1_19 エピローグ1
なろう一本に絞りました、シェイディアン編完結です。エピローグは2本同日公開
今回もよろしくお願いします。
皆様こんにちは。シェイディアン領主館で執事を任せていただいております、セバスと申します。
あの悪夢のような襲撃から、今日でちょうど一週間ほどが経とうとしております。 千春様が世界の理すら書き換える奇跡を起こされ、一度は完全に命を落とされたヴォルフ様が息を吹き返されたあの日。その凄絶な対価として左目の光を失い、血を吐いて倒れられた千春様を、ヴォルフ様は潰さんばかりに強く抱きかかえて館へと戻られました。
以来、ヴォルフ様はご自身の部屋へもお戻りにならず、千春様が休まれる客間のソファで夜を明かされ、以前千春様が目を痛められた際に運び込ませた執務机で、一日中つきっきりでお仕事をされながら千春様のご様子を診られておられます。
幼い頃からヴォルフ様をお育てしてきた私ですが、あの方があれほどなりふり構わず、誰か一人にすべてを捧げるような姿を拝見したのは、これが生まれて初めてのことにございます。
かつて、前領主様夫妻を相次いで亡くされ、お一人でこの寒冷の領地を背負ってこられた頃のヴォルフ様は、誰にも弱みを見せぬよう心を凍らせ、感情を押し殺した孤高の青年でございました。 それが、あの不思議な黒髪の客人――千春様がこの館に来られてから、どれほど変わられたことか。
初めて召喚されて来られた頃の千春様は、骨と皮ばかりに痩せこけ、動かぬ左腕を抱え、ご自身の命などどうなっても良いと言わんばかりの冷めた目をされておりました。 それが今や、我が主人の命を黄泉の国から力ずくで引き戻し、自らの身を削ってまで背中を守る、かけがえのない『魂の番』となられたのですから……人生とは実に分からぬものでございます。
「……ん」
ベッドの上で、小さな身体が身じろぐかすかな音が響く。 その瞬間、執務机で書類に向かわれていたヴォルフ様は手にしていたペンを投げ出し、椅子を倒さんばかりの勢いでベッドへと駆け寄られました。
「千春! 起きたか!?」
「……よぉ。クソガキ……起きてんな」
顔を覗き込んでくるヴォルフ様に対し、千春様は右目だけをうっすらと向け、血色の戻りきらない唇をニヤリと歪められました。
「あぁ。お前のおかげだ。……気分はどうだ? 起き上がれるか?」
「いや……身体が鉛みてぇに重い……。まだすげぇ寝みぃ……」
かすれきった声で呟き、千春様は呼吸をするだけでも億劫そうに、瞼を重そうにゆっくりと瞬かれました。あの日、ヴォルフ様の命と引き換えに光を失った左目は瞼を半分ほど閉じピクリとも動かず、ただ白く濁ったまま、何も映してはおりません。
その白濁した瞳を愛おしそうに見つめながら、ヴォルフ様は静かに、包み込むような声で囁かれました。
「そうか。ならば、まだゆっくり休むといい。焦ることは何もないのだから」
「ん……寝る……」
「あぁ、お休み、千春」
ヴォルフ様は、愛おしさに胸を痛めるような表情でご自身の額を千春様の額へと優しく重ね合わせ、静かに再度眠りへと促されました。千春様はヴォルフ様の体温を感じ取られたのか、小さく息を吐き、再び穏やかな寝息を立て始められました。
私は三回、コンコンコン、と部屋の扉を静かにノックいたします。
「なんだ」
「私でございます。お茶をお持ちいたしました」
部屋の中から返ってきたヴォルフ様のお声は、ここ数日の沈み込んだトーンとは違い、かすかに柔らかさが混じっておりました。本日のお声は、実にご機嫌が良さそうです。
「うむ、入れ」
「失礼いたします」
ワゴンを押して中に入ると、ベッドの脇に腰掛け、千春様の黒髪を手で愛おしそうに撫でられているヴォルフ様の姿がございました。
