1_20_2 そこまでしろと言ってない
第二章準備中のSS第二話です。今回もよろしくお願いします。
千春が10日間の昏睡から目を覚ました、その翌朝のことである。
左目に一時的な眼帯代わりの包帯を巻いた千春は、ベッドの上に広げたヴォルフのお下がり騎士服を不機嫌そうに見下ろしていた。
胡座姿で腕を組み、うーん、と唸る。
「……さすがに血みどろだなー」
肩の部分を持って持ち上げてみる。薄い水色の生地は厚めでしっかりしており首元の詰襟から肩の留め具へと金の縁取りがしてあり袖口や金色の縫い付けられている。見た目はどこか気品のあるシンプルな物だったが、いかんせん胸元から袖口にかけて、ヴォルフをあの世から引き戻す代償として自身が激しく吐き散らした血の跡が、痛々しく黒ずんで残っていた。
マーサが何度も丁寧に洗ってくれたのだろうが、流石に繊維の奥まで染み込んだ血液は落ちきらなかったようだ。
「ヴォルフのお下がり、他にねーか聞いてみるか。なぁ、セバス、いるかー?」
千春は血に染まった騎士服を持ったまま、足を床へ下ろしてベッドから立ち上がった。
その時に、ふと全身に奇妙な違和感が走った。
「……ん?」
歩みを進めかけた足が、ピタリと止まる。
(……なんか、部屋が違う……? 気のせいか……?)
片目だけの視界は遠近感が掴みにくく、世界が平坦に押し潰されたようだ。だが、どうにも違和感がある。
ふらふらと窓際の壁まで歩いてみて、ふと気がついた。
(こんなこところに手すりなんてついてたか?)
それに気づくと次々に違和感を察知してきた千春のエンジニア特有の洞察力が、部屋の中に施されたものを次々と検出していく。
まず、足元。絨毯の縁やドアの敷居にあったはずの微小な段差が綺麗に削られ、完全なフルフラット化している。 壁際へ視線を移せば、先ほど気がついた手すりが部屋をぐるりと囲むように設置されていた。 さらに、家具という家具の角が丸く滑らかに削り落とされている。
そして、部屋のどこに立っても影ができない、柔らかい拡散魔法照明が天井を照らしている。
極めつけは、部屋の隅々に配置された、ふかふかの特注クッションの山だ。
千春はヴォルフの服をベッドに放り投げてクッションの山から一つ取り上げて胸に抱いてみる。
ふかふかしていて抱き心地が良い、そしてクッションカバーは触り心地がよくいつまでも抱いていたい。
千春は部屋の中央で佇み、クッションを抱いたまま呆れ果てた顔で天井を仰いだ。
「……おい待て。俺が眠りこけてる間に、この部屋フルリフォームされてねぇか……!?」
そこへ、軽やかなノックの音とともに、カフェラのセットがのったワゴンを押したセバスと、ふかふかのタオルを抱えたマーサが静かに入ってきた。
「おや、千春様。お目覚めでございますか」
「千春様! お体に障りますから、あまり歩き回られては……! あ、そのクッション、片目でお休みになられても首や肩に負担がかからないよう、あたしが特注で綿を詰め直したんですよ!」
マーサが嬉しそうに胸を張り、セバスが深々と一礼する。
千春は手すりや丸められた家具の角を指差し、引きつった声で尋ねた。
「……セバス、マーサ。この部屋のビフォーアフターは一体なんだ? なんで部屋が介護施設になってんだよ」
セバスは温和な笑みを崩さず、誇らしげに胸の前で手を組んだ。
「ふふ、坊っちゃんは千春様がお休みの間このお部屋の改修をご指示なさっていたのです。『千春の視界と動線を完璧に保護し、二度と怪我をさせぬ空間にせよ』と……。私どもで腕によりをかけて施工いたしました」
「領主館ぐるみで過保護の突貫工事してんじゃねぇよ!!」
千春は頭を抱えてツッコミを入れたが、血みどろの騎士服を思い出し、ベッドから拾い上げて溜め息を吐いた。
「……はぁ、まあいいや。それよりセバス、この服洗ってもらったけど血痕が落ちきらなくてさ。ヴォルフのお下がりでいいから、他に動きやすい着替えねぇか?」
「おや」
セバスは千春が掲げた騎士服へ視線を向けると、静かに首を横に振った。
