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1_18 繋いだ命

シェイディアン編本編完結に伴い毎日更新に切り替えます。

完結まで毎日20時更新

「――――っ、ハッ……!!???」

ドクンッ!!!!

激しい落雷に撃たれたかのような強烈な衝撃とともに、ヴォルフの胸が跳ね上がった。

途切れていた息が喉を駆け上がり、凍りついていた肺胞が一気に熱い酸素を吸い込む。 停止していた心臓が、まるで激しい警報音のように猛烈なビートを刻み始めていた。

「ガハッ……! ゲホッ……っ、はぁ、はぁ……っ!?」

荒い呼吸を繰り返しながら、ヴォルフは上体を起こそうとして――胸元にズシリとした「重み」を感じて動きを止めた。

自分の胸の上に、小さく華奢な身体がぐったりと倒れ込んでいる。

「……ち……はる……?」

かすれた声で名を呼ぶ。だが、返事はない。 ヴォルフを押し潰すように重なる千春の体は、驚くほど冷たく、そして……ヴォルフの豪華な礼服の胸元を、赤黒く温かい「血」で濡らしていた。

千春の口元から流れ落ちた、鮮血。

「千春……!? おい、千春ッ!! 目を開けろ、千春ッ!!」

ヴォルフの顔から一瞬で血の気が引いた。 跳ね起き、倒れ込む千春の小さな身体を腕の中に抱き上げる。 触れた手はまるで氷のようで、呼吸は消え入りそうなほど浅い。

自分は確かに撃たれたはずだ。影から放たれた無音の」攻撃を背中に受け、意識が途切れ、全身の感覚が吹き飛んだはずなのだ。 なのに、なぜ自分は生きている? なぜ、自分が庇ったはずの千春が、血を吐いて倒れているのだ!?

「千春……ッ! セバス! 誰か……誰か医術師を――!」

パニックに陥りかけたヴォルフの叫びを遮るように、千春の首元から『黒いモヤ』が立ち上った。

漆黒の霧が凝縮し、ぬっと鎌首を持ち上げたのは、千春と共にいる闇の精霊――ダクネスだった。

『キシシシ……騒ぎ立てるな小僧。医術師など連れてきたところで、この童の容態など治せはせんよ』

「ダクネス……!? 一体何があったのだ! 千春はなぜ血を吐いている!? 」

ヴォルフはダクネスを睨みつけ、血走った瞳で問いただした。 ダクネスは漆黒の瞳を細め、静かに、だが重くヴォルフを見下ろす。

『……小僧、聞け』

その声には、普段の気まぐれな戯れではなく、世界の理を知る絶対者としての冷酷な事実が宿っていた。

『お主の命は数分前、完全に途切れていたのだ。即死の魔術を受け心臓は止まり、魂は神々の理に従って冥府へと流れ落ちる……確定した“死”だった』

「……私が……死んでいた……?」

『そうだ。お主は死んだ。……だがな、そこにいるイカれた童が、その確定した死を力ずくで拒絶したのだよ』

ダクネスの言葉が、ヴォルフの脳裏に激しい衝撃となって打ち込まれる。

『この童はな……神が構築した世界からの警告を叩き潰し、管理者特権を強奪した。そして、お主が死ぬ直前の過去へアクセスし、小僧の時間そのものを巻き戻す領域展開を叩き込んだのだ』

「な………巻き戻した……!?」

『……あり得んことだ。生きとし生ける者が決して踏み込んではならぬ神域への侵犯。事象の改ざんだ。だが……事象を書き換えるには、相応の『対価(リソース)』が要る』

「対価……?」

ヴォルフの手が、ガタガタと震え始めた。 胸の中で、悪寒のような予感が渦巻く。

ダクネスは冷たく言い放った。

『見るといい、小僧。この童が、お主を黄泉の国から引き戻すために何を支払ったのかを』

ヴォルフは震える指先を伸ばし、自分の胸でぐったりと横たわる千春の前髪を、そっとかき分けた。

「……あ……」

ヴォルフの喉から、掠れた声が漏れた。

いつもならヴォルフを鋭く睨みつけ、勝ち気に輝いていた千春の瞳。 その「左目」が――。

光を完全に失い、白く、白く濁りきっていた。

「あぁ……ぁ……っ……」

千春の左目は、まるで氷のように白濁し、焦点の合わないガラス玉のようになっていた。 右目だけがうっすらと閉じられているが、左目は瞬きすら作動していない。

『神の理を書き換える代償として、自らの命のパーツ(視覚データ)を差し出したのだ。『好きなもん持ってけ』となぁ……。まったく、つくづくイカれた人間よ。お主に背中を預けられた程度で、己の身を削って見せるのだから。今回は300秒という短い時間だから左目だけに済んだが、この先もっと大きなことをしでかそうとしたら、次は何を持っていかれるかわからんぞ』

「っ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!!」

『小僧を取り戻す前、チハルは厄介な虫どもを蹴散らすためにさらに神の領域を犯していた。命の取捨選択だ。神の拒絶を何度も弾き飛ばしながら、血を吐き文字通り命を削った。片目と命が残ったのは幸運としか言いようが無い。守りたくば、大事にするがいい』

シャラリ、と音を立ててダクネスはまた千春の首元へチョーカーとして戻っていった。

ヴォルフの口から、魂を削り出すような絶叫が上がった。

一日前に、執務室で誓ったばかりだった。 『絶対にお前を守る』『お前の背中は私の命に代えても守ってみせる』と。 そう千春に胸を張り、背中を預け合おうと誓ったはずだったのだ!

