1_16 嵐の前に
シェイディアン編本編完結に伴い毎日更新に切り替えます。
完結まで毎日20時更新
「「「シェイディアンの未来に――乾杯!!」」」
地鳴りのような歓声が、大宴会場の天井を揺らした。
領主館の大広間と、それに続く中央広場。そこに設置された巨大な幕屋の中は、熱気と酒と肉の芳しい匂いに満ちあふれていた。
千春が譲らなかったハニーポットとしての『本格始動決起会』。 香ばしく焼き上げられた熟成越冬牛の厚切りステーキ。大鍋で煮込まれた赤ワイン風味のポトフ。樽から直接注がれる特産の地酒や芳醇な麦酒。
「美味い! やっぱり熟成牛のステーキも凄ぇ!これで英気を養ってこれからシェイディアンを盛り上げていくぞ!」
「温室ってのは本当だったんだな! 千春様万歳! ヴォルフガング様万歳だ!」
街の職人たち、開墾作業を終えたお母さんたち、領地騎士団の兵士たちが酒杯を叩き合わせ、満面の笑顔で歓声をあげている。 かつて餓死と極寒の絶望に怯え、エラーログばかりを吐き散らしていた領民たちの顔に、本物の正常系レスポンスの笑顔が広がっていた。
「……ふん。うるせぇ連中だ」
大広間の一角、最上座の特別席で、千春は呆れたように首を振っていた。 だが、その手にはしっかりと柔らかく煮込まれた越冬牛の肉と、シャキシャキとしたフレッシュな葉物野菜が掴まれている。
「口に合わないか、千春?」 すぐ真隣――肩が触れ合うほどの距離にぴったりと陣取ったヴォルフが、甘い苦笑を浮かべて千春の皿にジューシーな肉を切り分けて載せた。
「合わなくねぇよ、美味いよバカ。……特にこの野菜、ちゃんと糖度が乗っててシャキシャキしてやがる。パラメータ調整が完璧だった証拠だ」
千春は照れ隠しに肉を口に放り込むと、目を細めて咀嚼した。
「……あぁ? んだよ、ん、んっま。やっぱり脳使った後は肉と甘味に限るな」
「クク、食が進んでいるようで何よりだ。……セバス、千春の分の特製ポタージュと熟成肉をもう一皿用意してくれ」
「承知いたしました、ヴォルフ様」
ヴォルフの甲斐甲斐しいお世話に「過保護がすぎるだろ」と文句を言いつつも、千春の胸の中には温かい何かがじんわりと広がっていた。
(……悪くねぇ景色だ。ボロボロのシステムをリファクタリングして、こうやって正常に稼働してるログを見るのは……SE冥利に尽きる)
宴の熱気は最高潮に達し、楽団の奏でる陽気な音楽が広場に響き渡っていた。
――だが。
その至福の瞬間は、前触れもなく訪れた。
◆◆
ゾクッ。
千春の背筋を、氷の刃で撫で上げられたかのような寒気が貫いた。
(……な、んだ……!? バイタルエラー……!?)
宴会場の喧騒が急激に遠ざかる。 空間の位相が歪み、大広間の影――天井の梁の暗がりから、不吉な黒い魔力の波紋が広がっていた。
(アクセスログにない……!なにか来る……!!)
梁を見上げる千春に力強い何かが覆いかぶさる。
千春が思考を巡らせるコンマ一秒より早く。 真隣にいたヴォルフの本能が、絶望的な危機を察知していた。
ヴォルフは躊躇なく千春の華奢な身体を強く押し倒し、自らの胸の中にすっぽりと抱きすくめた。 そして――自分の背中で、影から放たれた無音・無色の『なにか』を真っ向から受け止めたのだ。
それは無音でヴォルフを貫く。
ドクンッ、ヴォルフの身体が一度大きく跳ねた。
「ぐあぁぁぁぁぁっ……!?!?」
ヴォルフの口腔から、血を吐くような凄絶な悲鳴が上がった。 彼の背中に黒い魔導ノイズが爆発的に走り、美しい銀髪が激しく逆立つ。
「ヴォ……ヴォルフ……!? おい、クソガキ……ッ!?」
千春は抱きしめられた腕の中で目を見開いた。 上から押し覆いかぶさってきたヴォルフの顔。あの力強く、澄み渡っていた金色の瞳から――急速に、光が失われていく。
「……ち……は……ル……。……無事、か……?」
「何言ってんだバカ! お前、何喰らった……!? ヴォルフ! ヴォルフ!!」
「……良かっ……た……。お前が……無事なら……」
ヴォルフの身体から、急速に力が抜けていく。 ダラリと垂れ下がった腕。途切れる息。 千春の腕の中で、ヴォルフの心臓が――完全に停止した。
◆◆
「ヴォルフ様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
セバスの血を吐くような悲鳴が大広間に響き渡った。 さっきまで肉と酒で沸き立っていた宴会場が一瞬で悲鳴と狂乱の地獄へと変貌する。
「刺客だ! 刺客が出たぞ! 領主様が……領主様が倒れられた!!」
「嘘だろ……!? ヴォルフ様……!?」
悲鳴と怒号が遠くで渦巻く中、千春は床の上に倒れたヴォルフを膝の上に抱きかかえていた。
「……おい。冗談だろ……? おい。ヴォルフ!……おい!!」
ヴォルフの頬に手を当てる。冷たい。温かかったはずの体温が、急速に奪われていく。 脈がない。呼吸もない。心拍数ゼロ。完全な『システムハング(心停止)』。
『ククク! 女をやれなかったが、領主を殺したぞ! これでこの領地も終わりだ!!』
天井の梁にいくつもの黒い影が現れ中から、黒い仮面をつけた刺客たちが姿を現し、勝ち誇ったように嘲笑う。
だが――千春の耳には、その声すら届いていなかった。
(……俺を……庇った……? こいつ……俺みたいなバグを庇って……死んだのか……?)