「千春様。我が主の命の恩人であり、いまやシェイディアンの『心臓』であられる千春様に、そのような血痕の残る服や古着を着せるわけにはまいりません」
「いやいや、動きやすければ何でもいいんだよ。古着で十分——」
「すでに、街から招いた最高級仕立て屋『クロード』を控え室に待機させております」
「仕事が早すぎるんだよ影の密偵長ーーっ!!」
千春は絶叫した。セバスは「すでにお召し物の生地サンプルも選別させております」と平然と返し、別室の扉をすっと開ける。中には高価な生地のロールを抱えた格式高い仕立て屋が、深々と頭を下げて待機していた。
「待て待て待て! 仕立てるな! 吊るしの既製服でいい! ユニクロとかしまむら的な店はないのかこの世界は!?」
「千春様、当領地にそのような既製服店は存在いたしません。それに、坊っちゃんからも『千春の体型に完璧にフィットし、寒さを一ミリも通さぬ服を整えよ』と厳命されておりますので」
「あいつ居ねぇのに指示だけ完璧に通ってんじゃねぇかよ!!」
千春は観念し、ガシガシと頭を掻きむしった。そして、仕立て屋とセバスに向かって強力な指を突きつける。
「……分かったよ! 採寸でも何でも受けろ! ただし条件がある!」
「何なりと」
「派手なフリルやら金糸の刺繍やら付けやがったら、即座にハサミで切り刻んで全裸で過ごすからな!? 服の指定は俺がやる! 生地は黒一色! 完全無地! 動きやすいダボッとしたメンズのカーゴパンツとアウターだ!!」
千春の「全裸脅迫」にセバスは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに満足そうに目を細めた。
「畏まりました。黒一色、無地、機能性を追求した最高級生地でお仕立ていたしましょう。……千春様の白い肌と黒髪、銀のスタビライザーが実によく映えるはずです」
「映えとかどうでもいいんだよ!!」
「さぁさ!千春様の気が変わらないうちに採寸いたしましょ!」
マーサの声に仕立て屋と呼ばれたガタイの良い男が部屋に入ってくる。
だがその男が曲者だった。それは今右目しか見えていない千春にも存分にわかった。
七三に撫でつけられた黒髪、角張った顔、その顎にしっかり剃られてはいるが残っている青ひげ。
フリル満点のピンクのブラウスにピッタリとフィットしているなぜかキラキラと光を反射する裾にレースをあしらった青のスラックスには所狭しとスパンコールが縫い付けられている。
(ヤバいのきたー!)
千春は直感した。
「んまぁ!かわいい子猫ちゃん!黒髪がきれいだから黒猫ちゃんね!ちょっと痩せすぎだけど背もあるし、これならなんでもかっこよく着こなしてくれそうだわ!」
ピンクのブラウスは胸筋があるのかパツパツに引き伸ばされて今にもボタンが弾け飛びそうだ。
男は楽しそうに語尾を跳ね上げながら千春に近づいてくる。
「はじめまして黒猫ちゃん!アタシは仕立て屋クロードのメインデザイナーのアズワルド、堅苦しいしむさ苦しいからアズリンって読んで頂戴♡ちょっと失礼?」
アズワルド――アズリンはそっと千春の左顔にかかる前髪を横に避けた。
「あらぁ、包帯が痛々しいけどもとのお顔はきれいなのね♡その吸い込まれそうな黒魔鉱石のような瞳も魅力的だわ、右目だけでわかるけど鼻筋もきれい、その小さなお口もキュート♡」
「爺さん!こいつ大丈夫なのか!?」
「腕は確かですので」
千春の声にセバスはそっと目をそらす。
「まぁ♡鳴き声もキュート、アズリンきゅんきゅんしちゃう、腕がなっちゃうわぁ♡」
アズリンは首にかけていたメジャーをシュッと手に取るとその目をキランと光らせた。
「さぁやっちゃいましょ!ふんふふーん。まぁ華奢な肩!腕は普通の女性より長めね、スタイルが良い証拠だわ。首も長いし耳の形もきれい、あらぁやんちゃなピアスつけちゃって、でもそれが魅力的♡いいえみ・わ・く・て・き♡」
「おいこら爺さん目をそらすな!こいつ本当に大丈夫なのか!?」