「おや、千春様はお目覚めになられましたか」
「あぁ、少しだけな。今日は……少しだけ言葉を交わすことができた」
ヴォルフ様は心底嬉しそうに、ほうっと安堵の息を吐かれました。
「千春様はなんと?」
「……まだ寝ると。身体を起こすのも辛いらしい」
「ふふ、左様でございますか。少しずつ回復なされているようですな」
このような調子で、千春様は時折目を覚まされます。 一週間前のあの日、館に戻られた時の千春様は、ただ息をしているだけの冷たいお体でした。それが一度目は一瞬だけ右目を開けられ、二度目は首を少し動かされ、三度目は指先をぴくりと動かされ……。まるで止まっていた時計の針が少しずつ動くように、ゆっくりではありますが確実に回復をされているようでした。
「今回千春が起こした奇跡は、精霊ダクネス曰く、神の領域を犯すもの……。その代償も大きく、身体の負荷を抜くのに時間がかかるらしい」
『キシシシ、あんなものを簡単に奇跡などと言ってもらっては困るな』
シャラリ、と鈴の鳴るような音を立てて、千春様の首元に巻き付いていた黒蛇のチョーカーが首をもたげました。漆黒の鱗に赤い目を光らせ、くつくつと笑うように細められます。
「ダクネス様……」
私が恭しく礼を取ると、『やめてくれ、そういうのは好きじゃあない。小僧のように様など省いてくれ』と不機嫌そうに首を振られます。
「では、精霊ダクネスよ。千春様のお加減はいかがなのですか」
『あぁ、流石に今回は一週間じゃ回復しきらんなぁ。まあもうじきだ。無理をした身体が十分に休まれば、じきにまたあの悪い口を叩き出す。我もあの悪態がなければ退屈でな。キシシシ』
言いたいことだけ言うと、シャラリと音を立てて再び動かぬチョーカーの姿へと戻られました。
「精霊は気まぐれと申しますが、本当に気まぐれなお方ですね」
私の言葉に、ヴォルフ様も「全くだ」と深く頷かれます。
「退屈というのは本当なのだろう。千春が目覚めていない間は、退屈しのぎに時折こうして顔を出すだけだ」
ヴォルフ様は腰掛けられていたベッドから立ち上がり、執務机へと戻られました。私はそちらへ淹れたてのお茶を置き、ヴォルフ様のお顔を拝見いたします。……案の定、お目の下には濃いクマが刻まれておられました。
「ヴォルフ様、少しはお休みになられてはいかがですか? お顔にお疲れが出ておられますよ。そんなブサイクなお顔では、千春様がしっかりとお目覚めになられた時に笑われてしまいます」
「笑われても構わん。千春が生きていてくれさえすればな。……それに、睡眠は取っている」
取っている、とおっしゃいましても、この一週間ご自室には一度もお戻りにならず、この客間のソファで浅い眠りを貪られているだけなのですから、お体が心配でなりません。
「今日もお食事はこちらでお取りになられますか?」
「あぁ。千春が起きて動き出すまでは、ここでもらおう」
「かしこまりました。本日は、温室で採れた新鮮な野菜を使った『シェイディアンサモンのクリームシチューパイ包み』と『根野菜のオープンオムレツ』をご用意しております」
「うむ、楽しみにしておこう。……温室の様子や領内の状況はどうだ?」
「問題ございません。すべて滞りなく進んでおります。……なお、先日の『赤の領地からの移民』の件ですが、採掘場の者によれば、いつの間にか全員が姿を消していたとのこと」
「……そうだろうな。移民という形を取って領内に入り込み、情報を赤の領地へ送り、暗殺部隊を引き入れた偵察隊だったのだろう。千春があの日、一瞬で消し去った連中の中に奴らも混ざっていたのだと思う」
ヴォルフ様は険しいお顔で眉間にしわを寄せられました。
「温室や技術の情報が出回るのが早すぎると千春も懸念していたが、そういうカラクリだったわけだ。……赤の領地は、想像以上に厄介な動きを見せているな」
