンの朝は、本日も大変賑やかでございます。
◆◆
昼下がり。 この領主館は常冬のシェイディアンの気候でも問題なく過ごせるよう廊下の床下には排熱魔導パイプを通した全館床暖房が敷き詰められ、上には厚手の特注羊毛絨毯が敷かれております。
そのため、千春様は「服を着替えるのも靴下履くのも面倒くさい」と、寝間着にパーカー、裸足という無防備きわまりない格好で館内を移動されるようになりました。
本来なら過保護な坊っちゃんに見つかり即座に連れ戻されるところですが——千春様はどうされているのかいつの間にか坊っちゃんの目を掻い潜り領主館の中を裸足のまま歩き回られることがございます。
ペタ……ペタ……ペタ……
足音も気配も最小限のまま、監視網をすり抜けた千春様が向かうのは、甘い香りの漂う給仕室兼厨房でございます。
「……婆さん、なにか甘いもんあるか」
「おや千春様! またそんな寒そうなお姿で。今ちょうど、ミルククリームパイが焼き上がりましたよ。お部屋にお持ちしようと思っておりましたのに」
「そういうの慣れてねーんだよ。一口くれ」
「一口と言わず、しっかりお召し上がりくださいな!」
料理長のマーサは、焼き立てのパイに豪快に包丁を入れ、湯気の立つ1ピースを皿に載せて差し出しました。 10日間の昏睡でゲッソリと頬が落ちてしまった千春様。マーサからしてみれば、手に輝く最新鋭の魔導義手など関係なく、「一刻も早く美味しいものを食べさせて太らせなければならない可哀想な子」なのです。
「ん……おう。……あむ」
千春様はカチリと静かに駆動音を立てる黒銀の魔導義手で皿を持ち、右手で豪快にパイにかぶりつきました。
「……! ん……っ、うめぇ……!」
両頬をこれでもかと膨らませて「もぐもぐ」と幸せそうに咀嚼する千春様。
「ほらほら、粉がこぼれますよ。……まったく、また坊っちゃんですか? 坊っちゃんも千春様が心配なんでしょうが、ほんとあの方はこうと思うと、こうでしかおありでないですからねぇ。千春様もお疲れになるでしょうに」
「ほんとそれな……。あいつの過保護で胃がやられそうだわ」
「あらあら。では温かいホットミルクも淹れてさしあげますね。このベリータルトも一口いかがですか?」
「ん、貰う……あむ、もぐもぐ……」
文句を言いながらも素直に口を開け、小動物のように餌付けされていく千春様。 ——その時でございます。
千春様のサファイア義眼がピコーンと青く明滅いたしました。 【急速な血糖値の上昇および多幸感】をモノクルが感知した瞬間です。
バァン!!
「千春!? 部屋から気配が消えたと思えばこんなところに……! 血糖値が急上昇しているぞ! 昼食が足りなかったか?またそのような甘味ばかり食べて……!」
目を作為的に吊り上げた坊っちゃんが躍り込んできましたが、千春様は慣れた様子でマーサの背後へそっと隠れると、マーサの腰の後ろからひょっこり顔を出し——パイを大きく一口「あむ」と頬張りながら、ドヤ顔を決めて見せました。
「うるへぇな! マーサがくれたんだよ! マーサのパイは美味いんだから邪魔すんな!」
「ち、千春……! 咀嚼しながら喋るな! それに裸足で厨房に入るなと言っているだろう!」
「坊っちゃん」
「……っ、マ、マーサ」
詰め寄ろうとした坊っちゃんを、マーサがおたまを手にした圧倒的なおかんの威圧感で一蹴します。
「千春様は10日もお眠りになって、こんなに細くなってしまわれたのですよ? 美味しいものを食べて体力をつけられるのが一番でございます。千春様が自ら何か食べたいとおっしゃるのは良いことではありませんか。坊っちゃんの分も焼き上がっておりますから、そこにお座りになって召し上がりなさいな」
「……ぐ、ぐっ。マーサがそう言うなら……いや、しかしだな千春……」