千春の瞳から、すべての光が消失した。 脳内のCPUが「絶対零度の静寂」に包まれる。
周囲の喧騒、領民がヴォルフを呼ぶ叫び声、千春をその場から離そうと呼ぶ声、それらが急速に遠ざかっていく。
「絶対、俺から離れるな!! たった一人でどうにかしようとするな……俺を頼れッ!! 俺は絶対にお前を守る! 頼むから……俺にお前を守らせてくれ……ッ!!」
ヴォルフの声が千春の中で再生される。
「…は?お前。ふざけんなよ…」
熱も、悲しみも、絶望すらも通り越し――ただ純粋な、漆黒の殺意だけが千春の全システムを支配した。
千春は血の気の引いた手で、ポケットからゆっくりと自分のスマートフォンを取り出した。 冷たくなったヴォルフの体を優しく床の上に横たえると、静かに立ち上がる。
「……おい、ゴミども」
千春の声は、氷点下の吹雪よりも低く、冷たかった。
「……俺のシステムを止めた罪は、高くつくぞ」
視線を落としたまま千春が取り出したスマホの液晶画面にはCUI画面に緑色の文字が羅列されている。千春が一度アップするとその緑色の文字は何かを察したように赤黒く色を反転させた。
『無策でハニーポットなんか組めるわけねぇだろ! てめーが最強の盾として俺を守る……だから、てめーに俺の背中を預けてんだよッ!』
『ああ。そうだ。お前の背中は……私の命に代えても守ってみせる』
「ばかやろう、マジで命に代えるやつがあるかよ…」
ゆらりと立ち上がったまま千春は続ける。
「セバス、領民を下げろ…巻き添えにするつもりはねーが、今から俺がやることは平穏にくらしてりゃいい奴らに見せるもんじゃねぇ…」
千春は静かに言い放つ。
「千春様、何をするつもりで…?あなたもお下がりください!また同じような攻撃をしてくる可能性が…!」
「そんなもん、させる暇もやらねーよ」
表情の抜け落ちた顔で千春は現れた敵に向かってゆっくりと静かに一歩ずつ近づいていった。右手に握ったスマホをノールックで高速でフリック入力しながら千春は歩いていく。
「辞世の句なんて読ませてやらねぇからな…?」
歩み寄ってくる千春の不気味さに敵はひるみ、
「小娘一人に何が出来る!即死魔術銃はまだ使えないのか!」
「次回装填まであと300秒!」
「くそが!それ以上動くな!」
男はナイフを抜き千春に向ける。千春はそれをまるで見えていないように無視して足を進める。
「何が出来るって?出来るさ、俺はヒーローが倒れたのを嘆き悲しむ悲劇のヒロインじゃないんでね…」
「お前達、下がりなさい!男たちは子どもを抱えてできるだけ遠くに逃げなさい!」
セバスの声が領民たちを一斉に宴会場から遠のかせる。領民が一斉に離れた宴会場には数人の敵たちと千春、そして横たわるヴォルフのそばに膝をつき状況を見守るセバスだけがいた。
散らかった料理、先程までの楽しげな喧騒、それらを不気味な静けさが飲み込んでシェイディアンの気温とともに冷え込ませていく。
『チハル、代償はでかいぞ…』
「うっせぇクソヘビ、んなこと端からわかってんだよ、黙って見てろ」
『お前の手は破壊のほうが得意かもしれんなぁ』
ダクネスの言葉が脳裏に蘇る。
「そうだな…てめぇの言うとおりだよ、クソヘビ」
千春は立ち止まって右手に握ったスマホ画面に目を落とした。