なのに――自分はまた守れなかった。 守るどころか、千春に自らの命を救わせ、あまつさえその身体(左目)を削らせてしまった!!

「千春……っ! 千春ぅぅぅっ……!!」

ヴォルフは千春の身体を押し潰さんばかりに強く抱きしめ、その白濁した左目に己の額を強く押し当てた。 ボロボロと溢れ出す大粒の涙が、千春の白い頬を濡らしていく。

「すまない……っ! すまない千春……ッ!! 俺が……俺が無力なばかりに……っ! お前にこんな代償を……お前の視界を奪ってしまった……っ!!」

誇り高き領主としての威厳も、矜持も、すべてが崩れ去っていた。 ヴォルフは声を上げて泣いた。 千春を失う恐怖と、自分への激しい憎悪、そして……自らの命を削ってまで自分を連れ戻してくれた千春への、狂おしいほどの愛おしさで胸が張り裂けそうだった。

その時――。

「……うっせぇよ……」

掠れた、糸のように細い声がヴォルフの胸元から漏れた。

「ち……はる……!?」

ヴォルフが息を呑んで顔を上げると、千春の右目だけが、うっすらと開かれていた。 左目は白濁したままピクリとも動かない。 右目の漆黒の瞳だけで、涙でぐしゃぐしゃになったヴォルフの顔を、うっとうしそうに見上げている。

「デケェ声……だすな……。お目覚めかよ……クソガキ……」

「千春……ッ! お前……!」

「……静かに……寝させ……ろ……」

それだけ吐き捨てると、千春の首がガクリと揺れた。 右目の瞼が重く閉じられ、繋がっていた僅かな緊張が完全に途切れる。 そのままヴォルフの胸の中に、抜け殻のように深い昏睡へと沈んでいった。

「千春……? 千春ッ!!」

必死で呼びかけるが、もう応えはない。 ただ、規則正しくも消え入りそうな吐息と、氷のように冷めた体温だけがヴォルフの腕に残されていた。

ほんの一瞬、己の無事を確認するためだけに意識を振り絞り、減らず口を叩いてみせたのだ。 己の失明(代償)を悲しむ素振りすら見せずに。

「――――あ」

ヴォルフの中で、何かが決定的に壊れ――そして、二度と折れることのない強固な誓いとなって再構築された。

過保護に守るのではない。 傷つけないように安全な籠に閉じ込めるのでもない。

この男は、己の身を削ってでも自分と共に地獄へ落ちる道を選んだのだ。 ならば――自分がなすべきことはただ一つ。

ヴォルフは千春の頭を優しく抱き寄せ、その額に自身の額を重ねる。

「……もう二度と……『庇う』などと言って、お前を置いて死にはしない」

ヴォルフの金色の瞳に、静かながらも圧倒的な威圧感と、狂気的なまでの覚悟が宿る。

「お前がこの世界を書き換えるというなら……俺はそのすべてを受け止めよう。お前が世界を敵に回すなら、世界がお前を敵と見なすなら……私はその世界のすべてを討ち滅ぼす、お前だけの絶対の盾となろう」

胸の中で穏やかな寝息を立てる千春を、ヴォルフは二度と離さないと言わんばかりに力強く抱きしめ直した。

「二度とお前を一人にはしない。……私の命も、心臓も、魂も……すべてお前に預ける。だからゆっくり眠れ、千春。……私がすべてを守り抜いてみせる」

この世界で生きる者にとって、神という存在は絶対だった。ヴォルフもまたその一人で神を信じ、精霊を祀り、その恩恵を受けて生きているのだと信じていた。

だが、今、自分を生かしたのは神ではない、神に逆らった目の前のか細く口の悪い、放っておくと自分を蔑ろにしすぎて勝手に消えてしまいそうなほど脆弱な一人の男だった。

ヴォルフは誓う。既に自分の心臓だと思っていたこの男を守り、支え、共に生きると。彼が神に牙をむくというなら自分もその背を支えよう、彼が世界を敵に回すと言うなら自分は彼の唯一の味方であろう、誰に何をどう指さされようと知ったことか。自分の命はこの男のものだ。そして、この男の命は自分のものだ。ヴォルフはか細い千春の身体を抱きしめたまま身体を起こし、立ち上がる。

千春を横抱きにすると横に立つセバスに声をかける。

「邸に戻るぞ、千春を休ませねば…」

「かしこまりました」

「千春が目覚めたら、決起会をやり直さねばな。領民には迷惑をかけた」

「千春様もきっと、喜ばれましょう。口ではなんと言いながら、常に領民に心を砕いておられるお方ですから」

セバスの言葉にヴォルフは言葉なく頷いた。



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