「…腕は確かですので…」
セバスはそっと背を向けてカフェラの準備を始める。
「はぁいお顔はこっち」
ぐいっと顔をむけられてたくましい男、アズリンの顔を真正面から直視する。
「あぁん、こんな色白ならピンクもボルドーもハニーイエローもいっそブルー系も似合いそうだからアズリン迷っちゃう、どうしても黒一色なのぉ?」
「当たり前だ!黒一色!それ意外認めねぇ!柄もフリルも刺繍もいらねえ、生地一発きれりゃ良い!」
千春の訴えにアズリンは目に見えて眉を落とす。
「そうだ、じゃあ生地違いでスリーピースにしちゃいましょ♡黒シャツとベストとぉ、あ、ジャケットもあると良いわね♡刺繍はいやって言ってたけど生地にうっすら柄が入るのは許してちょうだい♡黒の生地に黒の柄だからかっこよくてしまるわよぉ。黒猫ちゃんの端正なお顔立ちにぴったり。ジャケットはテーラーがいいわね、襟に柄入れて袖口のボタンは4つ揃えかしら、袖口のサイズは…あら」
アズリンは千春の左腕に気がついた。デザインは洗練されているが銀と真鍮でできた義手に顔を寄せながらふむ、と考える。
「黒猫ちゃん?この腕はどこまで動かせるの?全然動かない?」
「いや、肩までなら上がる。一周回すことも出来るが」
千春は言われて左腕を動かして見せる。
「なるほどぉ、魔力で動作を補ってるのね。ふーん、これはヴォルフちゃんの作品ね、いつ見てもヴォルフちゃんの作品は美しいわぁ。でもその動きだと腕を上に上げての被りタイプの服は難しいわね、袖口は広いほうが良さそうね、やっぱりシャツとベストとジャケットと、パンツは、あらぁ細い脚、スキニータイプも似合いそうだけどダボッとタイプが良いのよね。厚手の生地で作業員みたいな横にポケットがあるタイプが良いのね、子猫ちゃん結構無骨なデザインが好きなのねぇ…良いわぁ、ギャップ、良いわぁ。その細い身体を包むタイトなトップスにオーバーサイズなパンツ、ウエストはキュッと絞るタイプでXラインがきっときれいよぉ、はい採寸終わり!」
アズリンはいつの間にかメモに千春のサイズを書き留めて千春の肩に生地を乗せて色を見る。
「黒ってね、一言で言っても生地や染め方でいろんな色を見せるの、黒猫ちゃんの場合はきっと繊維が繊細で光も反射しない光沢がないタイプが好きでしょうね、この生地良さそうだわ」
アズリンが千春に示した生地は光沢はなく触り心地は良いが毛羽立たず気品のある黒一色の生地だった。
「この生地に、この生地で襟をつけてこんな感じに重なるの」
重ねられた生地は若干光沢のある黒で蔦模様の柄がある。だが刺繍ではなく生地違いを組み合わせているようで不思議な気品を感じさせた。
「ボタンは黒のくるみボタンで、あぁでも黒猫ちゃん常にジャケットの前は開けて着てそうね、そんなよ・か・ん♡」
ぞわっっと千春は肩を寄せる。
「中に着る黒シャツはこのタイプの生地で前開きのほうが着やすいわね、で、こっちはどシンプルに行きましょ、ベストはジャケットと共布で、上はキュッとしててパンツでオーバーサイズ、なかなかない着こなしだけど子猫ちゃんなら着こなせると思うわぁ♡ベルトはおまけでつけちゃう、あ、安心して、ベルトも黒で統一するからぁ♡じゃあセバスちゃん、超特急で作ってくるから10日ほど頂戴!まっててねぇ黒猫ちゃぁん!」
そういってアズリンは颯爽と帰っていった。
「おい爺さん、本当にあいつ大丈夫なのか」
「…腕は確かですから」
セバスは淹れたてのカフェラを千春の前においた。
「お熱いのでお気をつけください」
「お、おぉ…」
それ以上千春は何も言えなかった。
◆◆
アズリンが去ってから数日、地下工房にこもっていたヴォルフが作ったコンタクトレンズ型義眼と念話用相互ピアスをつけた千春は鏡の前に立っていた。
鏡の前で左髪をかきあげ耳につけられた金のピアスを見ながら千春は渋い顔をする。
ちなみに、これを作ったヴォルフ本人は千春の部屋のベッドで一週間の不眠不休作業の末の爆睡を決め込んでおり起きる気配無い。