我ら影の密偵たちすら束ねる冷徹な領主が、マーサには一切頭が上がりません。 マーサの背後で満足そうにパイを食べ進める千春様と、靴下を履いていない足元を心配そうに見つめつつ、大人しくパイを食べさせられる坊っちゃん。本日も平和な給餌室でございます。
◆◆
そして、草木も眠る丑三つ時。
ペタ……ペタ……ペタ……
ランプの灯りを絞った暗がりの中、私が影の中に潜む『影の密偵』から領外の不穏な動きについて報告を受けていた、まさにその時でございます。
「——ヴェルディアン側の動向は引き続き探らせます。では」
「うむ。無理はせず、影に潜んでおれ」
部下が影へ溶け込もうとした直後、扉がノックもなく静かに開きました。
「爺さん、かふぇら……おっとすまん、仕事中に邪魔したな」
「っ……!?」
影の部下が息を呑み、私自身も一瞬、眼光を鋭くさせました。 影の密偵長として館内のあらゆる気配を把握しているはずの私の探知を、この人物は完全に無音・無気配でかいくぐり、目と鼻の先まで接近していたのでございます。
「いえいえ……私に気配を気づかせないとは、千春様もなかなか……」
「あー……クソヘビの加護のせいだろ。気配消すつもりなんかねぇよ。足音が消えちまうんだ」
「ほほう、それは興味深い……」
無意識に発動している闇の精霊の絶対的な気配遮断。 見た目は18歳ほどの華奢な少女、寝間着に前開きパーカーと裸足——でありながら、その身に宿すのは世界で最も深い『闇』。
私は深く感心しながら、手際よく『砂糖半盛り・ミルク多め』のカフェラを淹れ、対面へと促しました。
千春様は慣れたご様子で丸椅子の足につま先を引っ掛けると手繰り寄せて腰を下ろされました。
執事室にある小さなテーブルの上には先ほど密偵から受けた資料が置いてあり、千春様は目線だけでそれを声に出すことなく眺めておいででした。
「ヴェル…あぁ、確か隣の領地だったな。種芋をよこしたデコスケがいるところだ」
「左様でございます」
「…なるほど、クソガキが最近忙しそうなのはこの案件か」
千春様は頬杖を突かれながら報告書に視線だけを落とされています。声に出して報告書をすべて読み上げられないところに見た目にそぐわない大人の余裕を感じさせる不思議なお方です。
「ほーん。そりゃ忙しいわけだ、カフェラサンキュ」
「お熱いのでお気をつけを」
「ふぅ……。うめぇ、身にしみるわ……」
両手でマグカップを包み込む千春様。ポケットから魔鉱タバコを取り出し、紫煙をくゆらせる横顔には、修羅場を潜り抜けてきた男の哀愁が漂っております。本当に見た目とは何もかもがそぐわないお方だ。
「昔からよ……デスマ…クソ忙しい時期は夜中に誰もいねぇオフィスで、一人で缶コーヒー飲んで、ビル内の喫煙所行って煙草吸うのが一番落ち着く時間だったんだよな。誰かに気を使ったりすんのも慣れてねぇし。朝誰かが出社してくる前までに仕事終わらせて、誰かが来るのと入れ替わりで帰ったりな」
「ふふ、千春様は根が大変真面目でいらっしゃいますからな。誰かに『お世話』をされること自体、落ち着かないのでございましょう。何かをしているところを誰かに見られることもお得意では無いのでは」
「まぁな。必死になってるとこ誰かに見られるとかダサくて出来るかよ」
千春様はずずっとカフェラをすすられ、魔鉱タバコを吸われます。少し酸味の効いたイチゴの香りが煙から漂ってきて、坊っちゃんも粋なことをなさる。
「世話されるのだって落ち着かねぇよ。特にあのクソガキの過保護は重すぎる。俺なんかを構って何が楽しいんだか。誰も俺を必要としない、それが俺の中の普通だ。それなのにあいつ完全にストーカーだろ。……頼むからあのストーカーを止めろって……」
げんなりとした様子で愚痴をこぼす千春様に、私は温かく微笑みかけました。
「ふふ、千春様がお目覚めになられてからまだ日が浅いですからな、致し方ない部分もありましてな。……あのお方はこうと決めたら一辺倒のお方ですから。気が済むまでお好きにさせるか、ご自分が満足なさるまでは、とことんのめり込むスイッチが入っておられるのでしょう。それに千春様は我が主の命をお救いになり、このシェイディアンの長年の悩みを解決なされた、なんかなどとご謙遜なさるな」