「お調べいたしますか。赤の領地で何が起きているのかを」
「頼めるか。表立った軍は動かせん」
「お任せください。私の『影』に行かせましょう」
「頼んだぞ、セバス」
「かしこまりました」
私は深く一礼し、静かに部屋を退出いたしました。
◇
部屋を出た私は、一旦階下の給仕準備室へと足を運びました。 そこでは、私と同じく長年この館に仕える妻であり、最古参メイドのマーサが、他の給仕メイドたちに指示を出しながら、ヴォルフ様の夕食の準備を整えている最中でした。
「あら、あなた。ヴォルフ様はお茶を召し上がったかい?」
「あぁ。今日は千春様が少しだけお目覚めになられてな。ヴォルフ様もずいぶんと嬉しそうにされていたよ」
私の言葉に、マーサは手にしていた銀のトレイを置き、「まあ……!」と胸の前で手を合わせ、目頭を熱くさせました。
「本当かい……!? ああ、よかった……。千春様のおかげだねぇ。坊っちゃんを連れ戻してくださって……。左目を失われたと聞いた時は、あたし、胸が潰れるかと思ったよ」
「あぁ。千春様は我がシェイディアンの命の恩人だ。……マーサ、今日のシチューには温室のジャガイモも入っているのだろう?」
「勿論だよ! 千春様が作ってくださったあの暖かい温室で、すくすく育った青々としたお野菜さ。料理長にも頼んでね、千春様がいつでも起き上がって召し上がれるように、栄養たっぷりで消化にいい特別なスープにしてもらったんだから」
マーサは目元を拭いながら、愛おしそうに微笑みました。
「あのじゃがいも、本当にすごいねぇ、あんなに早くそだつものなんだねぇ」
マーサは本当に驚いた、と言わんばかりに部屋の隅に山積みになったじゃがいもに目をやります。
「あぁ、千春様のおかげだ。あのお方のお陰で食料不足だったこのシェイディアンはより豊かになるだろうな」
「千春様が目覚められたら、きっと『おいクソババア、シチューのお代わりだ』なんて悪態をつくのかしらねぇ」
「ふふ、間違いないな。あの『クソババア』には、千春様特有の照れと親愛が込められているからな」
「まあ嫌だわ、あの人ったら本当に口が悪いんだから!……でもねぇ、あの悪態が聴けないと、この館はどうにも寒くていけないよ。早く元気になって、またあたしの料理に難癖をつけてほしいものだねぇ」
妻と顔を見合わせて温かい笑みを交わし、私は給仕の準備が万全であることを確認して準備室を後にいたしました。
◇
廊下へ出た瞬間、私は老執事としての笑みを消し、足音を完全に殺して館の地下へと続く暗がりへ歩を進めます。 角を曲がり、人気のない影に向かって低く声をかけました。
「……話は聞いていたな」
すっ、と空間が歪むように、影の中から二つの人影が現れました。我がシェイディアンが誇る、密偵部隊の者たちです。
「千春様が命を懸けて守り抜かれたこのシェイディアンを、二度と脅かさせるわけにはいかん。……すぐに赤の領地へ飛び、かの地で何が企てられているのか、根そこぎ探ってこい」
「御意」
「それから……あの夜、千春様が敵から取り上げられた『謎の魔導端末』と『無音の魔術銃』は、私が地下の金庫へ厳重に保管してある。千春様がお目覚めになられた際、すぐに解析していただけるよう、誰にも指一本触れさせるな」
「ははっ!」
気配が消え、再び廊下に静寂が戻ります。
さて、私も老体に鞭打って、主人のための夕食の準備と邸内の仕事を滞りなく終わらせねばなりませんな。
千春様が完全に目を覚まされ、またあのか細くも頼もしいお声で「おい爺さん、カフェラ持ってこい」と不機嫌そうに笑われるその日を、心より楽しみにしております。
少しでも面白いと思ってもらえたらブクマ★感想などいただけると大変嬉しいです。