先程までヴォルフの抱き枕にされていたがさすがに寝落ちてから三日目、力が緩み始めたのでその隙をついてその腕から抜け出してきたのだ。
「あのクソガキ、まじで人を抱き枕にしやがって」
千春の毒づきなど知らぬ顔で静かに眠るヴォルフは千春の枕を抱き寄せ未だに夢の中の住人である。
「黒猫ちゃぁん!できたわよぉぉ!」
ばぁん!と千春の部屋のドアが開かれる。
「うおおぉ!?この領主館のセキュリティどうなってんだよ!」
いきなり入ってきたアズリンに千春は目を剥く。
「セバスちゃんの許可はとってあるわ!さぁさ!着てちょうだい!自信作なの!きっと気に入るわぁ!」
アズリンはその手に持った大きなボストンバックを開くと品の良い黒布が顔を出した。
黒のワイシャツは流れるような質感で少し光を弾くが全体的に落ち着いた雰囲気、前開きだが留め具がボタンではなくジッパーなので千春でも楽に着れそうだ。
ダブルジッパーになっていて一度上まで締め切ってしまえば上からでも下からでも開けられるので千春の好みや気分に合わせてその日のシャツの前開き具合を変えられるのは着やすそうだった。
襟は硬めで型崩れしそうになく領主館に出入りするものが切る服として気品を保ってくれそうだ。
ジャケットと共布で作られたベストは前に3つのくるみボタン、背中側はジャケットの襟に使った蔦模様の黒布でサイズ調整用のベルトが付いている。
ジャケットはテーラーの襟は蔦模様の品の良い黒布、見頃は光を反射しない黒一色の厚手の生地で袖口には4つボタンがついているが袖口は広く義手を通すときも突っかからなさそうだ。
ボトムスは千春の要望通りオーバーサイズのカーゴタイプでジャケットと同じ生地で作られていた。
「ほーん」
「あら黒猫ちゃん、お顔の包帯取れたので、まぁ、素敵な黒とサファイアブルーのオッドアイ、んんん?その左目魔力補助義眼ね、これもヴォルフちゃんの作品ね、魔法陣の作りが精巧だわ。うーん、今日のお洋服と黒猫ちゃんの端正なお顔立ちとそのオッドアイが映えていいわぁ♡」
「うるせぇ、もう一匹うるせぇのが起きる前に試着済ます」
千春は寝間着を脱ぎ捨てて新しい服を手に取った。
袖を通した黒シャツは肌触りが良く、ウエスト部分が絞るようなデザインなので細い千春の胴体を品よく包む。
ジッパーを上げても息苦しさは無いが、千春があえて上を胸上、下を臍下まで開けた。
そのシャツの裾を出したままボトムを履くと、思った以上に生地が柔らかくて驚いた。流石にウエストは緩いがアズリンが差し出してきた銀のバックルのベルトで締めて腰骨で留める。
そのままベストを羽織り、前を開けたままジャケットを羽織った。
鏡を見ると黒一色、上着から足元まできれいなXラインを描いて千春は満足した。
メンズの型で作られているから千春には少々袖が長く両手とも手の甲を隠し指の根本まで袖が来る。
この状態には千春自身も元々どの服を着てもこうなるので慣れていたしちょうどいいと思っていた。
「うん、見た目は堅苦しいのに生地も柔らかくて動きやすいな。肩も腕もつっぱらねぇし」
「でしょぉ。黒猫ちゃんラフなのが好きみたいと思って肩口を広めにしたのよ。袖あまるわねぇ、詰める?」
「いや、いーよこのくらいの隠れる感じ慣れてるし。ただジャケットは普段着にはできねぇな」
「そういうとおもってぇ♡」
「は?」
千春はアズリンを見るとうふふ、と手を口に当ててもう一着出してきた。
「おまけでもう一着つくっちゃいましたぁ♡ぜぇったい黒猫ちゃんに似合うわぁ」
アズリンが出してきたのはジャケットと似た生地だがさらに柔らかい生地でできた黒の前開きパーカーだった。
黒シャツと同じようにダブルジッパーがついており着やすそうだ。
「こっちも着てみてちょうだい♡」
千春はジャケットを脱いでパーカーに袖を通す。
ジャケットよりラフに作ってあるせいか袖が千春の指先までをすっぽりと隠す。
そして柔らかい生地は現代のスウェット生地のようだった。