「俺が解決したわけじゃねーよ。思いついたことをぽんぽんと軽く口に出しただけだ。動いたのも解決したのもあのクソガキだ。あいつ、若ぇのに良い領主やってんじゃん。いつからやってんだ?」
「坊っちゃんが齢13の時からでございます。あの頃このシェイディアンでひどい流行り病がありましてな。相次いでご両親、先代をなくされ御親戚もいない中、坊っちゃんがこのシェイディアンをお支えになられたのでございます」
私はその頃を思い出し、無糖のカフェラに視線を落としました。黒い液体が静かに揺れます。
「13か…まだ大人に守られててもおかしくねぇ年だな、周りには頼れる大人もいねぇ、爺さんや婆さんがいたんだろうが、領主として立たなきゃいけねぇってのはしんどかったろうな」
ふぅっと千春様が淡桃に色づいた蒸気を吹き出され、寒冷草の影響で周りの空地がほんの少しチリチリと音を立てて凍りついていきます。
「えぇ、周りの大人はみんな敵だとばかりに気を張っておられましたよ。そんな坊っちゃんが千春様のこととなると一心不乱に何かをして差し上げたいと傾倒なさるのですから、私どもとしては嬉しくてたまらないのです。不眠不休で千春様のためにと地下工房にお籠りになられたときは驚きましたが」
「一週間徹夜で義眼作ってた時のアレか……。一度集中すると周りが見えなくなるのは職人の性なんかねぇ」
「左様でございます。今は千春様が無事にお目覚めになられたことが嬉しくてたまらず、同時にまた失うことが恐ろしくてたまらないのです。ご両親を相次いで亡くされ……そしてもう一度あのお方にとって、手放したくないと思われた人物、千春様はご自身の命よりも重い存在となっておられますから」
私の言葉に、千春様は気まずそうに鼻を鳴らしました。
「……重すぎんだよ、バカ野郎が。命なんか簡単に賭けるもんじゃねぇっての……」
そう呟くサファイア義眼が、ランプの光を受けて静かに揺れております。 孤独だった坊っちゃんが、この不器用で温かいお方と出会えたこと。それは何より坊っちゃんご自身にとっての最大の救いであったと、私は深く噛み締めるのでございます。
「……まあ、おかげでこうして夜中に爺さんと茶を飲む余裕ができたんだから、悪かねぇけどな」
千春様が照れ隠しに笑い、カフェラテを飲み干された——その時でございます。
ふと、千春様のピアスとサファイア義眼が、かすかに青く明滅いたしました。
「……ん? またか、時々なるんだよなこの点滅。なんだこれ」
「……おや。千春様。申し上げにくいのですが……坊っちゃんのモノクルには【対象の脈拍上昇および覚醒反応をトリガーとした自動起床システム】が常時稼働しているようでございます」
「……は?」
直後、廊下の奥から爆速で近づいてくる足音。
ドカドカドカドカッ!!
「千春!? どこだ千春! 脈拍が上昇し、執事室でバイタル反応が固定されている! 無事か!?」
執事室の扉が勢いよく開かれ、寝巻き姿のまま息を切らせた我が主が飛び込んでまいりました。
千春様は空のマグカップを持ったまま、白目を剥いて私を振り返ります。
「……なぁ、爺さん」
「はい、何でしょう千春様」
「……寝てる間もログ取ってんのかよあのストーカー!! 頼むからマジで止めろ!!」
「おやおや。今夜も実に高可用性な監視システムでございますな」
「変なとこを褒めてんじゃねぇ!てめぇんとこの領主がどんどん変態になってってんだぞ!」
「千春様限定ですから、どなたにもご迷惑をおかけしておりませんし…」
「俺にとって迷惑なんだわ!!良いからあのストーカーを止めろ!!」
深夜の領主館に千春様のお声が響き渡って、今日も領主館は平和でございました。