「すっげ、やわらか。これいいな、これなら普段から着れそう」
鏡を見てみると黒髪アシメショート、黒と青のオッドアイ、オーバーサイズの黒パーカー、黒シャツ、黒カーゴパンツにヴォルフのお下がりの黒に銀パーツのブーツという黒一色の出で立ちが完成していた。
「これだよこれ、いーじゃん、こっちの世界にもパーカーってあるんだな」
「ぱーかー?あぁフードのこと?シェイディアンは寒いからそういう服が作られやすいのよ。気に入ってもらえて何よりだわ、黒猫ちゃん」
「おう、ありがとな、えーとあず…」
「アズリン!」
「お、おぉ、アズリン、ありがとよ」
「うぅん、どういたしましてぇ♡そこでねこけてるヴォルフちゃんにもよろしく言っといてねぇ、また来るわぁ♡」
そして嵐のように去っていった。
「えーと…」
千春は改めて鏡をみて、自分の姿をまじまじと見た。
東京にいたときには無頓着だった自分の服、動かない左手を通さなくていいように前開きであればなんでもいいと、ただ黒ばかり選んで着ていた頃を思い出して、でもその頃の無機質な服と違う、自分のためだけに作られた服に身を包んで自然と口角が上がる。
その様子をヴォルフがベッドの上から自身の腕で頭を支えて静かに伺っていた。
『黒か。お前らしいがよく似合ってる』
いきなり左耳に飛び込んできた声に千春は驚き肩を揺らす』
「おまえ、起きてたのかよ!いつから!」
新しい服に笑っていたのを見られたと思って千春は顔を赤くしてベッドを振り向く。
ヴォルフはベッドの上に座ってその金色をゆっくりと細めた。
「いまさっきな。クロードのデザイナーが来ていただろう。あいつはやかましくてかなわん」
くぁ、と領主らしくなく砕けた様子であくびをするヴォルフはベッドから降りて千春に近づいてくる。
「うん、よく似合っている」
(さすがに可愛らしいといえば怒るだろうが)
ヴォルフは最後の一言は自身の中に留め置き千春の垂れた左側の髪をするりと撫でる。
「さわんな!セバス!いるんだろ!」
「はい、こちらに」
音もなく現れた執事に千春はいう。
「お前のとこの主人がお目覚めだ。飯食わせて風呂に入れて自分の部屋にお帰りいただけ。俺は寝直す。こいつのせいで寝不足なんだよ」
「かしこまりました。ヴォルフ様、湯浴みの準備が出来ております。さっぱりされてお召し替えを」
セバスの言葉に、ヴォルフはあぁ、と返し部屋を出ようとする。
「あ、クソガキ」
そのヴォルフを呼び止めて、千春は目をそらしながら気まずそうに言う。
「部屋、ありがとよ。俺のために色々気遣ってくれて」
ヴォルフはその金色を瞬かせて、そして嬉しそうにゆっくりと細めた。
「当たり前のことをしたまでだ。千春が過ごしやすいならそれで良い。しかし、黒か。私も黒の服を作るか」
「おそろいになるだろうが!やめろ!そこまでしろと言ってない!とっとと風呂入って自分の部屋に戻りやがれ!」
千春は足元に転がっていたクッションを一つ手にとってヴォルフに投げつけた。
「あぁ、わかった、また後でな」
「だからこっち来んな!自分の部屋で休めバカが!」
「自分の部屋と言っても、ここは既に私の仕事部屋でもあるが?」
ヴォルフは何を言っているという顔で千春を見る。
「…は?」
千春はあっけにとられた顔をした。
ヴォルフがゆっくり部屋の中を指さす。そこには千春が目が見えなかった間に持ち込まれたヴォルフの執務机と一週間工房にこもっていた間に溜まった書類の山。
「なんっでだよ!執務室帰れよ!爺さんもなんでここにあいつの仕事持ってきてんだよ!」
「ヴォルフ様ならこちらでお仕事をなさると思われましたので」
「いつ何時おまえに何かがあってもすぐに対処できるだろう」
二人して、千春に対して何を言ってるんだ?という顔をするので千春はうずくまって頭を抱えた。
「あああぁぁぁ、もう、部屋も服も目も腕も何もかもありがてぇけど!!俺はそこまでしろとは言ってない!!」
千春の声は静かな領主館の中に今日もけたたましく、そして虚しく響くのだった。




